エルドラントで意識を失った――音素に溶けたルークは音譜帯でアッシュと共にいた。大爆発現象でアッシュと融合しそうになったところ、音譜帯に引き上げられて、そこにいたローレライが時間はかかるが二人分の体を再生させてくれるといった。大きなお世話だと二人とも思いながら、ローレライの厚意に唾棄し、諦観していた。ルークも、アッシュも、疲れ果てていた。生への渇望はとうに消え、疲れて、何も煩わせられることなく深い眠りにつきたかった。
 永劫の安らぎは奪われ、二人は仕方なく、ローレライと共に地上で暮らす人々を眺める。

 世界滅亡を阻止したルークたちは、英雄として世界に持て囃された。
 音譜帯から地上を眺めていたアッシュとルークは人々の動向を客観的に眺めることができた。英雄と持て囃されるティアたち。彼女達の未来を阻む者は誰一人存在せず、その様子を眺めていたアッシュが腹立たしいと憎悪の声をあげた。

「何が英雄だ。英雄譚を作り上げてこれまでの犠牲を美談に仕立て上げているだけだろうが」

 タルタロスの乗員、カイツール軍港の犠牲者、アクゼリュスの住民、パダン平原の戦争で亡くなった軍兵、シェリダンの住民、障気中和で喪われた一万人のレプリカ――これまでに失われた数万人の犠牲を、国も民衆も美談にしてしまった。
 ルーク達が命を賭けて救った世界は、救えたはずの命を顧みることなく、過去から何も学ばず、同じことを繰り返して綺麗ごとを吐いて生きている。

「このまま戻れば、お前は外堀を埋められて、ヴァンの妹と結婚させられるぞ」

 ルークと融合しかけたアッシュは一番の理解者になっていた。ティアに対して、好意というにはあまりにも苦味を伴う複雑な感情を抱えているルークに気付き、心配しているのだ。遠からず二人は音譜帯から地上に戻る日が来る。その日が来れば、二人はキムラスカ王国のために生涯を捧げることになるのだ。

「げぇマジかよ……」
「父上は嫌っているようだが……叔父上がナタリアの味方になれば、どうなるかわかんねぇな」
「うへえ勘弁してくれよ……俺もうあそこに戻りたくねえ。アッシュ一人だけ戻れよ。俺もういいや。あそこに戻りたくない。ずっとここにいたい」
「いくらなんでも十年も生きてないガキが、人生を投げ出すのは早いだろ。……俺だって戻りたくねえよ」
「しょうがねぇだろ……アッシュも経験してみりゃいいんだよ。記憶喪失だと思われて、ナタリアに”約束を思い出してくださいませ!”と腐るほど言われて、ティアに”あなたって何も知らないのね””お人形さんなのかしら””詠唱中は守って!”ってウゼーこと言われて、何か言えば”失望させないでくれ”ってガイに言われて”最低”ってアニスに言われて”見限ることができるのよ”ってティアに言われてみりゃいいんだ」
「それを言うならお前、居場所を奪われる経験を味わって、」
「俺ユリアシティでそれ経験したぞ。ナタリアはお前が被験者だって知って、すぐに”あなたが本物のルークでしたのね!””本物のルークはここにいますのよ!”つってたじゃん。ナタリアもガイも俺置いてお前にくっついて行ったし」
「俺が悪かった」
「不幸自慢は悲しくなるからもうやめようぜ」
「ああ、そうだな……なんで俺らだけこんな目に遭ってんだろうな」
「やめろよ。悲しくなる。つーかムカついてくる」
「――だが、あそこに戻れば、ムカつくじゃ済まない。お前はヴァンの妹の婚約者にされるだろうな。俺も、同じだが」
「マジ嫌だ……」

