エルドラントに向かうルークの顔が安堵に満ちていたことに、一体何人が気付いていただろう。
ルークだとて、死ぬことは怖い。けれども、彼の心境は、安らかな思いに満ちていた。死への恐怖を上回る、これでやっと贖罪が――仲間たちの都合の良いお人形さんから――終わ(れ)ると言う安堵心は、不思議なほどルークの心を安定させた。

帰ってきて、とティアは涙ながらに言った。ルークのことが好きだとも。
ルークの心の琴線は震えなかった。だから、何も言わなかった。

そのことが、ティアの都合の良い解釈に拍車をかけていることをルーク自身理解していても、どうせ死ぬのだからと、放置した。もうティアの望むように、言葉を、態度を返すのは、まっぴらごめんなんだと言う本心は最期まで隠して。

――それなのに、どうして。

「ルーク…」

どうして、生かした。
再び、俺に人形をやれっていうのか。

なあ、ローレライ。
俺はおまえを恨むよ。




My Happy Ending





三年の時を経て、アッシュと共にルークが帰還した。
ちょうどその日は、ルーク・フォン・ファブレの成人式であった。仲間達は揃って、キムラスカで行われたルークの成人式に参列した。だが、式典の主役であるルークを欠いた寒々しい式典に誰しもが長居することを嫌がり、仲間達は自然とタタル渓谷に集まっていた。ルークとティアの始まりの地、そして、約束を交わした地に。
夜空に鮮明な満月がぽっかりと浮かび、セレニアの白い花が空を見上げるように咲いていた。剥きだしの大地に咲く、セレニアの花は、まるで献花のように美しく、仲間達の眼には悲哀に映った。ティアが歌う大譜歌が、渓谷の岩岩にぶつかって綺麗な音律を響かせる。
ヴァンを打ち倒し、ルークがローレライ解放と共に消失して三年。三年の月日は長く、仲間達の誰しもが彼の生死に知らずのうち諦観を浮かべていた。ルークがいないまま、三年経ってしまった。いくら天にルークの生還を祈れど通じず、三年もの歳月が流れ――ついにはルークの成人式が終わってしまった。

また今日も、ルークは帰ってこなかった。今日こそは、今日こそはルークは帰ってくる――そう期待して、何度落ち込んだことだろうか。仲間たちは浅い溜息を吐いて、タタル渓谷を後にすべく、背を向けようとした。そのとき、奇跡が起こった。聞こえるはずのない、切望していた声が仲間達の耳に届いた。全員の目頭が熱を放った。幻ではないか、目を瞬き、消えなかった人影に涙を流す。

ルークは、アッシュに引きずられるようにしてタタル渓谷に現れた。ナタリアは滂沱しながらアッシュに抱きつき、ティアは感激の涙を流しながらルークに抱きついた。

王子様とお姫様の物語の最後は、いつもハッピーエンドで終わる。
そんな物語ばかりを、ティアは好んで読んでいたから。――これが二人にとって最良だと、信じていた。

キムラスカ王国首都――バチカル。
雲を突き破るように建てられたバチカル城の一室に、国を担う国王と、順ずる者達が一同に会していた。彼らは一様に難しい顔をして、物議をかもしだしていた。
議題はただ一つ、二人のルーク・フォン・ファブレをどう扱うか。その一点に絞られていた。

「――では、次期国王はレプリカルークである、ルーク子爵様で」
「異議なし」
「異議なし」

満場一致とまではいかないが、この度ルークが次期キムラスカ国王となることが決定した。理由は、ルークが作り上げた多大な功績である。
ルークは障気中和を始めに、セントビナーなど大地の崩落を阻止して、世界を救済し、橋建設の資金援助などの貢献にも一役買ったばかりか、キムラスカ名誉勲章を個人の功績で授与し、子爵位まで得ている。余談だが、子爵位は障気中和時の功績であるため、アッシュにも授与されているが、ルークに比べればアッシュの貢献度は低い。
他にも、ピオニー皇帝を初めに、ケセドニア自治区長のアスター氏など、著名で世界に影響を与える者たちにも顔が知れ渡っている。
世界中に英雄として知れ渡っているルークを次期国王にせず、アッシュを次期国王にすれば、内外から反発が出ることは大いに予想された。

