「愚かなことを申すな!」
――ナタリアの言葉に対する返答は、鋭い叱責だった。
インゴベルトは血圧が上がった真っ赤な顔でナタリアを叱り飛ばす。何故だと問い返すことすら愚問だと叱責されそうな声だった。ぐっと喉奥で詰まった息を吐き出すように、ナタリアはそれでも声をあげた。親友である、ティアのために。
「何故ですの!? ルークとティアは愛しあっていますのよ!? ティアはユリアの子孫です! たとえ貴族でなくとも、貴重な血を持っていることには代わりありませんわ! ティアはキムラスカ王家に迎え入れるに足る資格を持って、「それ以前にあの者が何を仕出かしたのか忘れたのか!」え……?」
ティアが何を仕出かしたのか。ナタリアは綺麗さっぱり忘れ去っていた。元々過去を顧みるような性格はしていないのだ。ナタリアはきょとんと目を丸くする。その姿が怒りを買い、インゴベルトは眉を吊り上げて口から泡を飛ばすほどの怒声を投げた。
「あの者のせいで、ファブレ公爵家がどれほどの損害を与えたと思っている! ファブレ公爵家でユリアの譜歌を歌い侵入したあげく、警備を無効化させ、ルークやシュザンヌ、使用人たちの身を危険に晒したのじゃぞ!!」
「――それは、」
インゴベルトの言葉をきっかけに、記憶からティアのやらかしたことが蘇った。ナタリアは一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直してティアを庇った。
「モースから謝罪を受け取ったではありませんか。それに何事もなかったようですし……」
「何事もなかったと思っているのはナタリアたちだけじゃ。あの後どれほどファブレ公爵が苦心したことか! 謝罪で許したのは当時我が国が預言を妄信し、ダアトの権威があったからこそ。そうでもなければあの女は処刑していた。王族に危害を加えたのじゃ。一族の血をもって罪を贖わせても良いくらいじゃ」
「そんな……ティアはヴァンを止めようと必死でしたのよ? 処刑だなんてあまりにも残酷すぎますわ!」
「何が残酷か。止めようと必死なわりにはティア・グランツは暢気にしておったではないか。それに止めるなどというが、あやつがヴァンを止めようとした試しなどないじゃろう!」
「ティアはヴァンを説得していましたわ! カイツールで一度、アクゼリュスで崩壊後も、健気にティアはヴァンを止めようと説得を重ねていましたわ!」
「説得? ファブレ公爵家をヴァンの殺害場所に選んでおいて何を甘えたことを言うか! 殺害意思を固めたからこそ、ファブレで犯行に及んだのだろう! 説得などとうに段階を越えておるではないか! 二度も説得したじゃと? そのような機会がありながら、あの者はヴァン・グランツを殺害できなかったというか。家族の情に揺らぎおって。あの兄妹のせいでどれほど世界が、我が国が被害を被ったと思っておる! 二度も兄妹で”ルーク”を誘拐しおって……まったく忌々しい!」
「それは……」
ティアをどう庇えばいいのかわからなかった。湯気が立ちそうなほど、ティアに対して、怒りを覚えているインゴベルトは言葉を続けた。
「あの女にはユリアの血しか価値がない。ユリアの血を繋ぐだけならば、その相手がルークである必要などないのじゃ。キムラスカ王族にユリアの子孫とは言え、罪人の血を入れるなど冗談でないわ!」
「お父様……」
「それにナタリア、そなたはルークの結婚に気を揉んでいる暇はないぞ」
「え?」
ナタリアは理解してくれない父に悲しい表情をした。だが、それも長くは続かなかった。不意に厳しくなったインゴベルトの声音に不吉な予感を感じ取り、顔を強張らせる。
「そなたはわしの娘として認めたが、将来的には降嫁することになる。今そなたの夫を選別しておるところじゃ。半年以内に決まるだろう」
「そんな……!」
ナタリアに衝撃が襲う。ルークとアッシュは同時に帰還していた。ナタリアは、アッシュと結婚できるものだと、約束を果たす未来が実現するのだとばかり思っていた。
「あ、アッシュは! わたくしとアッシュの結婚は――!?」
「アッシュは、わしの隠し子として王家に迎え入れる。教育を受けてから、次期国王として、そなたの義弟として国民に披露することになるじゃろう」
「お、義弟!? 何故ですの!? わたくしの婚約者として、ルークの兄にすれば良いではありませんか!」
「何を馬鹿なことを申すか。そなたは王家を謀った乳母の孫娘じゃ。王妃の椅子に座れるわけがない」
「――! わ、わたくしを娘と認めてくださったのではないのですか!?」
「認めておるさ。だが、それとこれとは別じゃ。わしの娘として認めても、国の後継者としても国母としても認めるわけにはいかぬ。そなたは地位を軽視しすぎておるのじゃ。王の命令を無視して、国を飛び出した者を王妃にできるはずもない」
「わたくしがいつお父様の命令を無視したというのです!?」
あれこれ理由をつけて、王妃の座と、アッシュの婚約者の立場から引き摺り下ろそうとしている。ナタリアは理不尽に言い掛かりをつけられているような気分になりショックで青褪めた。それに対するインゴベルトの反応は冷たかった。
「忘れたというか……ナタリア、わしはほとほとそなたに愛想が尽きそうじゃ。過去を蒸し返すが、そなたはわしの命令に背いたろう。マルクトから和平が持ち込まれた際、アクゼリュスの住民の救助を頼まれたじゃろう。その時、わしは言った。そなたがアクゼリュスに行くことはならんと」
