エンゲーブの村長の家にジェイドたちは集まっているとのことだった。ガイに案内されるまま村長の家に向かうと、そこに一同が勢ぞろいしていた。
「ジェイド・カーティスです。よろしく」
「導師イオンです。よろしくお願いします」
ガイの紹介通り、ジェイドは一目で一癖があることがわかる笑みを浮かべた。
顔の造形は整っているが、如何せん表情が胡散臭い。眼鏡の奥に覗くワインレッドの双眸は聡明さが窺えるものの、それと同時に、人を測り見るような傲慢さが見える。着用しているマルクト軍の青い軍服は寸分も乱れておらず、よごれもない。性格は几帳面で完璧主義者であることが服装から読み取れた。
一方ジェイドの横に並び立つ導師イオンは、一目で穏健な性格が窺えた。
すこし太めの眉を垂れ下げて、小さく笑む姿は、可憐な少女のようだ。導師の特徴である音叉を首からぶら下げて、白い服を細い体に纏っている。
「ルーク・フォン・ファブレだ。よろしく頼む」
「まさかエンゲーブでキムラスカ王族と出会えるとは思いませんでしたよ」
ジェイドが意味深な視線をガイに送る。――皇帝陛下から賜った密命をファブレ公爵家にリークしたのかと、スパイを疑う目だった。ガイは眉を顰めたが、なにもいわない。代わりに口を挟んだのはルークだ。
「ティアに話は聞いてないのか?」
ルークは導師イオンの後ろに立っているティアをじろりと見た。ルークを追いかけて宿屋から出たティアは村を歩き回るうちに、導師と遭遇したようだった。
導師の付き人のような顔をして導師の傍に立っているが、彼女はまぎれもなくルークの家を襲撃した犯人だ。
導師は不思議そうに首をかしげて、ルークとティアを交互に見るばかりだった。ティアからなにも聞いていないのだろう。ティアはばつの悪そうな顔で視線を逸らす。
「あの、ティアとお知り合いなんですか?」
「俺がここにいる理由がそいつだ」
「えっと……?」
「俺の家を襲撃したんだよ」
ルークが端的に事情を話せば、ティアが即座に噛みついた。
「ちょっと、ルーク、人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。あれは誤解だといったでしょう。イオン様、ちがうんです。わたしはルークの家にいるヴァンに用事があっただけで、彼と接触した拍子に疑似超振動が起こってしまい、バチカルからマルクトに飛ばされてしまったんです。いわばわたしたちがここにいるのは事故です」
「なにが事故だっつーの」
「事故でしょう。だいたいあなたも悪いのよ。巻き込まないように配慮したのに、あんなところでぼーっと立ってるから」
「はあ? 俺のせいにするのはやめてくれませんかね!? 人ン家でヴァンを襲ってる時点でおまえは俺たちを巻き込んでんだよ」
「だから、それは悪かったって謝ったでしょう。何度も何度も責めたてるなんて……しつこい男はモテないわよ」
「おまえみたいな女にモテるくらいならモテなくていいっつーの! それが謝ってるヤツの態度かよ!」
ルークとティアの間で火花が散り、イオンはせわしなく視線を交互に走らせた。ジェイドはあからさまに面倒くさそうな顔をして、ガイは明後日の方向を見て黄昏れた。
「ガルディオス伯爵はルーク様を保護すると言ってましたね」
「ああ。ルークがここにきた理由も理由だからな……ちょうどバチカルに行くところだし、ルークには俺たちの任務に協力してもらいたいと思っている」
ルークとガイの間ではすでに協力関係が結ばれているが、ジェイドはそれを知らない。いわば、これは二人の協力関係を公にするパフォーマンスだった。
「……たしかにキムラスカ王族の協力を得れるのなら、それに越したことはないでしょう。ルーク様がどこまで力になるかはわかりませんが」
ジェイドは話に聞いたとおり嫌味ったらしい性格をしているようだ。ルークの価値を見極めているかのような視線を向けられて、ルークは「そのうるさい視線すこしは隠したほうがいいぜ」と釘をさす。ジェイドはぱちりと目を瞬き、眼鏡のブリッジを指先で押し上げて「それはそれは失礼いたしました」と口先だけで謝った。
「ガルディオス伯爵……!? まさか、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス……!? 兄から話は聞いていました。主君に会えて光栄です」
