ヴァン・グランツは、自身の計画を根底から揺るがした妹をこのときばかりは恨めしく思った。

 まさか、たまたま所要で来訪していた自分を殺害するためだけに、ファブレ公爵家を襲撃するとは思わなかった。何処で自分の足取りを掴んだのか不明だが、もし自分がファブレ公爵家にいなかったら、妹は滑稽な道化でしかない。失笑ものである。

 ファブレ公爵家襲撃により、妹との共謀を疑われたヴァンはバチカル城の牢屋に入れられていた。自らの容疑を晴らす手段もなく、牢屋の中で無為の時間を過ごす。苛立ちが募った。

 ルークさえ、帰ってくれば。
 ルークなら自分を弁護して、解放してくれるだろう――。

 七年の時間をかけて懐柔した弟子に望みを託して、今か今かとそのときを待った。
 そのときは突然、訪れた。



「ヴァン師匠!」

 牢屋の中に響いた弟子の声にハッとヴァンは面をあげた。堰切らしたようにルークが階段を降りて、ヴァンがいる牢屋まで歩いてくる。

「ルーク」
「ヴァン師匠、お待たせしました! 今、牢屋から出しますね!」

 ルークは牢屋番と思しき男に牢屋の鍵を取り出させる。これでようやく牢屋から出れる。そう思ったのも束の間、ルークが「あ、そうだ」と何かを思い出したように言った。ルークは階段の方に顔を向けて、外に向かって呼びかける。

「おーい、こっちだ、こっち! 早く来いよ!」

 ルークの呼び声に導かれたように、ぞろぞろと人が姿を現した。キムラスカ兵と、ヴァンにとっては見慣れた者達だった。

「リグレット……シンク! それにミリアも……ティア!?」

 シンクが米俵を担ぐようにティアを肩に担いでいた。ティアは意識を失っているのかぴくりともしない。妹の体は縄で縛られ、両手には手錠がかけられていた。

「おい、そこ開けてくれ」

 ルークがヴァンの隣の牢屋を指差す。隣の牢屋は空いていた。牢屋番は慌てて隣の牢屋を空ける。シンクがその牢屋の中に入る様子が見えた。次いで、ドサッと重い物を落とす音も。

「こいつ重いんだよ。肩こった」

 シンクはぶつくさと呟きながら肩を回しつつ、牢屋を出てくる。その肩にティアの姿は見当たらなかった。ギィと錆び付いた扉が閉められて鍵がかかった。

「シンク……? ティアは……」
「アンタの妹ならファブレ公爵家襲撃犯、並びにルーク様への不敬で捕まったよ」
「な……っ! ……妹はファブレ公爵家を襲撃するつもりはなかった。ルークのことだとて、きっと何かの誤解だ。ルーク、そうだろう? ティアはお前に世間を教えてあげようとしただけだ。あの子は優しい子だからな」

 ルークならば簡単に言い包めることができる。ヴァンはルークに妹の処分を取り計らってもらうつもりだった。ルークはわずかに眉を寄せてヴァンを見返した。

「優しい子? ヴァン師匠の優しい子って、人のことを馬鹿にすることなのかよ」
「そんなことはないが、ティアはお前に優しかっただろう? ティアは軍人だ。お前をバチカルに無事に送り届けようと自らを盾にして、」
「俺が盾にされたけど?」
「――なに?」
「だから、俺が盾にされたって言ってるんです。ああ、確かにヴァン師匠の言うとおり、ティアは俺をバチカルまで送り届けるって言いました。巻き込んだから家まで送り届ける、それが義務だって」
「ならば、」
「そのあと、ティアは俺にこう言いました。”武器を構えて!”って。俺がエンゲーブで食料泥棒に間違えられたときも、俺が犯人じゃないって知りながら、ティアの奴は呆れたように傍観してました」

 徐々にルークの声が刺々しくなっていく。当時のことを思い出して怒りがぶり返したのだろう。ヴァンはそれでも何とかティアを弁護しようとした。

「だが、今お前はここにいるだろう。食料泥棒の疑いをティアが晴らしたのではないか?」
「イオンが俺の容疑を晴らしてくれました」
「っ」

 ぐっとヴァンは口ごもった。

「イオンがいなければ、あのまま俺は、エンゲーブで食料泥棒として捕まってたかも知れません」

 ルークを巻き込んで送り届けると言った妹が、食料泥棒の容疑をかけられたルークを見捨てるような、薄情な真似をするとは思わなかった。だからイオンには協力してやるけど、とルークはさり気なく恩を感じているようなことを言った。

「その後色々あって、ライガクイーンを倒すことになったんですけど、ライガクイーンは仔供を産んでもうじき卵が孵化するところでした。でもその卵も壊すことになって……俺が後味が悪いというと、ティアの奴、こう言いました。甘いのね、それとも優しいのかしらって」

 優しいの前に、甘いという言葉が出てくるのだ。ティアの本音が前者に傾いていることは言うまでもない。ヴァンは妹の態度がどれほどルークを馬鹿にしたものだったのか聞かされて閉口した。だが、ここでルークを言い包めなければ、妹の未来に待ち受けているものは絶望だけだ。兄としてそれは避けたかった。

「私の教育が行き届かず、随分と迷惑をかけたようだな。すまなかった。妹を再教育するから、チャンスを与えてくれないか?」

 ルークの眼が揺らいだ。あと一押しあれば、甘いルークを懐柔できるだろう――。ヴァンの思いを見透かすように、それまで黙り込んでいたミリアが口を開いた。

「現状を真に理解しているのなら、機会を望むことすらおこがましいと思うが。総長はルーク様の精神的苦痛、ファブレ公爵家の損害を知りながら、よくも厚かましく願い出れる」

