ルークがレプリカだと知れたとき、シュザンヌは心に決めたことがある。
自分だけはルークの絶対的な味方でいようと。
シュザンヌは、ティアではなく、ルークの味方だ。
アッシュとルークが無事に帰還したとき、二人が置かれた立場はシュザンヌが想像していた以上に悪かった。
三年前、預言を信望した先に見えるものが世界の破滅と知り、各国は預言離脱へと踏み切った。
だが、預言は生活の至るところに密着していた。金銭的な事情により、一年に一度という頻度しか預言を詠んでもらわない庶民ですら、預言を尊ぶのは当然という考えを持っていた。裕福な暮らしをする者ほど預言に対する依存度は高く、そういう者ほど政治の中核に身を置いていた。
キムラスカ国王は預言に政治の舵取りを任せ、ローレライ教団に内政干渉されても、目を瞑っている有様だった。
マルクトとて、皇帝陛下が預言に対して不信感を抱いていたにも関わらず、和平使者を預言で選んだほどである。
預言という指針に従って生きてきた者たちがいきなり、預言から離脱することになりました、預言に従わないでください――と言われても困惑と混乱を覚えるだけだ。
自分の意思を葬り去っていた国民は、政府は、混乱を極めた。
キムラスカ王国は度重なる不祥事により、現王並びに政府に対する国民の信頼性が失われていた。
大詠師モースを通じて、複数回にわたるローレライ教団の内政干渉。神託の盾騎士団兵による公爵家襲撃、カイツール軍港の襲撃事件、シェリダン襲撃事件、王女すり替えなど、ローレライ教団に対する不信感は根強い。それに対して教団に何らかの抗議行動を起こすかと思えば、親善大使一行に教団員を含め、特に何の対処もしない。
カイツール軍港の被害者遺族、シェリダンの被害者遺族は国の対応を許さなかった。
現王政府に強い不信感を抱き、またナタリア王女に対しても厳しい目を向けた。
キムラスカ国民はナタリア王女を愛しているが、彼女の我儘を許容することはなかった。
謁見の間で王に止められたにも関わらず、王女は親善大使一行に同行している。その事実がどこからともなく流出した後、国民は偽姫騒動とは打って変わってナタリアを非難した。王女の身勝手な行動によって引き起こされた様々な事態――中でも宣戦布告の理由となったことに、戦争被害者の遺族に例えようもない苦しみと怒りを抱かせた。
キムラスカは、親善大使一行の数に数えられていなかった王女の死を理由に開戦した。マルクトと戦争が始まり、キムラスカ王国軍はルグニカ大陸でマルクト軍で衝突し、その時点で多数の人命が喪われている。しかもルグニカ大陸はヴァンの凶行により、魔界に崩落している。生存者はゼロだった。
ナタリアが親善大使一行に同行しなければ、戦争は始まらなかったのではないか――そう思ってしまう国民が少なからずいる事実は消せない。ましてルグニカ平野の戦いと呼ばれる戦争に参加した、兵士の遺族ならば尚更のこと。
ナタリアはキムラスカ国民のみならず、マルクト国民にも不信と怒りを抱かせてしまったのだ。
そんな彼女が、偽姫である事実を抜いても王位を継げるわけがない。国民の支持を維持し続けることができたのなら、アッシュの婚約者として無邪気に過ごすことができただろう。だが、国益を損ね、民の信頼を失い、王家の威信を貶めた偽姫を誰も担ぎ上げようとしなかった。それどころか、彼女を排斥する動きを水面下で見せる有様である。
本来ならば国家反逆罪の罪で死罪にされていてもおかしくはない――インゴベルトは娘への最後の愛情として、ナタリアの命を助けるために、王家に忠実な者に彼女を降嫁させるという手を打ったのだ。
ナタリアがアッシュの婚約者から引きずりおろされたのは、そういう事情があった。
シュザンヌは、幼い頃の約束を大事に抱えたまま成長した二人が、約束通りにお互いに寄り添う未来を思い描いていた。だが、それは現実では夢物語に等しい。何よりも、シュザンヌはナタリアよりも息子を守りたかった。ナタリアと共に生きることを選べば、息子の行く先は破滅しか見えないとわかっているのに、応援できるはずがなかった。アッシュの心だけは守りたかったから、ナタリアをアッシュの側室にしたらどうかと兄に進言してみたが、それも上手くいかなかった。
アッシュはカイツール軍港襲撃という弱みを握られたまま、次期国王として立つ。正妃のほかにも何人か側室を娶ることになるかも知れない。側室の後ろ盾である、名家の後援を期待して。せめてアッシュの隣に立つ女性が、良き理解者であると良いのだが――ルークの妻と同じように。
「……は、ガラスの靴を置いて…………24時の鐘が鳴ると……」
「ぁーう」
