「……ミリア、それにアニスも、僕のことは気にしないで結構ですよ」
飛び立って、しばらく。
風がごうごうと吹き抜ける音の中で、導師の声がした。アニスは顔を輝かせるが、ミリアは硬い表情で「任務中です」と応える。
「導師命令、」
「イオン様、そのようなことに権力を使うのは……」
「なら、使わせないようにしてください。今から教団につくまで、私語を許します。僕のことはお気になさらず」
イオンはそういうと瞼を閉じた。こんな風がうるさい中、眠れるわけがない。導師に配慮してもらったミリアは唸るような声をあげたが、諦めたように息を吐くと口調を和らげた。
「……アニス、心配したぞ」
「お兄ちゃん!」
アニスは溢れんばかりの笑みを浮かべてぎゅっと抱き着く。ミリアは苦笑して受け入れた。
ミリア・タトリンに、アニス・タトリン。
苗字が示すように、二人は兄妹だった。十五も年齢差があるため、兄妹というよりは、父と子に近いが。アニスにとってミリアは両親のもとから自分を救ってくれた大事な兄だった。両親の借金苦で困窮した生活を送るアニスを、ミリアは引き取ってくれたのだ。アニスは八歳まで兄がいることを知りながらも、ミリアと接したことは一度も無かった。ミリアもまた同様である。
ミリアは十歳の頃に親元を飛び出して、神託の盾騎士団に自ら志願して入り、以来両親とは音信不通の状態だった。元々、親元を飛び出した理由が理由である。ミリアはお人好しで借金を日常的に抱える両親のもとにいたら自分の人生がめちゃくちゃにされると思い、両親から離れた。両親と連絡を取り合えば面倒事になると思い、ミリアは妹が産まれたことも知らず日々を過ごしていた。
だが、借金取りに絡まれているアニスを見つけたことで、ミリアは自分に妹がいたことを知ったのだ。案の定、アニスは当時の自分と同じような生活をしていて、妹の現状を放っておけず、妹のためにも両親に苦言を申した。
だが両親は困ったように顔を見合わせて、でも人を救うことは素晴らしいことよ、とちっとも行動を改めようとしない。ミリアは両親を見捨て、アニスを奪い取ると、手元に置いた。
両親のもとから引き剥がされた当初、アニスはパパとママのもとに帰りたいと泣いていたが、それも三ヶ月ほどで終わった。満足に食べられるようになったご飯、借金取りに絡まれることのない日々に、ミリアは兄としてアニスのことを気遣ってくれる。両親の元に帰りたいということは、つまりそんな生活を失って借金取りに怯える生活をすることで。アニスは泣くことをやめて、ミリアと同じように自分の人生のために両親と距離を置いた。
ミリアの背中を見て育ったアニスは当然のように軍人を目指し、導師守護役になった。たゆまぬ努力を続けた結果、導師守護役という狭き門を潜り抜けた。
「心配かけてごめんなさい。イオン様も守れなくて……」
「いや、アニスはイオン様の無事と動向を教えてくれただろう。そのおかげで迎えに来れたんだ。それに……本当ならイオン様のご意思を尊重したかっただろう?」
「……うん。だって、イオン様は……」
レプリカだから、とアニスは小さく呟いた。ミリアは頷く。
「ああ。イオン様の協力で和平が成功すれば、それはイオン様の実績になる。レプリカだからと侮る者も減るだろう。……カーティス大佐も段階を踏んでくれれば良かったのだが。心底悔やまれる」
ミリアの苦々しい呟きに、アニスも苦い顔で頷いた。
「……幸い、ティア・グランツは大詠師モース直属の部下だ。上司であるモースは部下の管理責任を問われるだろう。これですこしはイオン様にとって住みやすい環境になるはずだ」
「うん。あと、総長もね! で、お兄ちゃんが総長になれば教団はよくなるよ。そうすれば、ジゼルお姉ちゃんとも上手くいくかも!」
「待て、何故そこでリグレットが出てくる?」
「え〜、だってぇ……お兄ちゃんジゼルお姉ちゃんと仲が良いでしょ? あたし応援してるんだよ?」
「……応援しなくていい」
ミリアは深い溜息を落とす。アニスは不満そうに頬を膨らませた。
「え〜、あたしジゼルお姉ちゃん好きだから、本当にお姉ちゃんになってもらいたいんだもん! 大体お兄ちゃんが情けないのが悪いんだよ。サッサとジゼルお姉ちゃんに告白しちゃえばいいのに。そのせいでヴァン総長なんかに横槍入れられてるし。この間なんか、あたし見たんだから!」
「見た?」
「ジゼルお姉ちゃんが夜中にヴァン総長の部屋に入って行く姿! ジゼルお姉ちゃん本当に辛そうな顔してたんだから! ヴァン総長と恋人だったらそんな顔しないでしょ? それってさ、パワハラとしか思えないよ。ほんと、ヴァン総長サイテー」
子供と女の潔癖さを剥き出しにしてアニスは吐き捨てる。ピクリとミリアの眉間が一瞬だけ寄ったが、すぐに消えた。
「ねえ、お兄ちゃん、ジゼルお姉ちゃんのこと何とかできないの?」
「……リグレットが俺を頼るなら話は別だが、そうでないのなら、ヴァン総長とリグレットの問題だ。男女の関係に口出しはできない」
「パワハラでも?」
「そうと決まったわけじゃないだろう」
「……お兄ちゃんさあ、ジゼルお姉ちゃんのような人が素直に助けてって言えると思ってんの? そうだとしたら、お兄ちゃんって本当、女心がわかってないっていうか……」
残念そうな顔をしてアニスは首を振る。見過せず、ミリアはアニスをじろっと睨んだ。
「アニス」
「うそ! ごめんなさい!」
「まったく……」
アニスは謝っているものの、たいして反省していなかった。ミリアは溜息を吐く。そうすることで胸中に巣食う嫉妬を殺した。
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