 ルークがミリアを見る。ヴァン師匠を悪く言うな、と口を開こうとしたルークを先制するようにミリアは言葉を続けた。

「ファブレ公爵夫妻に、最悪の事態も考えられたというのに」

 ルークの頭が冷えた。ティアのせいで、両親が死亡する可能性もあったのだ。ティアに温情をかけるということは、両親を危険な目に遭わせた犯人を見逃すということで。いくらヴァンの妹だろうと、ルークにとって何の好意も抱けない女のために温情をかけたくなかった。

「ヴァン師匠……俺、母上と父上を危険な目に遭わせたティアを許したくないです。すみません」
「ルーク……! 考え直してくれ。お前のせいでティアは殺さ、」

 ヴァンの言葉をシンクは遮った。

「違う。ルーク様のせいじゃなくて、アンタの妹は自分の罪で牢屋に入れられたんだ。正当な罰を受けるのさ。アンタの妹は自業自得だよ」

 シンクの声は他人の不幸を喜ぶ蜜に溢れていた。出来損ないのレプリカに、馬鹿にされている。この上ない屈辱を与えられたヴァンは怒りに頬を紅潮させる。牢屋の中から腕を伸ばしてシンクの胸倉を掴もうとした。シンクは喉奥で笑いながらその腕を軽く避ける。辛うじてヴァンの手が届かない位置を保つと、自らの胸倉を掴もうとしたヴァンの行動すらも嘲笑った。

「理性的じゃないね。獣のように感情的なアンタは妹共々そこがお似合いだよ」

 牢屋が似合いだと言われ、あまりの侮辱に声も怒りで震えた。

「貴様ッ! どこまで私を馬鹿にする!」
「ま、さっきアンタが言ったように、自分の教育が行き届かなかったせいで妹は死ぬんだと思って、諦めなよ」

 ヴァンはシンクを親の仇のように睨みつけた。シンクは物ともせずにヴァンを見下ろしている。此処を出たら、妹を窮地に陥れたミリア諸共始末してやる――。恨みがましいヴァンの視線をシンクは鼻で一蹴した。ミリアは牢屋の中にいるヴァンを冷たく一瞥して告げた。

「……大詠師モースは部下の管理不足により失脚する。ティア・グランツの身内である貴方も責任を問われる覚悟を今のうちに決めたほうがよいだろう」
「何だと……!?」

 大詠師モースならば、ティアと自分を助けてくれる。温い考えを持つヴァンの頭にミリアは冷や水を浴びせた。ヴァンは自分が想像しているよりも悪い状況にようやく理解が追いついて、表情を厳しくさせた。

「私とティアはユリアの子孫だ。ローレライ教団が私たちを手放すとは思えないが」
「そのことに関して、イオン様が先程キムラスカ王家にユリアの血の保護を申し出た」

 血の保護。命は保障される――ヴァンが安堵の息を漏らしたときだった。

「ティア・グランツにどのような量刑が下されるかは調査の結果次第だが、量刑の内容に関わらず、彼女の刑の執行までは最低五年の猶予期間が与えられる。その間、彼女にはユリアの尊い血を残すために、その身を粉にして働いてもらう」

 その言葉が意味することは。
 ヴァンの視界が怒りに赤く暗んだ。

「――貴様! ティアに娼婦の真似事をしろと言うのか!?」
「娼婦? ただの犯罪者と、日々の糧を得るために働く娼婦達と一緒にするなんて彼女達に失礼だろう」
「ティアは娼婦以下と言うのか!?」
「塵芥以下だと私に言わせたいのか?」
「なに……っ!?」

 ヴァンの面が憤怒で赤らむ。ミリアの返しにシンクはくくっと喉奥で笑い、リグレットも小さく笑んだ。ミリアはわかりやすい溜息を吐く。

「ティア・グランツの代わりに、貴方が次代にユリアの血を繋げばいい。そうすれば貴方の妹は子を産む道具にならずに済む」

 ヴァンはごくりと唾を飲んだ。子を産む道具。直接的な言葉で妹の未来を表現されて、ヴァンは顔を歪ませた。

「……いいだろう……私がこの血を残す! 妹には手出しするな!」

 ミリアの唇が小さく弧を描いた。

「導師イオンには貴方の気持ちをお伝えしておく」

 ミリアはルークに城内に戻ろうと促す。ルークは消沈した顔で頷いて、階段をあがった。ミリアもその後に続く。

「シンク、リグレット、戻るぞ」
「はい」

 シンクは躊躇いなく頷いてミリアの後につく。リグレットも続こうとして、ヴァンに名を呼ばれた。

「リグレット……! お前は私を……!」

 リグレットはヴァンに顔を向けて、凍てついた表情で別れを告げた。

「さようなら、ヴァン・グランツ」
「リグレット――!」

 ヴァンの怒声を背にしてリグレットは歩き出した。階段をのぼる合間に聞こえる見苦しい声に、シンクは「無様だね」とぼやく。ミリアは誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

「……愚かな男め」

 ヴァン・グランツ、貴様は何もかもを失うのだ。地位も名誉も、最愛の妹――そしてあるいは、恋人と思っていた女すらも。

「ヴァンに子供ができる日が楽しみだよ」

 ミリアの言葉の真意を知っていたシンクはそれはそれは愉しそうに笑った。



2014/10/26
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