音読するルークを急かすように、赤ん坊が小さな手で絵本を叩く。両手を振り回して続きを催促する息子の姿に、ルークは仕方ないというように笑みを浮かべてみせた。物語を音読することに不慣れな――それを言えば、絵本すら慣れていない――ルークはところどころ舌を縺れさせながら、それでも絵本を読み続ける。父親が息子に絵本を読む。その光景は見る者の頬を緩ませるには十分だった。
シュザンヌが見守る前で、急に機嫌を損ねた赤ん坊が両手を振り回して暴れ始めた。ひっとしゃっくりするように短い呼吸を繰り返して、泣き出しそうになる。ルークは慌てたように拙い手つきで赤ん坊を抱き上げて、「ほーら、ルキウス、笑ってー」と左右に揺らしてみるが、父親の抱っこの仕方に不満を感じた赤ん坊は口を固く結んだ。
と思いきや、大きく口を開けて、――ああ、泣き出してしまう。
シュザンヌが椅子から腰を浮かせた瞬間、穏やかな声が聞こえた。
「まあ、ルキウスどうしましたの」
息子の妻が、ルークの手から赤ん坊を受け取って抱き上げた。ぽんぽんと背中をやさしく叩きながら、身体をゆらりゆらりと揺りかごのように揺らす。ひっく、と赤ん坊はしゃくりをあげたが、泣き出すのをやめた。ミリアは赤ん坊にやさしく微笑みを向けている。安心感を得た赤ん坊も、不機嫌に歪めていた顔を笑みに変えて、「きゃーぁ」とはしゃぎ声をあげた。泣いたと思った次の瞬間には笑っている。天気のように気まぐれな赤子にルークは目を丸くしたあと、穏やかな笑みを浮かべていた。
(ああ――……クリムゾンは間違っていなかった)
そこには、絵に描いたような、幸せそうな息子夫婦の姿があった。
シュザンヌはその光景をまぶしそうに目を細めて見守っていた。
政略結婚は家の事情でするものだ。そこに本人の意思は関係ない。ファブレ公爵家ともあれば、王族筋に当たるため選べる立場にある。だが、所詮は選別された中から選べる自由だ。本当の自由など無い。
ルークがティアを迎え入れたいと言ったとき、シュザンヌはそれでルークの心を守れるなら彼女の存在を受け入れようと思った。クリムゾンがルークに婚約者を見つけてきた時は何と酷い真似をするのだろうと顔を顰めたくなった。ルークも、ティアも、ルークの婚約者を受け入れることなんてできないだろう。ルークの婚約者だって、政略結婚であることを抜きにしても、自分の目の前で夫となる男性が他の女性と愛し合っている姿を見ることになる。三人が不幸になる茨の道をどうして選ばせようとするのか。そうしたシュザンヌの諸々の懸念を吹き飛ばして、築き上げられた息子夫婦の幸せな姿がそこにあった。
クリムゾンは間違っていない。ルークにティア以外の妻をと望んだ、夫は間違っていなかったのだ。
不意にルークが顔をあげて、どこかに視線を投げる。
(――あら?)
ルークの視線を追うと、その先にはティアがいた。
森の木に紛れて、ひっそりと此方を窺っている。目をきつく吊り上げて、息子夫婦を睨んでいた。ルークの顔が強張る。
「ルーク様?」
ミリアが声をかけると、ルークはハッと息を飲んで我に返る。
「あ、ああ……なんでもない」
ティアの視線から、妻と子供を庇うように位置をずらす。
(今のは、なに?)
ティアは息子夫婦の仲を見せ付けられて、嫉妬していた。その気持ちはわかる。哀れという思いを抱く。だが、今のルークの表情は――。
「あーぁ!」
可愛らしい孫の声に、意識が奪われる。
ぺちぺちと小さな手がミリアの頬を確認するように叩いていた。ルキウスはルークの元に戻せと言っているらしく、体を捻り、ルークに向かって手を伸ばした。ミリアをルークの元にルキウスを戻してやり、ルークは再び息子を抱き上げながら絵本を読む。
絵本の内容は、一度は誰もが耳にしたことがあるような内容だ。
意地悪な姉妹にこき使われて、舞踏会に出られなくて嘆いていた少女を、魔法使いが美しく着飾らせて舞踏会に連れていったら、王子様に見初められたというもの。
一般的に物語の中の少女は庶民と言われ庶民の憧れを買っているが、裏話では、少女は庶民ではなく下級貴族と言われている。真偽のほどは作者ではないシュザンヌはわからないが、王子と下級貴族の恋はさておきとして、王子と庶民の恋など、上流階級に生きるシュザンヌにとっては、ロマンチックだが現実味がない話だと思った。
虚構だから許せる恋。
その一言に尽きる。
アッシュと偽姫のナタリアも、ルークとティアもそうだったのかも知れない。
夢物語として終わるからこそ、許せた恋だったのかも知れない――と、最近、よく思うのだ。
2014/08/06
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