「なんということだ」

 ピオニー・ウパラ・マルクトは自室で頭を抱えた。ブウサギの平和な鳴き声と、キムラスカから届いた不穏極まりない文書の内容。その、落差に、眩暈がする。
 ピオニーの手が掴んでいる文書には、和平使者として送り出したジェイドの問題点が列挙されていた。

 ジェイドは導師イオンに和平協力を頼み快諾を得ると、軟禁状態にあった導師を連れ出す手段として、導師派を扇動しダアトを荒らした。扇動を制圧すべく神託の盾騎士団が駆りだされ、民間人と軍共に多数の怪我人が出たという。
 大詠師モースは導師イオンの行方をどこからか入手すると、当然導師を取り戻すべく追手をかけた。その結果、タルタロスが六神将率いる神託の盾騎士団兵に襲撃され、第三師団はジェイドを残して全滅する結果になった。マルクトがこの一件を知った当初、抗議するかどうか非常に頭を悩ませた。

 何しろ教団によって、マルクトはジェイドを残した第三師団が全滅させられたのだ。軍隊を一つ全滅させられたあげくに、陸上走行艦タルタロスまで奪われている。百三十余名にあたる人命の損失も大打撃だが、帝国軍の権勢を誇ると同時に国防の主力となる軍艦を奪取されたのは二重の意味で大打撃であった。だが、その責任を追及しようものなら、何故教団が導師イオン奪還のために武力行使を選んだのか言及せねばなるまい。

 言及すると、教団は当然こういう主張をするだろう。――何者かが信者を扇動し、ダアトを荒らして、混乱に乗じて導師を誘拐した。調査したところ、導師誘拐犯の正体はジェイド・カーティスであり、軍隊で動いていることが判明した。これにより教団はマルクト皇帝の命令によりジェイド・カーティス率いる第三師団が導師を誘拐したものだと判断し、マルクト帝国に事前に連絡を入れることを避け、導師救出のため実力行使に及んだ。――と。
 マルクトが導師を人質に取った以上、武力衝突はやむなし。正義は教団にあるとみなし、世論は教団の味方となるだろう。

 さらにマルクトにとって頭を抱える事態が発生していた。

 導師を奪還すべくタルタロスに乗り込んできた神託の盾騎士団と、マルクト軍の戦いに、キムラスカ王族のルーク・フォン・ファブレが巻き込まれたという。ピオニーたちマルクトにしてみれば、ジェイドが導師イオンを誘拐したことも、タルタロスが襲撃されて第三師団を喪い軍艦まで奪われたことも、そこに何故キムラスカ王族が居合わせたのかもわからない。

 エンゲーブに和平親書が到着する頃、マルクトは一時的にキムラスカ方面で発生した擬似超振動がタタル渓谷付近で収束した事実を確認していた。すわキムラスカからの攻撃かと軍部は騒ぎ立てたが、そのすぐあとにキムラスカ王国から照会があり、ファブレ公爵家が賊に襲撃され、公爵子息であるルークと賊が擬似超振動を起こした事実を知ったことにより騒ぎは収まった。

 キムラスカからルークの保護を頼まれ、和平を考えていたピオニー皇帝としてはこの機会を是非活かそうと、公爵子息の保護を了承したのだ。全軍に通達が行き届き、ルーク・フォン・ファブレはマルクトにとって保護対象となった。だというのにジェイドがルークにしたことは。

 ルークがキムラスカ王族と知りながら強制連行し、彼の事情も聞かず自分達の事情を話して和平に協力しなかった場合は監禁すると脅迫した。ルークが協力を約束した後も、彼を前衛に立たせる始末。

 和平交渉先の王族であり、和平協力を約束してくれたルークをさんざん侮辱したあげくに利用したのだ。しかも和平交渉が纏まったあと、国王陛下名代にして親善大使であるルークを我儘お坊ちゃんとして扱ってこれまた侮辱した。キムラスカから抗議が届かないわけがない。

