「お父様っ!」

 離宮に閉じ込めた娘の様子を見て、インゴベルトは小さく溜息を吐いた。
 ナタリアはソファから立ち上がるなり、インゴベルトに足音も荒く近付こうとする。だが国王を守るべく両隣についた騎士に歩みを止められ、不満そうに顔を歪ませた。どう見ても、ナタリアに反省の色は見えなかった。

 ミリアの命令により、キムラスカ兵に捕縛されたナタリアはバチカル城に連行された。両手首を縛られ、逃げられぬよう四方を固められ、正体がわからぬよう厚手の布を被せられて城に連れて行かれる。それは紛れも無く罪人に対する扱いだった。
 離宮に連れてこられるなり、両手首の手錠は外されないまでもそれ以外は自由の身になったのだが、状況の一つも理解していないようだ。インゴベルトは教育を間違ったと胸中でこぼした。

「お父様、早くわたくしを助けてくださいませ。ミリアがお父様に何を吹き込んだのか知りませんが、彼の言ったことは全て出鱈目です。彼はわたくしを偽者扱いし、このような目に遭わせたのです。いいえ、わたくしだけではありませんわ。ミリアは導師イオンやティアたちにまで――お父様?」

 ナタリアの口上が途切れた。
 インゴベルトは苦い顔でナタリアを見つめたまま、緩く首を振った。

「……ナタリアよ、そなたはわしの娘ではない」
「なっ……何を申すのです! わたくしが、不義の子だと!?」
「いや、不義の子ではない。そなたは、王妃と……私の血、どちらも受け継いでいない。そもそも、王妃と私の間に子供が産まれるわけがないのだ。王妃と私の関係は清いものだったのだから」
「――何を言ってますの?」

 引き攣った声をあげるナタリアをインゴベルトは静かな目で見る。キムラスカ王族の象徴である、翡翠の眼。ナタリアは既視感を覚える。ミリアとインゴベルトの瞳の色が、目つきが、ナタリアの記憶の中でピースのように重なった。

 嫌な、予感がする。

 じわりと足元から這い寄る蛇のような悪寒に表情を強張らす。インゴベルトは娘を見ながら、滔々と過去を語りだした。

 話は王妃と結婚する前に遡る。

 インゴベルトは、王妃と婚約する前に、想い合っていた女性がいた。

 内政大臣の娘エリザベス・フォン・ショウブ。彼女はインゴベルトの幼馴染で元婚約者という間柄であった。王家の信頼が厚いショウブ家の娘であったエリザベスを王妃にするのは何の問題もなく、当時彼らは、いや全員が二人の関係を祝福した。

 何の問題もなく、幸せな結婚をするはずだった二人を引き裂いたのは預言だった。

 結婚秒読み段階までいっていたのに、若き大詠師モース――当時は詠師に過ぎなかった彼がインゴベルトの結婚相手は別だと口にして、その証拠である預言を持って現れた。
 預言遵守が当たり前の世相である。インゴベルトはエリザベスと別れ、王妃と結婚した。だが、エリザベスの方は、誰とも結婚することはなかった。いや、結婚できなかったのだ。

 ――エリザベスはインゴベルトの子供を身篭ることになっていたから。

 エリザベスとインゴベルトの間に産まれた子供はユリアの預言に詠まれた存在だった。然るのちに王子として産声をあげ、キムラスカに繁栄を築き上げる王となるとユリアに詠まれていたのだ。
 だが、インゴベルトとエリザベスは当時清い関係で、当然彼女は身篭っていなかった。身篭るような関係を結んでいないのだから当然である。困惑するインゴベルトとエリザベスにモースは言った。

 王妃となる女性と結婚した後、エリザベスにインゴベルトの子供を産ませるように、と。
 そして、エリザベスは生涯独身を貫くようにと。

 インゴベルトも、エリザベスも、そしていずれインゴベルトの王妃となる女性に対しても、三人の気持ちを無視する失礼な発言だった。この時インゴベルトには預言に懐疑的な思考が芽生えた。

 それでも預言遵守が当然の世界である。

 預言にどっぷり浸かっていた当時のキムラスカ王――つまり、インゴベルトの父に押し切られ、エリザベスとの間に子供を作った。断固預言に否定しなかったのは預言を笠にすれば、エリザベスとの関係を続けられるという下心があったからだろう。預言に従えば彼女は他の男に奪われることなく、己の子供を産んでくれるのだ。
 預言遵守の世相の中、エリザベスを縛り付ける理由はそれしかなかった。

 そうこうしているうちにインゴベルトに王位は継承された。王妃となった女性はエリザベスとインゴベルトの関係を預言ならば仕方ないと思い込もうとしたが、上手くいかなかった。自分が将来産むかも知れない子供は王位につけず、預言には他の女性が産んだインゴベルトの子供が王になると詠まれている。屈辱のあまり王妃はインゴベルトと初夜を迎えることも拒否し、その後も寝所を共にすることを嫌がり、惨めそうに部屋に閉じこもって泣いていた。

 インゴベルトが王妃に愛情を抱いていたなら、王妃と距離を縮める努力をしたのかも知れない。だが、インゴベルトだとて、当時はまだ王位を継いだばかりの未熟な一人の青年でしかない。それも、預言さえなければ、愛した女性と政略上何の問題もなく結婚できていたのだ。愛した女性と幸せな結婚をし、二人の血を受け継ぐ子供に囲まれる。王以外の道を選ぶことが許されなかったインゴベルトが個人として抱いたその夢が呆気なく壊されたのだ。

 インゴベルトは王妃を慰めることなく、エリザベスに愛情を注ぎ続けた。ますます王妃は惨めになり、さめざめと泣いて暮らした。しかし、王妃も泣いてばかりではなかった。王妃は彼女を哀れんだ一人の騎士に慰められ、次第に男女の関係になった。