ティアは頬をうっすらと赤く染めて、興奮した様子で手を差し出す。ガイは完璧な笑顔を浮かべて後ろに一歩下がった。
「はは、誰かと勘違いしてるんじゃないか? たしかに俺はガイラルディア・ガラン・ガルディオスだが、君のことは知らないぞ」
(ああ、なるほどな。そういうことにしたのか)
ルークはガイの態度を見て、ガイがティアをどういう扱いにするのか知った。
ガイの中で、ティアの存在はなかったことにされたのだ。
つまり、ティアは今この瞬間、ガルディオス家にフェンデ家の者として認められないことになった。ティアはファブレを敵にまわした。彼女を庇えば必然的にガルディオス家の立場が苦しいものになる。それならばと、ティアの存在ごとなかったことにした。
「そんなはずは……兄はわたしのことを話したと」
「そんなこと言われても知らないものは知らないんだ。悪いな」
ガイはそれだけいうとティアから視線をそらし、イオンに向き合った。
「導師イオン、ルーク様の話によるとティア・グランツはファブレ公爵家を襲撃したようです。二人の入国は疑似超振動による事故として処理いたしますが、前提として彼女がファブレ公爵家を襲撃したことはお忘れなく。彼女は……神託の盾騎士団所属の軍人のようですから、今は導師イオンに彼女の身柄を預けますが、キムラスカ王国から逮捕の要請があればマルクト軍の方で彼女を代理逮捕することになります。かまいませんね?」
「え……でも、ティアの話によると彼女はファブレ公爵家を襲撃したのではなく、ヴァンに用事があっただけだと……疑似超振動は事故のようですが……。ティアの逮捕を認めるわけにはいきません。僕には教団員を守る義務があります」
イオンの擁護にティアはうれしそうに「イオン様……」と陶酔する声を漏らした。
ルークは薄く目を細めると、口角を皮肉げにつりあげた。
「へー……イオンはティアの証言を信じるのか」
「……二人の証言は食い違っています。ダアトで査問会を開き、真偽を明らかにする必要があります」
「そうか。なら、今すぐダアトに戻って査問会の準備をしてくれ。キムラスカから書記官を送る。公平で正大な査問会を望みたいからな」
「査問会は公平なものです。決して不正など行われることはありません。それは導師イオンの名において保証いたします」
「内部会議に公平性を認めることはできない。そもそもうちで起きた事件だ。それを導師イオンの都合で、そちらの預かりにするというからには、こちらの都合も考慮してもらいたい。そのための最低条件が査問会参加権と傍聴権だ。キムラスカの権利を認めないなら、ティア・グランツの身柄はこちらに引き渡してもらう」
ルークはすっぱりとイオンの発言を切り捨てた。イオンの顔が強張り、ルークはその様子を温度を伴わない目で見ている。二人の間に流れる緊迫した雰囲気に場は静まり返った。話の的になっているティアは自身の将来を案じて不安げな様子を隠せない。
「……わかりました。キムラスカの参加権と傍聴権を認めます。今の任務を終えたらティアの査問会をすぐに開きます」
「今すぐダアトに戻って査問会を開いてくれといったはずだが?」
「ピオニー陛下より任務の協力要請が届いてます」
「なるほど、導師イオンはキムラスカよりもマルクト帝国を優先すると」
「そういうわけでは。ですが、今回は前々からマルクトから協力要請が届いてましたから、事前にお約束したほうを優先するのは当然のことです」
「――なるほど。導師イオンはキムラスカ王国を揺るがした犯罪者の処分を保留にするばかりか、その対応すら怠ると。導師イオンの考えはよくわかった。ガルディオス伯爵」
ルークはイオンに向けていた視線を、ガイに移した。ガイはルークの目を見て凍り付いた。翡翠の双眸が、怒りによってぎらついている。光を弾く刃物のような鋭さはミリアの眼に酷似していた。ミリアとルークは叔父と甥とはいえ――親子だと実感させられる。
ガルディオス伯爵と呼ばれたガイは姿勢を正し、幼馴染ではなく、伯爵として対応した。
「なんでしょうか」
「今の導師イオンの発言を記録してくれ」
「わかりました」
「それと、先程話にあった話を引き受けた。以後協力者として尽力させていただく。早速だが、協力者として、一つ忠告させてもらう。――導師イオンは仲介役にふさわしくない。導師を連れて行けば、この任務は確実に失敗する。それを承知で、導師イオンを和平仲介役にしておくのか」