「それは――……わたくしは大事な和平をルークの失態で壊すことにならないよう、彼の補佐をしなければならないと思って、」
「それがルークを脅迫してアクゼリュスに同行した理由だと? あげく、ルークがヴァンに亡命を唆されて看過した理由だと申すか!!」
「っ!」
インゴベルトの怒りの矛先が自分に向いた。それがまっとうな理由だったからこそ、ナタリアは怯えて後退する。
「王族の亡命は国家反逆罪で死罪になることもある。そなたはそれを理解していた。だというのに何故ルークの亡命を黙秘した? あの時そなたがそれを言っていれば、ヴァン・グランツを王族に亡命を唆した罪人として拘留しておく理由ができた。あまつさえ亡命を唆された件をルーク相手に脅迫に使うとは……そなたの性根が知れるわ!」
「お、お父様……」
「アッシュにもルークにもハンデがある。アッシュには罪がある。ルークはレプリカじゃ。二人には誰も文句がつけられない女性を娶って貰わねばならぬのだ。それはナタリア、そなたも同じじゃ。王の命令を無視したそなたには、王家に忠実な者から新たな婚約者を選出する」
ナタリアの顔色は悪くなる一方だった。青から白に顔色を忙しなく変えて、ついには身体を小刻みに震わせる。インゴベルトは今まで娘の哀れな姿を見れば、たとえ彼女の非を見ても、ほどほどで叱るのをやめた。その結果が今のナタリアの姿だと、インゴベルトは知っていた。これ以上看過してはならない。
「これでよくわかったじゃろう。そなたとアッシュの結婚は夢物語でしかない。ティア・グランツとルークの婚姻もまた同じじゃ」
――その言葉をきっかけに、以後、ナタリアの生活は息苦しいものに変化を遂げた。
王女の顔色を窺っていた家庭教師は解雇され、一新した。
一から厳しい教育を受けると、今までどれほど自分が王女として甘やかされていたか、必然的に気付かされる。道理を説かれ、初等教育を受ける恥辱に耐え切れず泣き伏して父に考えを変えてくれるよう、訴えるたびに一蹴された。
ナタリアの婚約者として選出されたのは、特殊な性癖を持つ以外は皆が羨む王家に忠実なやり手の伯爵だった。アッシュとの再会は叶わず、彼の息災を噂という形で聞く。アッシュの教育は順調に進んでいる、ルークとの仲も良好、婚約者が決まった――そうして、ナタリアは諦めた。
自分の根幹を揺るがす教育、約束したアッシュが迎えにきてくれない事実、豹変した父。それらはナタリアの甘えた思想を打ち砕くには十分だった。ナタリアの家庭教師は口を揃えていう。
王の顔に泥を塗り、個人的な感情のまま、王女は王族の権力や義務を放棄したのだと。そのようなつもりはなかったと返せば、この場合は事実が重要であって、王女の心情など関係ないのだと言われる。犯罪者と交流を温め、長らく国を留守にしていた王女に対して、寛大な王は温情を与えてくれた。そのことに感謝こそすれ理解せずに愚痴を垂れるとは、どこまで自分勝手なのだとナタリアの言動を責める。
長い間、ただ一人の王女として大切にされてきたナタリアは厳しくされることに耐性がなかった。
精神的に弱っていく中で、自衛の手段として学んだのは、『自分は正しくないこと』。
――和平のためと思い、親善大使一行に自分が同行したのは間違いだったと、認める。
王の命令に背き、その間王女が受け持っていた公務は完全に停止した。公共事業や慈善活動に大きな損害を与えた。責任者であるナタリアが城を飛び出したせいで、公共事業は停止し、その収益で行われるはずだった慈善活動の費用は税金で補われた。失われた巨額の税金。
ナタリアの脳に衝撃が走った。知ってしまった事実は変わらず、知らなかった自分に戻ることもできず、現実から目を背けることも許されない。
――アクゼリュス崩壊後、世界滅亡を防ぐため、ルーク達に同行して旅を続けたのは間違いだったと、認める。
街崩壊後、王女の死を理由に王は宣戦布告した。王女が出奔していなければ、戦争は行われず、ルグニカ大地の崩落に数多のキムラスカ兵士が巻き込まれずに済んだ。
和平のためという大義名分を翳し、行動した結果、ナタリアは自分が守りたかったキムラスカ国民の命を犠牲にしていた。その事実はナタリアの心を突き刺した。傷ついているナタリアを知りながら家庭教師は言葉を重ねて、彼女の罪を列挙し、非難し、否定する。
問題点を突きつけられる。
罪を突きつけられる。
愚かな自分を暴かれる。
もう耐え切れなかった。自分の考えが全面的に正しいと、盲目的に思い込んで行動した故に、今が生まれた。それを知りながら、自らが正しいと思い込むことはできなかった。
ナタリアは自分を守るために、父と、将来の夫の、聞き分けのよい人形となった。思考を放棄したのだ。
ルークとミリアの結婚式を参加者の列に加わりながらナタリアは、新郎新婦の新たな出発を見守る。
その白い面には、ルークに恋するティアを思う感情はなかった。あるのはミリアとルークの結婚を祝う、参加者として相応しい表情のみ。花嫁の白いヴェールを上げて、ルークがミリアに顔を寄せる。新郎新婦の誓いのキスを、ナタリアはじっと見ていた。
「おめでとう、ルーク」
そうして、ナタリアは淑女に相応しい微笑みで祝う。
一瞬、脳裏にティアの泣き顔が浮かんだが、すぐに消えてなくなった。ルークとミリアの結婚式を眺めながら、次は自分の番だとぼんやりと思ったが、やはり、すぐに消えた。
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