「続いて、ルーク子爵様のご婚約者様の件ですが」
「ミリア殿下以外おられないだろう」
「異議なし」
「異議なし」
「…というか、疑問なのだが、ミリア殿下以外に相応しい者がいるか?」
「いや」
「ミリア殿下はインゴベルト陛下の実子、王族の象徴をまこと受け継いでいらっしゃる。王族の血は守り受け継いでいくべきものである。我々の代で王族の血を無くすことは、長きに渡るキムラスカ王家と国の歴史を否定することに繋がるのではないか」
「うむ。では、ルーク子爵様のご婚約者にはミリア殿下で。ミリア殿下の現婚約者は――エーデルシュタイン公爵」
「無論、ミリア殿下から破棄されたという形を取らせていただく」

エーデルシュタイン公爵は一、二もなく頷いた。それを見届けたほかの重臣一同も揃って頷く。宰相位につく高齢の男性は、表情など母胎の中においてきたとばかりに無表情のファブレ公爵に視線を向けた。

「そう言えば、ダアトから、ユリアの子孫をルーク子爵様の妻にと打診されているそうだが」
「丁重に断らせて頂いたが」
「当然のこと。何を考えているのだ、ダアトは。ユリアの預言を笠にキムラスカを乗っ取ろうとしたばかりか、ルーク子爵様の妻にユリアの子孫を推すなど。キムラスカがどれほどダアトに損害を蒙ったのか、ローレライ教団は理解していないと思われる。今度はユリアの子孫の血をキムラスカ王室に残し、我が国に内政干渉しようとしているのか?」
「そんなこと許せるわけないだろう。これ以上ダアトに好き勝手にさせるわけにはいかぬ」
「無論。キムラスカはダアトの属国家ではない」
「――議題がずれているぞ」
「む…これは失礼」


キムラスカの明日を担う重鎮一同、ダアトには苦い思いを抱いていた。
三年前キムラスカは、ユリアの第六譜石を理由にダアトに内政干渉を許し、戦争を起こし多くの犠牲を出してしまった。他にも、死産したキムラスカ王女を庶民の娘と摩り替えて、偽姫が18歳になるまで黙していたのだ。18年間、キムラスカ王国を謀り冒涜し続けたダアトに、ずっと好意を抱いたままでいることの方が難しかった。


「議題がずれましたが、ルーク子爵様のご婚約者様はミリア殿下で」
「異議なし」
「異議なし」
「続きまして、アシュレイ子爵様のご婚約者様ですが」

アシュレイとはアッシュのことである。
アッシュはカイツール軍港を襲撃した過去を持つ。アッシュのままでいることが難しく、彼は今ではキムラスカ国王直々に、アシュレイ・ルーク・フォン・ファブレというご大層な名前を拝命していた。
ルークの婚約者がミリアでいることに異議を出さなかった重臣一同が目つきを鋭く変えた。獲物を狙う目をした一同は、自身の娘や姪、従妹を次々に推す。

「うちの姫など如何か。まだ11歳だが、聡明で気立てが良い娘なのだが」
「いやいやいや、伯爵の娘は少々年が離れ過ぎているだろう。政治の世界では珍しくないとは言え、アシュレイ子爵は若さ溢れるお年。伯爵の娘が成人するまで待つことは苦難であろう。その点、我が娘はアシュレイ様と同年で、今すぐにでも嫁ぐことが出来る。裁縫など女性らしい趣味を持ち、気遣いが出来る娘で、」
「侯爵の娘はたいそうな浪費癖を持ち合わせていると聞くが? 浪費癖のある娘は、次期国王の兄君には相応しくないだろう。私の姪などはどうだろうか。アシュレイ子爵の二歳年下なのだが、頭が良く政治にも詳しい。次期公爵位を継ぐアシュレイ子爵の助けになるだろう」
「妻にする女は無知の方が可愛いもの。頭が良いことが何だというのだ。ファブレ公爵家を乗っ取るにしても、もっと上手い言葉があるのではないか」
「何を! 私を侮辱する気か!」
「まさか」