ガイは(あーそうきたかー)と内心でぼやいた。表情にはおくびにも出さないが、面倒な事態になったと気分が重たくなった。それでもガイは首を振る。
「私どもも導師イオンの此度の対応を見て懸念が増えました。ルーク様にご協力をいただけるなら、この上ない力になることは間違いありません。そのルーク様が導師イオンをふさわしくないと言うのでしたら、私どもも考える必要があります。……すこしお時間をいただいても?」
「かまわない」
「ありがとうございます。……導師イオン、我々マルクトはあなたに協力を要請いたしましたが、此度の一件を見るとそれを撤回せざるおえません」
「なぜです。ガイ、あなたはルークの言うことが全面的に正しいというのですか? ティアの言い分も聞かずに」
「我々がこれからバチカルに向かう理由をお考えになれば、おのずとご理解いただけるはずです」
ぐっとイオンが黙り込んだ。ティアを庇うことは和平の障害になる――ガイの真摯な眼差しはそう告げている。だが。
「……でも、現状において、ルークの言い分を全部正しいと認めることはできません。僕達はティアとルークの発言、どちらが正しいのか真偽が判断できるほどの情報を持っていないのだから。一方の発言だけ聞いて、判断することはできません」
「判断するために、正確かつ客観性のある情報が欲しい、そういうことですね。そういう話でしたら、即刻キムラスカに問い合わせましょう。ルーク様の言っていることが正しいのであれば、バチカルは今蜂の巣を突いたような騒ぎになっていることでしょう。ルーク様の発言のほうが正しいと判明したなら、導師イオンはダアトに帰還し対応にあたるということでよろしいですね」
「……はい」
イオンは固い表情で頷いた。そうと決まれば話は早い。ガイは部下に命令を入れて、キムラスカに問い合わせて情報の精査にあたらせる。
ガイはルークの発言に正当性を見出している。真偽のほどは定かではないが、ルークの家にティア・グランツが訪れ、疑似超振動を起こしたことはたしかだ。そうでもなければ、ルークが今ここにいる理由が説明つかない。
「……導師イオンは先ほど、ルーク様とティア・グランツの間に疑似超振動が発生した事実をお認めになりましたね」
「え。……はい」
「世界中で超振動を軍事転用させる研究が進んでいることはご存じですか?」
ガイの問いに、イオンは訝しげな顔をした。
「え? ……ええ。ダアトでも神託の盾騎士団のほうで研究が進められていますが――あ……」
イオンはハッと瞠目すると、顔色をなくした。
超振動はあらゆる物質を破壊し、再構築する。この威力に目をつけた各国は超振動の軍事転用を目論んでいる。ダアトでもその研究が進められていた。
ルークとティアの間で疑似超振動が発生したということは。
「ルーク様とティア・グランツは疑似超振動により、分解され、再構築された。たまたま二人は運よく再構築されただけで、もしかしたら、そのまま分解されて生死不明の状態になっていた可能性があります」
イオンの喉が緊張で渇いた。ごくりと唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。その一言を吐くために要した声は、みっともなく震えていた。
「――それは、つまり……バチカルが、そこに住む人たちがなくなっているかも知れない……?」
超振動はあらゆるものを破壊し、再構築する。だが、それだとて確かなことは言えないのだ。まだ軍事転用するための研究が進められている段階で、超振動のすべてが明らかになっているわけではないのだから。
イオンは二人の間に疑似超振動が発生したことを認めた。それはつまり、ルークが分解され再構築された事実を認めたことになる。そして、バチカルが消失している可能性すらも、認めたことになるのだ。
――ルークが怒るはずだ。と、イオンは恐怖でおののく体とは別に、頭は冷静だった。いっそ客観的になれるほど、冷静に思考を巡らせた。
つい先ほどまで、ティアを排除するルークの姿勢が理解できなかった。ルークとティア、どちらの言い分を信じるかといえば、ティアのほうに軍配が上がっていた。それは、イオンにとって、ティアが部下だからだ。自分が守るべき教団員の一人であるティアの言い分を信じるのは、イオンにとって当たり前のことだった。
ティアが事故だというのなら、それを信じたい。