 ルークはウンザリと溜息をこぼした。ますます地上に戻るのが嫌になる。このまま音譜帯にいたい、消えてしまいたいと思う心は止められなかった。

「ヴァンの妹のために、お前の人生を不意にするな」
「そうはいうけどさ……俺にどうしろっていうんだよ。俺が拒否しても、あいつらはきっと照れてると思い込む。それで俺はティアに付き纏われていつの間にか結婚することになってるんだ」
「――それなら、お前があいつの行動を監視して、制限しろ」
「は?」
「あいつを囲い込めって言ってんだよ」
「な……んでそうなるんだよ! あいつと結婚しろっていうのか!? ふざけんな!」
「ちがう。愛人として囲い込んで行動を制限してやればいい。そうすればあいつはとりあえずは落ち着くだろう。その間にお前は他に貴族の妻を作って、子供を作り、見せ付けてやれ。お前の幸せにあいつはいらないと。あれほど自己評価が高く、高慢な女だ。お前が自分以外の女を愛せば、必ず嫉妬する」

 アッシュは悪魔のように囁いた。

「お前が味わった分の苦痛を与え、女としての人生を台無しにして、最後には不幸のどん底まで叩き落してやれ。お前にはその権利がある」

 復讐の可能性を提示する。

 そこまでしなくとも――理性ある声はかからなかった。今この場にいるのはルークとアッシュだけ。誰も彼らの恐ろしい企みを聞いていない。

 だから、ルークは決断することができた。
 ティアの人生を滅茶苦茶にするための決断を。

「復讐、か……。わかった、やってみる。アッシュは見届けてくれよ」
「……ああ」
 
 *

 好きだとティアはいう。
 そうか。
 じゃあ俺も好きだよ。っていえば満足するんだろう。

 愛しているとティアはいう。
 そうか。
 じゃあ俺も愛しているよ。って返せば満足するか。
 
 結婚したいわ。ティアは頬を染めていう。
 はいはい、そうすりゃいいんだろ。しませんけど。

 求められたからティアを抱いた。ように、見せかけた。ティアを抱くなんて冗談じゃない。見た目は良いけど、中身が醜悪だって知っているのに抱くなんて無理だ。抱いたら子供ができる。こんな女が、俺の子供の母親だなんて冗談じゃなかった。ティアは産まれた子供を精神的に虐待するだろう。あの時の俺のように。我が子を自分の都合の良いお人形さんに仕立て上げそうな女に、俺の子供を産ませたくない。酒を飲ませて、酩酊状態のティアに、一回目は前もって入手していたバイブを突っ込んでやった。
 二回目、三回目はティアの体に興味がある使用人を手引きした。睡眠薬を飲ませて、ティアを犯させ、事後に傍で寝てたら俺がやったものだと勘違いしていた。我慢できなかったのね、だとさ。記憶がないのによく思い込める。こいつのチョロさはわかっていたけれど。

 妊娠したの。ティアは頬を染めていう。俺の子じゃないのに喜ぶティアは滑稽だった。男か女どちらが良いと聞かれたが、どっちでもいい。どうせ生まれないだろう。父上がティアに薬を盛っていることは知っていた。もし生まれたら子供には罪がないから俺は養子に出そうと思っている。
 ティアに手を出した使用人は真っ青な顔をしていた。一応表向き俺の愛人とされているティアから、自分の特徴を持った子供が産まれたらヤバイと思ったのだろう。むしろ父上は喝采をあげて喜ぶぜ。俺がいるのに浮気したという名目で、ティアを追い出せるから。まだ追い出されたら困るんだ。まだ準備が整ってない。使用人に秘密を隠しておくから、代わりに産まれた子供を引き取るように言った。使用人は一、二もなく頷いていた。残念ながら子供は闇に葬られた。肉塊、だったそうだ。墓は作った。

 そのうち、俺に政略結婚の話が持ち上がった。ミリア・ショウブ。名前は聞いたことがあった。アッシュの婚約者候補にも挙がった女性で、でも俺になったようだ。ティアには気付かれないように秘密裏に縁談を進める。復讐はティアをファブレに居候させることになった時にすでに始まっている。ティアが住む別邸の使用人は、彼女がファブレ公爵家を襲撃した当時に使った譜歌の被害者の家族になるように仕向けた。譜歌のせいで昏倒してしまい、大火傷して死に至ったメイドの妹を、ティア付きのメイドにする。メイドの眼が怪しく光ったのは見逃さなかった。事が終わったら、好きなだけ恨みを晴らさせてやる。メイドがティアを殺しても便宜も図る。だから、あと少しだけ、恨みを募らせて、耐えてくれ。