 何よりもピオニーにとってまずいのは、これらの情報が全て事が終わったあとにキムラスカから齎されたことだ。
 ピオニーはジェイドを第三者から皇帝の右腕と呼称されるほど深く信頼していたため、彼が起こした数々の問題に目を配っていなかった。もしピオニーがジェイドが起こしていた問題を知っていれば、当然彼を止めて和平使者を変更しただろう。だが、ジェイドを信頼していたピオニーは彼の行動から目を離していた。その間にジェイドは罪を重ね、マルクト帝国は教団とキムラスカに多大な借りを作ってしまった。
 畳み掛けるように自国の立場を悪化させる問題の続出に、思わず匙を投げたくなったのは無理もないが、そうはいかないのが国主である。ピオニーは頭を掻き毟って唸り声をあげた。

(くそっ! これじゃあ、マルクトは教団とキムラスカに頭が上がらない)

 キムラスカ王国も教団もジェイドの件を持ち出して、自国に有利な交渉をするだろう。だがマルクトはそれを受け入れるしかないのだ。

(せっかく和平交渉が上手くいってたってのに!)

 この場合の上手くとは、マルクトが不利な形にならず和平交渉が進むという意味だ。
 マルクト帝国はアクゼリュスの住民を救助するためには、キムラスカ方面の街道を使わせてもらうしかなかった。マルクト方面の街道は崖崩れにより復旧作業を行っており、その作業には数ヶ月間、下手をすれば年単位の時間がかかると思われていた。そのためマルクトはキムラスカに頭を下げて、街道を使わせてもらい、自国民を救出しようとしていたのだ。当然マルクトはこの一件でキムラスカに借りを作ることになる。だが、この借りも無かったことになるはずだった。
 和平交渉をした際に、キムラスカ王国から届いた条件により。
 その文書の中身は、ユリアの預言にアクゼリュスの崩壊と同時にキムラスカ王族を親善大使としてアクゼリュスに派遣すると詠まれているという内容だった。
 アクゼリュスの崩壊など聞いて穏やかでいられるはずがない。当然マルクトは預言の信憑性を確かめるべくダアトに照会したが、ダアトは否定せずにむしろその通りだと肯定した。住民の救助まで余裕があるとたかを括っていたマルクト帝国の中枢に激震が走ったのは無理もなかった。住民の救助は急務であり、そのために追加の応援部隊を送ることも考慮されていた。
 王族が障気触害になる可能性からキムラスカの申し出を断ろうとしたのだが、キムラスカは例え親善大使が障気触害になってもマルクトに責任追及する気はないと確約したうえで、街道の一件を持ち出した。
 美味しい条件の提示にピオニーはキムラスカの申し出を受けることにした。貸し借りがない状況で、アクゼリュスの住民が救助されれば、和平が結ばれるはずだったのだ。

 それがどうだ。和平交渉の蓋を開けてみれば、マルクトはジェイドの一件により不利になり、アクゼリュスと、一万人に及ぶ住民の人命が喪われてしまった。しかもピオニーは親友までも喪おうとしている。ピオニーは苦々しい顔で目を瞑る。マルクトとジェイド、天秤にかけるまでもない。ピオニーはマルクト皇帝だった。

(キムラスカ……やってくれたな)

 キムラスカは自国に有利な状況を作るために、敢えてジェイドの行動と言動を見逃していたのだろう。そして、ここぞという時に外交カードとして持ち出した。――もしピオニーがジェイドに補佐官をつけていたのなら。あるいは、ジェイドの部下達が生きて彼の傍にいたのなら。マルクトの諜報機関が働いていれば。ジェイドの失態は生まれずマルクトは弱味を握られることもなく、反対にキムラスカの弱味を握れたかも知れない。栓のない話である。

(預言とは言え、ジェイドを和平使者にするんじゃなかった。こうなれば……教団も巻き込み泥仕合にするしかない)