そういう思いで彼女を庇い続けていた。
ルークに彼女の査問会を急かされても、楽観的にことを考えていた。
和平仲介役を終えてから、ティアの査問会を開く。査問会を開くことは約束したのだから、先約を果たしてからでも遅くないはずだと。
ほんの少しだけ、思惑があった。査問会を開くまでの間――この和平仲介の旅が終わるまでに、ルークとティアが親密になれば、彼は彼女の処分を撤回するのではないかと。そんな未来を夢見てしまったのだ。
だが。
疑似超振動によって、ルークは分解され、再構築された。再構築されなければ生死不明になっていた可能性がある。
それだけでなく、バチカルにまで被害が及んでいたなら、ティアがやったことは事故で済むはずがない。
教団員が、キムラスカ王族とバチカルを危険に晒した。それを、教団の責任者が事故として見なし、対応すら怠っている。導師のその外交姿勢は、キムラスカの信頼を損ねる行為だ。
イオンは間違えたのだ。ルークに言うべき言葉は「事実確認を早急にしたのち、対応します」だった。最初から教団員を守る姿勢――査問会を開き、内々で処理しようとしたこと――を見せるのではなく、冷静に、客観的に対応するべきだったのに。
イオンは蒼褪める。今先ほど行われた導師とキムラスカ王族の会話は記録されている。公式のものではないと記録を無効にしたくとも、ルークは名を名乗っている。言動も改めていた。今思えば、あのときのルークはキムラスカ王族として対応していたのだ。イオンの失言は取り返しがつくものではない。
どうすればいい。どうすれば、これ以上の失態を重ねなくて済む――イオンはきょろりと視線を動かしたのち、その視線をティアに留めた。
「――事実確認を早急にしたのち、彼女の査問会を開きます。ガイラルディア伯爵、すみませんが、火急の用事ができたため、僕はダアトに戻りたいと思います。マルクトには大変申し訳ないことをしました。後日改めてお詫びを入れさせていただきます」
ガイは静かに瞑目する。ルークは感情が窺えない目でイオンを見ていた。イオンもルークに視線を合わせる。
ルークの口角がにぃっと弧を描いた。
「――わかりました。我々はバチカルに急ぐ身であるため、ダアトまでお送りすることはできませんが、兵を貸します。ここまでご協力感謝します」
「ありがとうございます。……最後まで協力できずにすみません」
「いえ。ダアトの一大事ともなれば仕方ありません。……少しの間ですが、イオン様と旅ができて良い思い出が作れました。またお会いできる日を楽しみにしています」
ガイがにこやかに挨拶すると、イオンの強張っていた肩から力が抜けていった。イオンは表情をいくらかやわらげると、ルークに向き合った。
「ルーク、あなたにも大変申し訳ないことをしました。ティアの事情はどうあれ、あなたと彼女の間に疑似超振動が発生したのはまぎれもない事実。そのことを認めていながら、僕は対応を後手にまわしてしまいました。どう詫びていいのかわかりません」
ルークはふっと息を吐くと、頭を掻いた。
「……今の一件には目を瞑って、公式上の記録も消してもいい」
ルークはガイをちらりと見て、公式上の記録を消すように威圧する。ガイは(え、もったいない)と胸のうちでこぼした。
この一件が表沙汰になれば、導師とダアトの立場は悪くなる。キムラスカ王族に危害を加えた教団員を庇い立てし対応を遅らせた――などとキムラスカ国民が知れば、間違いなくダアトへの悪感情を募らせるだろう。
逆をいえば、この一件を表沙汰にしないように、導師とダアトをゆする……もとい、有利な立場になれるわけだ。
もちろん、ガイも今回の記録を利用して有利な立場になる気だった。
「導師がキムラスカを軽視したと知られれば、導師を仲介役に選んだマルクトにも責任が及ぶ」
釘をさされた。
ガイは小さくチッと舌打ちをした。笑顔で。
「ルーク……ありがとうございます。このお礼はなんといっていいのやら」
「その代わり約束してほしい。かならずキムラスカと、俺が納得する処分を、ティアにくだすと」
ルークは最後のチャンスだというかのように、真摯な眼差しでイオンを見つめた。イオンはしゃんと背筋を伸ばしてルークを見上げる。
「――はい。お約束します」
ルークが与えてくれたチャンスは決して無駄にはしない――イオンは表情で自らの心情を語ると、ルークと、ガイに一礼して、早速エンゲーブを発った。呆然と事態を見守っていたアニスと、蒼褪めているティアと、護衛のマルクト兵と共に。
