「……ティアはずるいよ」

 アニスはティアから届いた手紙を破り捨てる。栗色の眼は彼女の心情を映し出すように濁っている。絶望と諦観と怒りに染まった眸は、自らの悲劇を嘆くティアの言葉を憎らしげに眺めていた。


  *


 ヴァン謡将を倒してダアトに帰還したアニスは、ルークが成人式を迎える日まで、いつも通りの日常を過ごしていた。その日常が瓦解したのはつい先日のことだった。

 アニスは導師候補生となったフローリアンの守護役として日々明け暮れていた。 
 フローリアンはアニスの両親が一時的に面倒を見ていたが、お人好しの両親に預けておくと色々と懸念が尽きず、トリトハイムに相談したところ導師候補として迎え入れてくれたのだ。懐いていたアニスからフローリアンは離れようとせず、その流れで、アニスは再び導師守護役として迎え入れられた。
 イオンの次はフローリアン。男に取り入ることが上手い。そんな不名誉の噂を立てられながらも、やっかみだと無視して三年間過ごしていた。

 今の日常に取り立て不満はなく、自分が導師になれなくても、このままフローリアンの世話をして一生過ごすのもいいかな――と思い始めていた。フローリアンは成長期を迎えてすくすくと育っていく。精神的には一桁でも、三年の時を経て、フローリアンは見た目だけは立派な十七歳になっていた。十七歳の外見を持っていたルークよりも背丈が伸びて、イオンの成長を見ているような気分になって、アニスは懐かしい思いと同時に切なさを覚えた。イオンに向けられていたほのかな恋心が、フローリアンにも向けられるようになって、アニスはイオンのことが自分の中で思い出になったことを知る。

 導師として十分な課程を修めたフローリアンが導師になることが決まり、新導師就任に伴い、ローレライ教団の中で大編成が行われ、同時に、空室の整理に乗り出した。
 ローレライ教団は創世歴に建築された建物だ。何度か増築、修築を経ているが、建物の規模は創世歴時代と変わりない。何度か世界大戦を経て、いくつもの国々が消失してゆく中で、人も減り、教団員も減っていった。それにヴァンが教団員を連れて離反したことも重なり、空室がいっぱい余っていた。

 教団が今の規模を保つ必要はないのではないか――そんな話が出るのは、必然だったのだろう。

 未使用の部屋を、逢瀬の場として利用する恋人たちがいるのはともかくとして、悪事の密会などに利用する者もいる。空室の整理をする過程で、ヴァンやモースが空室の一部を個人目的のために利用していたことを知り、良くもこれほどの不正を見逃していたと唖然とする出来事もあった。
 ヴァンが使っていた部屋の一部は、レプリカの研究施設に利用され。モースの部屋では、教団の運営費の横領や、賄賂と見られる証拠、脅迫のネタが見つかり、各国に放った密偵から届いた文書が大量に保管されていた。

 ――それが、アニスの日常を一変させた。

 モースがアニスを脅迫していたと思える証拠と、文書が見つかり、彼女に密偵疑惑が持ち上がった。
 前導師の守護役にして、英雄の一人として名を連ねたアニス・タトリンが密偵。その疑惑を信じる者はそう多くなかったが、だからこそ厄介だった。アニスの無実を信じる者たちが――評判を上げるためにアニスを利用した教団の上層部たち、教団に多額の寄付をしてくれた権力者たち――疑惑を晴らそうと躍起になったのだ。
 すぐさま綿密な調査が行われた。査問会が開かれ、厳しい追及が昼夜問わず行われるうちに、アニスの精神はゆっくりと磨り減っていった。調査が進むうちに疑惑が確証のものになり、英雄を信望していた権力者たちが今度は糾弾に回った。最後までアニスを庇っていたのは、フローリアンと両親だけだった。フローリアンには感謝の気持ちしかないが、両親が自分を庇うべく言葉を重ねるうちに、アニスの中で、心の底に根ざしていた両親への怒りが徐々に膨らんでいった。

(こんなことになったのも、元はといえば、パパとママのせいなのに)

 ぐっと堪えた言葉は、ずっとアニスが長年抱え続けていた思いだった。
 アニスの口から吐き出されなかった言葉。その言葉を、調査官は呆気なく査問会で告げた。

 "両親が多額の借金をして、その返済に困ったモースが肩代わりし、恩を感じたアニスが密偵になった"
 "アニスの両親にも責任があったのでは?"

 そんな、と両親は言葉を失い、次の瞬間には否定を返した。
 たしかにモースは借金を肩代わりしてくれた。
 だが、それはモースの善意で行われたことだ。
 それは、アニスが自らスパイを買って出たという、娘を売る行為だった。

 両親にはそんなつもりはなかったのだろう。彼らは事実を話しただけだ。
 両親に対して、モースは善意で借金の肩代わりをしたように見せた。
 他人が困っていれば、すぐさま手を差し伸べる。アニスの両親はそんなお人好しだった。そもそもにして、借金だらけになったのも、他人の借金を肩代わりしたり、詐欺に合ったりしたからだ。
 表面にしか目を向けず他人に情を向ける両親が、借金の肩代わりを申し出たモースの下心と打算に気付くはずもなく、アニス一人が気付いた。
 その結果が、モースの密偵である。
 堪え続けてきた両親への積年の怒りは、コップに注がれ続けた水が溢れるのと同じくらいに自然に発露した。
 