 インゴベルトや預言を知る者たちは二人の仲を黙認した。王妃でありながらと咎めるような真似をする者は一人もいなかった。王妃を哀れな女性だと同情していたのだろう。王妃という肩書きを背負う以上の存在として彼女は認められていなかったのだ。それも無理はなかった。

 王妃は、王妃として与えられた公務はこなすが、自ら積極的に公務に関わるわけではなく、公務外では誰かに賛美されることを待つ女性だった。そんな貴族の令嬢のような王妃を、周囲は都合の良いものとして扱った。それに、どうせ騎士と関係を結び、王妃が妊娠したところで、その子供が王位につくわけではない。王妃が王家の血を継がぬ子供を産むなら、王妃の実家や、騎士に子供を引き取らせるだけだった。

 王妃も咎められないと知り、日中から嬌声をあげるような真似をするようになった。王妃はインゴベルトとの関係を割り切ったものだと考え、公務はこなすが、それ以外ではインゴベルトと言葉も交わさなかった。インゴベルトもそれで良いと考えていたのだ。

 王妃が騎士の子供を妊娠する、その日まで。


「で、ではっ、わたくしの本当のお父様は――」

 王妃の相手を務めた騎士なのか、とナタリアは蒼白した面持ちで問う。

「いや、違う。王妃の子供は男児だった。その子供は健やかに成長を遂げ、騎士となった」

 妊娠した王妃は産辱死を偽装して、のちのち騎士の元に嫁いだ。王妃の子供は騎士となり、今はインゴベルトの傍で国王を守っている。

「え?」

 ナタリアはまさか、とインゴベルトの両隣についた騎士の顔を見る。そう、一人は王妃の子供だった。

「ナタリア、そなたは私の子でも王妃の子でもない。預言によって、王家に迎えられた子供だ」
「――わたくしが偽姫というのは本当ですの……?」

 インゴベルトは頷いた。
 ナタリアは呆然と床に座り込む。自分の金糸の髪をくしゃりと握り、わなわなと震える。

「わたくしが、不義の子だと、噂されていることは知っていましたわ。ですが、わたくしは……自らが真実お父様の子だと……」

 傷ましそうにインゴベルトは眼を細めた。
 ナタリアは恐々と面をあげると、縋るようにインゴベルトを見つめる。

「お父様、わたくしはこれからどうすれば」
「そなたは国王の命令に背き、親善大使一行について行った。王女の身であれど、王の命令に背くような真似をしたのだ。罰を下さなければならぬ」
「お父様、それではわたくしは、王女として――?」

 ナタリアの顔に輝きが戻る。インゴベルトの言葉はナタリアを偽姫ではなく、王女として受け入れた言葉だった。偽姫ではなく、王女として罰をくだされるのならば、まだ良いとナタリアは思っていた。だが、その期待は瞬時にインゴベルトに叩き潰される。

「最初のうちはそう思っていたよ。……ナタリア、そなたはルークを偽者と見なし、私の名代であったルークを侮辱したそうだな」
「それはっ、……ルークが頼りないからですわ! わたくしとの約束も覚えておらず……!」

 ナタリアは咄嗟に言い返すが、インゴベルトの眼光に気圧されてしどろもどろだった。

「王である私が選んだ名代が頼りないと言うか。お前は、私をも侮辱しているのだと何故わからない? 偽者に対して厳しい態度を取るお前なら、お前がこれからどういう扱いを受けるのか、おのずと理解できるはずだ」
「お、お父様……っ」
「――お前にとって、私も偽者の父親だったのだろう。残念だよ」

 インゴベルトは諦めたように呟く。

 ナタリアはハッと息を飲み、大きく震えると、インゴベルトに縋ろうとした。だが、王の護衛騎士がナタリアの行動を阻む。インゴベルトは静かに背を向け、告げた。

「明朝、ナタリアの病死を国民に告げる。キムラスカ王家の秘密を知ったそなたを野放しにするわけにはいかぬ。真実を知り、なお自らを王女と口にするのならば、誇り高い最期であることを望む。お別れだ、ナタリア」
「お父様――!」

 インゴベルトは背に娘だったはずの女性の絶叫を受けて、歩き始めた。騎士が付いて従う。そうして、部屋に残されたのはナタリアただ一人。インゴベルトを追いかけようにも、部屋の外にいる監視役がナタリアの行動を制止する。
 ナタリアは夜更けまで泣いた。涙が枯れ果てて、出なくなるまで泣いた。

 そして、太陽が昇る。

 部屋に一筋の白光が射し込む頃、タイムリミットを告げるように厳かに数人の男達がナタリアの前に現れた。
 恐怖に慄くナタリアに男達が差し出したのは、とろりとした透明の液体が入った、一杯のゴブレット。

「陛下のご慈悲です」

 ナタリアは蒼白な面持ちでそのゴブレットを呆然と見つめた。受け取りもせず、拒否することもできず、崩れ落ちたナタリアを男達は仕方なさそうに支え。
 一向に行動しないナタリアに溜息を吐くと、彼女の顎を持ち上げて、ゴブレットを口に当てて液体を流し込んだ。
 ナタリアは最期まで、預言に詠まれた王子が誰なのか知ることはなく。

 ――その生涯に強制的に幕をおろされた。




 あくる日、ナタリア王女の病死の訃報が伝えられた。
 キムラスカ国民は愛する王女の訃報に喪に服した。悲しみに暮れる国民の心を慰めるように、インゴベルト国王が預言によって隠されていた王子の存在を告げる。困惑する国民に、王子は母親の実家の姓を名乗り、今まで国の政治に貢献してくれた人物だと国王は口にした。

 そのキムラスカ王子の名は――。
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