 アッシュがそれとなく陛下を操りナタリアを排除した。本物と偽者の区別がつかず、自分の都合の良いルークが現れたら簡単にそっちに転がってしまうような奴を妻にしたくないと地上に戻る前に言っていた。王家に忠誠を誓う伯爵家に降嫁させるらしい。アッシュの本音に気付かないまま、降嫁できるなら、それは幸せの一つなのかも知れない。

 ガイから届いた手紙を無視した。元々ガイは微妙な立場にいる。守るべき領民を長年にわたり放置し、貴族の義務を怠り私怨に走った貴族。それに加えて、ガイが和平会談の際に剣を抜き国王を脅した事実が、彼の立場を微妙なものにさせていることは知っていた。今ガイの立場を支えているのは、次期ファブレ公爵である俺とアッシュと繋がりがあるという一点だけだ。俺とミリアの結婚式の招待状を送らなければ、ガイの立場はますます苦しめられるだろう。どうでもいい。

 ミリアと結婚式を挙げた。ミリアは貴族の妻として完璧だった。とても美しい女性だ。性格も温和らしく、俺に愛人――というのも本当は嫌だけど、対外的には愛人のティアがいることを知りながら責めるようなことは言わなかった。貴族は政略結婚が多いから、自分が愛されないことは覚悟の上だったのかも知れない。とは言え、嫁ぎ先に愛人がいるなんて愉快なことじゃないだろう。最初から夫婦仲が冷めているのはどうかと思う。

 ミリアとの初夜を迎えたが、ティアとは違い誠実に接した。ミリアの悪い噂を聞いたことがあるが、噂なんて当てにならないとつくづく思った。ミリアはベッドで乱れながら、不思議そうな顔で俺を見ていた。もしかしたら俺が初めてだってことに気付いたのかも知れない。ブラジャーを外すことさえ手間取る始末だ。彼女は疑問に思ったようだが何も聞くことはなかった。

 ミリアは病弱な母に代わって女主人の勤めを果たした。他家とも上手く交流しているようで、評判は良い。アッシュの言うとおりミリアを妻として扱い、ティアはそれとなく愛人の立場だと示しておいた。
 それが気に食わないティアの顔が徐々に険しくなってゆく。薬の影響もあるせいか、苛々しやすいようだ。ヒステリックに俺のことを愛していると口にする。高圧的な口調で命令をされるとあの頃を思い出して、ひどく頭が痛んだ。ティアへの憎しみを忘れずに済んだ。

 ミリアではなく、自分を優先して。とティアはいう。
 冗談じゃない。ティアと同じ場所に一秒だっていたくない。鳥肌が立ちそうになるほどの嫌悪感を隠して、ティアを宥めすかして好きだという。俺も嘘が上手くなった。

 父上がティアが好きなのかと渋い顔で言う。まさか。ティアを好きになるよりも、道端で出会った名も知らない赤の他人のほうが好きになれる。ミリアが妊娠して俺にそっくりな子供が産まれて、ミリアと父上たちが喜んでいると、ますますティアのヒステリックは増した。

 私の子供は生まれなかったのにと悲痛な声で言った。ティアが産んだ子供を見せてやりたくなった。私の子供ならもっと綺麗で、可愛くて、頭が良くて、と妄想のように呟いては子供を貶める。ティアが貶めてる子供は俺の子供なんだけど、こいつはミリアだけの子供だと思ってるらしい。あるいは、俺の子供だと認めたくないのか。ティアは妄想に耽っているときだけ、幸せそうに笑う。その妄想の中で、ミリアを貶めながら。

 俺は教団への寄付金を減らした。復讐に協力的なアッシュも、国王に教団への寄付金を引き下げるように申し出てくれた。寄付金を減らせば教団の規模は縮小される。縮小されれば支出を見直さざるおえない。教団本部は創世歴時代に建てられた、建物自体が過去の遺産のようなものだ。それらを売れば何とかやっていくことができるだろう。アッシュが以前言っていた。教団には使用されていない部屋がいくつかあり、そこで悪事が行われていると。モースとヴァンの悪事の証拠も残っていて、その悪事の証拠の中にはアニスがスパイをしていた証拠もあるという。
 教団内部はアッシュの方が詳しい。アッシュは自分の部下を使って、アニスの悪事が目につきやすいように教団を誘導すると言った。アニスの件はアッシュに任せてもいいらしく、お礼を言っておいた。いつの間にかアッシュとはすっかり仲良くなった。今じゃ兄弟でもあり、共犯者みたいな関係だ。