「ふざけないでよ! 誰のせいであたしが苦労したと思ってるの!? パパとママのせいじゃない!! 生活が苦しいのに、人にお金を騙し取られたり、借金したり! 今まで誰のおかげでパパとママが普通に暮らせて来れたと思っているのよ! あたしのおかげじゃない!!」

 アニスがぶちまけた本音に両親は絶句した。血の気が引いた顔で娘を凝視する両親の顔を見て、アニスの心は幾分晴れた。――その代償に、家族の絆は壊れてしまった。


 
 幸い世間は、未成者のアニスに対して優しかった。アニスに下された処分は、前導師守護役当時に受け取った給料の全額返還と、解雇処分だった。当然、導師候補生、導師守護役の地位も剥奪されて、フローリアンの傍から引き剥がされた。この処分を妥当と思う者は少なかったが、だからといってこれ以上の処分を求める気はないようだった。アニスが未成年者であること、また密偵行為の理由を思えば、同情の余地はあると考える者が大半だったのだ。
 アニスの処分が甘くなった代わりに世間の厳しい糾弾を受けたのは両親だ。

 娘が自分達のせいで苦しんでいることにも気付かずに、何度も詐欺に遭い、借金を繰り返す。そしてまた娘がその借金を返すためにモースの言いなりになる。負のループを作った両親は元々人が好かったので、世間に対して娘のしたことに頭を下げて謝った。

 糾弾と謝罪の繰り返しで、精神が疲弊していった母は呆気なく心労で倒れて儚くなった。そんな母を見た父は、妻を亡くした責任を背負い込むよりも、娘に責任転嫁した。アニスが密偵をしたから、その謝罪で心労が祟って妻は亡くなってしまったのだと。自分達が悪かったなら、モースの密偵になる前に言ってくれればよかったじゃないか――父の言葉はアニスの心に深く突き刺さった。

 以来、父はアニスに対して言葉をかけるどころか、顔を合わせることもなくなった。

 ダアトではアニスの顔も名前も広がりすぎていて、どこも雇ってくれるところがない。かといって、この家から出れば、自らが犯した罪から逃げ出す気かと周囲が厳しい目を向けてくる。八方塞のアニスには何もできず、ただ部屋に引き篭もる日々を送るしかなかった。
 

  *


 そんな生活を送る最中に届いた、ティアからの手紙。

 ティアの名前を見た瞬間、アニスはそのままゴミに出そうか悩んだ。ティアからの手紙だったから、というわけではない。自分達が英雄と呼ばれるようになった旅を共にした仲間からの手紙は見たくなかったのだ。英雄として光の道を歩んでいた過去と、その道から転落した今の自分を直視させるものとは、距離を置きたかった。
 だから、本当は、手紙の封を切ることすら、嫌だった。
 だが、家族の絆を失い、フローリアンへの恋も断ち切られた今、仲間から届いた手紙を捨てることもできなかった。
 だって、そうしてしまえば、アニスは完全に独りぼっちになってしまう。
 そんなのは嫌だった。

 封を開けることもできないまま、二ヶ月以上、手紙は机の上に放置されていた。

 だが、噂伝えに、ナタリアが誰かと結婚することを聞いて――相手がアッシュではなく、名前も顔も覚えが無い相手だと知り、彼女の恋が破れたと確信したことで、アニスの中で手紙を開けてもいいかなと思う気持ちが芽生えた。ジェイドの昇格が一生無くなった事実を聞いてまた芽生えた気持ちが育ち、ガイの転落した人生に大きな笑い声をあげた瞬間には、ティアの手紙を読む気になっていた。

 嬉しかった。
 不幸になった自分と同じように、仲間も差はあれど不幸になっていたから。

 自分よりも不幸の人を見て喜ぶような、性根が曲がった人間にはなりたくなかったのに、今のアニスにとって自分と同じくらい、自分よりも不幸な仲間たちが嬉しかった。ティアも不幸になっていればいい。腐敗した思いがティアから届いた手紙の封を切らせた。

 読んだ瞬間に、ティアに対して激しい怒りが湧き上がった。

(ティアはいいよね)

 ティアの手紙は、ミリアへの嫉妬と、ルークの妻を名乗ることができない悲しみが綴られていた。

(愛人でもルークとくっつくことができたのに。生活の心配なんてしなくていいのに。すべて手に入れているのに、何の不満があるの。ずるい。なんでティアだけこんなに幸せなの)

 ティアの生活は保障されていて、好きな人にも愛されているのに、不満を持っている。その事実はアニスの心を酷く打ちのめした。嫉妬と憎悪が湧いた。こんな手紙、と悲劇のヒロインを気取るティアの手紙を細かく破り捨てて、それでも物足りないというように、皿の上に集めて火を点す。

(ずるい。なんでティアばっかり。あたしはこんなに不幸なのに。なんであの女だけ。ティアも不幸になればいいのに)

 手紙を焼く火を眺めながら、アニスは怨嗟の声を吐き出した。

「ティアが恋も地位も生活もすべて失って、不幸になりますように」
 
 他人の幸福を祝えるのは、自分が幸福なときだけだ。神様どうか、お願い。ティアが不幸になりますように。アニスの願いは、火から上がる煙と共に天に届く。


2014/08/06

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