「まさか、こんなことになるとは……」
イオンらの背を見送りながらジェイドがぽつりとこぼす。この男にしては珍しくも呆気に取られたような声だった。ガイが視線を送ると、すぐさま表情を取り繕ったが、眼鏡のブリッジをしきりに押し上げる動作に動揺が現れている。
なんだ、嫌味ったらしい態度以外にも人間味があるじゃないか――ガイは生温い笑みを浮かべた。
「よかったな、ルーク様が寛大で。おかげで俺たちマルクトも命拾いした」
あのまま導師イオンがティアの対応を怠り、導師ごと彼女をキムラスカに連れて行ったら。間違いなくマルクトも本来背負う必要のない厄介事をしょい込む羽目になっただろう。導師が賢くて助かった、とガイは胸を撫で下ろす。和平仲介役として導師に協力を仰いだジェイドは決まり悪そうに口を閉じた。
「さて、それじゃあ一泊して、バチカルに向かうとするか。その頃には物資の補充も終わってるだろう。食糧泥棒で例年より作物の収穫が減ってる村民には負担をかけるが……」
「イオン様が幸いにも食糧泥棒の手がかりらしきものを発見してくれましたから。チーグルの森に部隊を送れば、なにかしらの収穫を得られるでしょう。すぐにでも食糧泥棒が捕まるかもしれません」
「とはいえ第三師団の兵士を割くわけにもいかないだろ? どうするんだ」
「セントビナーに連絡を入れれば、グレン将軍が対処してくれるはずです。ここら辺は彼の部隊が一番出動が早いので。グレン将軍に任せましょう」
ジェイドは早急に文書をしたためると部下を呼び、エンゲーブの馬を借り受けてセントビナーに遣いを出させた。やることが確認くらいしかないガイはルークとしゃべる。たわいのない世間話に興じながら、気安く肩を叩いたり、笑ったりする姿は二人の良好な関係を窺わせた。
――ほんとうに、ガルディオス伯爵とファブレ家の関係は良好なのか。
と、ジェイドを筆頭に第三師団の兵士、エンゲーブの村民は思いを一つにした。図らずも、この一件によりジェイドの中でガイの認識は改められた。ガルディオス伯爵を火種として危険視していた者たちの認識もすこし塗り替えられ、彼を信頼していく者たちも徐々にだが増えていくこととなる。
*
「ルークが無事だといいのだが……」
ミリアは血に塗れたナイフを布で拭い、懐にしまいながら、不安を吐露した。
彼の視線の先では、ヴァン・グランツが横たわっている。
背中から心臓に向けて一突きにされた穴から噴き出した血がヴァンをゆっくりと濡らしていく。じわじわと広がっていく血から逃れるようにミリアは後退した。
すこしずつ、ヴァンの呼吸が細くなっていく。もがくように伸ばした手は石畳みを引っかいていた。つい先ほどまで、爪が剥がれるほど強い力で引っ掻いていたのに、今はもう指先には力が入っておらず硬直している。
ミリアは彼の呼吸が止まる瞬間を見届けることなく、その場を立ち去る。中庭から、本邸に続くドアを開けて、静まり返った廊下を突き進む。譜歌によって眠らされた兵士やメイドの前を通り抜けて、執務室に戻った。執務室のドアを閉めて、持参していたハンカチを取り出し、口をもごもご動かすと、ハンカチに白く小さい物体を、血と一緒に吐き出す。――欠けて砕けた歯だ。
「……む、すこし力を入れすぎたか」
意識を留めるためとはいえ、歯を噛み砕いてしまうなど。思わず苦笑した。口の中が鈍く痛むが、まあいいとミリアは笑む。
「こんなもので長年の懸念が解消されるなら、安いものだ」
俺の息子たちへの落とし前、たしかにつけさせてもらったぞ。ミリアは小さく呟くと、大きな音を立ててドアを開けて、腹から声を出した。
「――いったい何事か! ルーク、アッシュ、義姉上は無事か!」
静寂に満ちていた邸が騒々しいまでに活気づく。
数分後、中庭でヴァン・グランツの遺体が発見された。それと同時にルークの行方がわからなくなった。譜歌を使用した賊が侵入し、ヴァンを殺害して、ルークとの間に疑似超振動が起きたものだと思われる。
譜歌で眠らされる直前に賊の正体を確認した白光騎士団の兵士によると、犯人は神託の盾騎士団の兵士。
調査により、賊はティア・グランツだと判明した。
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