 ジェイドを和平使者に抜擢した最たる理由は預言だった。ジェイドがやらかしたことについて、教団に全責任を負わすことは無理だろうが、教団を巻き込むことはできるだろう。マルクトは教団に頭を下げる気は毛頭ないのだ。こうなれば、教団を巻き込み、預言を笠にジェイドが和平使者として仕出かした罪の責任を、マルクトに及ばぬようできるだけ分散させるしかない。それでもマルクトの立場が悪くなるのは否めないが、やるしかないのだ。この国のために。
 ピオニーはすこしでもマルクトが不利な状況に陥らぬよう全力を尽くす。諜報機関の人事も今回の件をきっかけにキムラスカから届いた文書に紛れ込んだガイラルディア・ガラン・ガルディオスの名を冷ややかに見遣り、彼を躊躇無く不要なものとして切り捨てた。



 ――ホド戦争時にガルディオス家は途絶えた。ガルディオス家の遺児を名乗る者に関して、マルクトは全責任を負わないものとする。

 アッシュから手渡された文書にミリアは目を通すとガイの名前を呼んだ。

「ガイ・セシル、国王陛下名代に対する侮辱罪により逮捕する。捕縛しろ」
「なっ!?」

 困惑した表情で状況を見守っていたガイを捕らえさせる。キムラスカはガイの正体を知っていたが、マルクトの返答により彼はガイ・セシルとして扱われることになった。マルクトの返答次第では敵国の貴族として丁重に扱うつもりであったが、今やその価値もない。

 ガイは兵に捕らえながら、何故だと怒りに燃える目でミリアを睨む。ミリアはガイを視界にすらいれず、次々と不要なものを切り捨てるかのように名指しした。

「大詠師モースの謝罪は無用となった。ティア・グランツ、アニス・タトリンを国王陛下名代に対する侮辱罪により捕縛。刑罰については教団との司法取引により決める。刑が確定するまで丁重に扱うように」
「「「はっ!!」」」

 ミリアの命令を受けてキムラスカ軍は迅速にティア達を捕縛した。ティア達の抵抗は簡単に抑えられた。アニス達が助けを求める声が虚しく落ちる。

「イオン様、助けてくださいよぉ!」
「このようなこと許されるはずがありません! イオン様、早く彼らを止めてください!」
「あ……」

 アニス達を拘束されたイオンはますます顔色を悪くした。何故、アニス達が拘束されなくちゃいけないのか。そう問おうとした矢先に、ミリアの先程の言葉を思い出して口が凍りつく。
 何故と問うても、ミリアは答えを返してくれないと思ってしまった。ジェイドとイオンがルークにした時と同じように、知らないことが幸せなのだと酷い言葉を浴びせるだろう。質問する勇気が折れる。

 そうして、イオンはアニス達の信頼を失った。

「イオン様、どうして……」
「イオン様……」

 裏切られたと彼女達の顔は雄弁に心情を告げる。イオンはそんなつもりじゃないと首を振るが、彼女達の責め立てる視線は変わらない。逃げ場を失ったイオンは体を震わせた。耐え切れない。突然、糸でも切れたかのようにイオンは意識を失い、昏倒した。ふらりと真っ白な顔で床に倒れこんだイオンに、ルークは血相を変えて、キムラスカ兵の囲いを飛び出して駆け寄った。

 ルークは現状がよく理解できなかったが、イオンが辛い目にあっていることだけは理解できた。イオンの上体を抱き起こして周囲を窺い見る。ミリアは小さく息を吐き、アッシュは無言で眉間を狭める。仕方ない、と同時に漏らした。

「アッシュ様、ルーク様と導師様を」
「ああ、わかっている。ルーク、導師は兵に任せろ。お前も疲れているだろう。休むぞ」
「けど、」
「導師が心配なら付き添っても構わない」

 だから兵に導師を預けるよう告げる。ルークは戸惑いながら小さく頷いた。キムラスカ兵がイオンを抱き上げて、その後に続くようにルークも歩き出す。アッシュもルークに付き添う形で、ユリアシティの市長に作らせた休憩室へと歩き出す。