 ティアを助けてくれる奴の権力を削いだ。そうすれば誰もティアを助けることなんてできない。時間をかけて、少しずつ、ゆっくりとティアが頼れる場所を奪い、――十年。十年賭けた。

 妻ができて、息子が生まれて、ティアの力を削いで十年。

 これ以上、ティアにかけている時間はない。ミリアの二人目の子の妊娠を機に、終わるだろう。予感めいた想像は当たり、ティアは動いた。

 ファブレ公爵家から追い出されるティアの目は恨みに満ちていた。ティアの背を追う、メイドの姿。ああ、ようやくお前も恨みを晴らせるんだな。今まで待たせてごめん。俺はもう二度と見ることがないであろう、ティアの背を見送った。

 終わった。その一言が頭の中に浮かぶ。
 空虚が胸を衝いた。
 もう、何も思わなかった。

「父上、どうかしましたか?」
「……いや、なんでもないよ」

 子供が父上と呼ぶから、まだ、終われない。



 ティアが欠けても、俺の生活は何も変わらなかった。

 むしろティアという異物がなくなったことで、気兼ねすることなく日々を過ごせるようになった。家族で過ごす時間も増えて、父の手伝いもすこぶる順調だ。穏やかな生活こそが、幸せだと今の俺は知っていた。

 アッシュがティアの現状を面白半分に語る。

 一応俺もティアが何をするかわからないから動向は掴んでいたが、アッシュほど詳しく調べることはできない。

 アッシュが教団に仕込んだ密偵の情報によると、ティアはテオドーロの元に戻ったがティアだと信じられず、手ひどく拒絶されたらしい。本当はティアだとわかっていたのかも知れないけど、勝手に出て行って男にふられたから戻って来られても困るだろう。

 それに今のティアには利用価値がない。

 ユリアの子孫と言っても血が薄れてしまっているし、ユリアの譜歌を後世に残しておくならヴァンが残した楽譜で十分だ。それにティアが十代の頃だったならいざ知らず、今のティアはもうじき三十に手が届く女だ。子供じゃあるまいし、頼られても助ける気なんてないだろう。
 ここで助けたら、ティアのことだからまた何かあれば頼ってくることが想像できるから。

 途方に暮れたティアは娼婦になり、泥水を啜るような生活で日々を凌いでいるという。美貌が損なわれていなかったら、しゃべらずに股を開けば、高級娼婦になれたかも知れないけど、今のティアじゃ無理だろうな。顔はずたずた、全身火傷の跡が残り、年も食ってるから。あんまりにも惨めな生活に険しくなる顔を抑え切れず、とうとうティアは醜女と呼ばれ始めた。

 自分が英雄だと吹聴していたが、誰も信じてくれなかったみたいだ。ガイたちのところに行ったらしいけど、ガイたちもティアが誰だかわからなかったようで助けなかった。
 まあ、わかっていても、みんな自分の生活にいっぱいいっぱいだから助けられなかっただろうけど。
 仲間なんて言葉、今じゃ嘘っぺらい言葉でしかない。

 ティアのことよりも、俺はどうにも気にかかることがある。

 ミリアが時々俺を通して、誰かを見ているような気がする。具体的に言えば、父上。ひょっとして、俺の妻は――いや、まさか。

「お義父様に、昔助けてもらったことがあるのよ」

 まさか、な。
 
「内緒にしてて」

 父上を見て、頬を薔薇色に染めて笑う妻。
 その眼には隠れた恋慕がある。

 俺はそれに気付いたけど、まあ、いっか。で、流した。

 妻の恋慕が終わるのはいつだろうか。
 そもそも終わりは来るのだろうか。妻にも、俺にも。

 目を閉じる。また開ける。瞬きをする。そんな些細な行動すら、もう億劫になっているのに。終わればいい。終わる瞬間をひっそりと息を潜めて、じっと甘美な瞬間を待ちわびている。

 旅の終わりと同じように、今も変わらず、ルークの救いは” ”にあった。
 もう、それを口に出して望むことすらできない。



2015/09/22
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