 黙ってみていられないのは、ここまで無視されたナタリアだ。

「お待ちなさい! あなた達は何処へ行くのです!? 先程からわたくしを無視するなど、無礼にも程がある! それとも、あなた達は自国の王女の顔すら知らないとでも!?」

 もう我慢ならないとナタリアは喚いた。不快な声に足を止めかけたのはルークだが、アッシュがその背を押した。歩くことをやめない姿にナタリアの怒りは益々煽られる。

「答えなさい!!!」
「――メリルを捕らえなさい」

 ミリアが冷ややかな声を出すと、キムラスカ兵は瞬く間に動いた。ナタリアは驚愕した様子で激しく抵抗するが、兵達は物ともせずに拘束してしまう。ナタリアの細い腕に手錠が掛けられると、屈辱のあまりナタリアは声を失った。

 すぐさま我を取り戻して命令をくだしたミリアを睨む。

 ミリアはナタリアの眼を見つめ返した。ひたり、とミリアに見つめられ、その瞳の色に、目つきに、ナタリアは既視感を覚えた。どこかで見たような――疑問は泡のまま形答えになってくれない。ナタリアは疑問を振り払うように頭を一度振ると、ミリアを敵として詰った。

「わたくしを偽者扱いするなど……万死に値しますわ! このナタリアへの侮辱、決して許しません! いいでしょう……今はあなたに従ってあげますわ。ですが、城へ戻ったら覚えてらっしゃい。インゴベルト陛下が貴方に重い罰を下すことでしょう!」

 兵達は喚くナタリアを引き摺ってゆく。その場にただ一人、取り残されたのはマルクトの和平使者だけだった。ジェイドは目前で行われた寸劇に動揺しながら、それを押し殺そうと眼鏡を持ち上げた。

「……良いんですか? ナタリアはキムラスカ王女でしょう」

 ジェイドはナタリアが王女であることを知りながらも呼び捨てにする。無礼な真似をして良いのかと問うジェイドに、ミリアは国で作られた事実を告げた。

「まさか。ナタリア王女は城で臥せっておられる。あの者の名はメリル・オークランド。ナタリア王女の影武者であり、しかし、いつしか自身が王女であると錯覚し、妄想に取り付かれてしまった哀れな女性ですよ」

 それを証明するように、ミリアは一枚の写真を見せる。その写真を見たジェイドは目を瞠った。ナタリアと瓜二つの女性が赤ん坊を抱えている。その隣に立つのは、黒獅子のラルゴ。

「メリルの両親です。母親が心労で自殺し、そのショックに父親が暴れ、メリルを捨てて国を出ていきました。両親から捨てられたメリルはそのことを知ってからあのようになりました。インゴベルト陛下は立派なお人ですから、自身の本当の父親であれば良いと願ったのでしょう。ナタリア王女が妬ましかったのかも知れません。……影武者とは言え、メリルがキムラスカ国民に代わりない。キムラスカ国民がご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします」

 ジェイドにはミリアの話を否定する要素が無かった。

「……なぜ、もっと早く事情を話してくれなかったのですか?」
「事情を打ち明けるか否か、その判断が難しく。そうこうしているうちにこんなことに。大変お騒がせ致しました」

 と、ミリアはしれっというが、彼の本音は当然違うのだろう。
 信用できなかったのかも知れない。ジェイドは自分がしたこれまでの行動と言動を思い返し、それも仕方ないことだと胸中で呟く。後悔した。自分の想像が正しいのなら、この状況は――。

「少々問題はありましたが、我が国はマルクトと友好的な関係を築き上げたいと思っています」

 ジェイドはミリアの顔をあらためて見る。
 うっすらと微笑を浮かべた面。笑顔というには曖昧で、仮面のように張り付いた笑みに背筋が薄ら寒くなる。
 ようやくジェイドはミリアという人物が、己にとって、そしてマルクトにとって、要注意人物であることを理解する。

「……ええ、ピオニー陛下も貴国と友好的な関係を築き上げたいと願っています」
「それはよかった」

 友好的な関係を築くことはできるだろう。――マルクトがキムラスカに譲歩する形で。

 血を流さぬ密やか戦いは戦争になる前に終わる。国の弱味となりかねない重大な事実を握られたマルクトはキムラスカに先を譲るしかない。
 和平はキムラスカに有利な形で結ばれ、事情を知らぬ両国の国民は歓喜の声をあげた。
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