誰一人ナタリアの名を挙げない。
話を聞いていたインゴベルト陛下は複雑な表情をした。
ナタリアはアッシュの婚約者に相応しくないと、言外に貴族たちは告げているのだから。だが、それも仕方ないことだと、インゴベルト自身も理解していた。
ナタリアをキムラスカ王室に迎えることは出来ない。ナタリアは庶民の娘。しかも、預言によって仕立てられた王女だ。世界中、預言離脱の方向で纏まり、キムラスカに至ってはダアトに対する憤懣たる思いもある。
ナタリアを王の娘と国民は認めたが、王室に彼女の存在を組み込むかは、また話が別である。ナタリアもその事は重々理解しているはずだ。
ナタリアがアッシュのことを愛していることを理解して、父として何とかしてやりたい気持ちはあれど、インゴベルトは口を噤み話を見守ることしか出来ない。
アッシュの婚約者決めには、当分時間がかかりそうだった。


・・・・・・・・・


ひさびさに逢ったルークは、精彩に欠いた顔色をしていた。

「よく来たな、ミリア」
「…お招きありがとうございます、ルークお兄様」

ミリアは一拍遅れて、挨拶をした。上品な笑顔を浮かべたミリアに、ルークは妹のような幼馴染に心がこもった笑みを返す。

「ああ。母上も今日のミリアとの茶会楽しみにしてたんだ、だからミリアが来てくれて良かったよ。ありがとう」
「わたくしもシュザンヌ叔母様との茶会楽しみにしていましたから。お礼を言われるようなことではありませんわ」
「そうか? でもお礼を言いたくなったんだ。だから、ありがとう」
「…では、此方こそありがとうございます」
「うん。…っと、いつまでもこんなところで話してないで、中庭に行くか。今日は天気が良いから、中庭でお茶したいって母上が言ってたんだ。いいか?」
「もちろんですわ」
「良かった」

ルークが先導する後をミリアはくっついていく。ファブレ公爵家の中庭は、城に比べたら当然小さいが、それでも貴族の中では圧倒的に広い。
中庭の中央にはガーデンパラソルと、ティーセットが出されていた。パラソルの下に置かれた華奢な細工のイスの上には、シュザンヌが既に座っていた。傍には寡黙なメイドが付き従い、気遣いに満ちた世話をしていた。
約束の時刻にはまだ少しばかり時間があるはずだが、どうもシュザンヌは先に待っていてくれたらしい。ミリアがシュザンヌを待たせてしまったことに謝罪を入れると、私が勝手に待っていただけだから気にしなくて良いとシュザンヌは笑った。
お土産として持ってきたミリア御用達の菓子折りを渡すと、シュザンヌはたいそう喜び、早速食しましょうとメイドにお菓子を皿に移し、茶を入れるように命じた。
ミリアはシュザンヌの対面に座り、ルークはシュザンヌとミリアの間に座った。

メイドが皿に移してくれたレモンクリームパイを、フォークで小さく切って、口に運ぶ。
レモンの酸っぱい風味と、カスタードクリームの甘みが上手く混じりあい、甘い物が苦手な者でも食べれるよう配慮されたパイであった。ルークは気に入ったらしく、ぱくぱくと口にフォークを運んでいく。瞬く間にルークの皿は空になり、シュザンヌははしたないと眉を顰めたが、ミリアは気にしなかった。
シュザンヌとミリアが最近の社交界の様子などを世間話に織り交ぜて話し合う。やれ、どこぞの侯爵が愛人を持った、やれどこぞの娘が子爵と結婚する、最近の流行の服は――などなど。話題がころころと移り変わるのは、女性ならでは。そんな女二人の話にルークが口を挟むことは出来ず、時折相槌を打つものの、基本的に彼は食べることに専念していた。話が一つ終わると、沈黙が生まれる。口を閉じたシュザンヌは、その時ようやく喉が乾いていることに気付いた。からからに乾いた喉を潤すべく、メイドが新しく入れてくれた温かいお茶を飲む。飲み慣れたアールグレイを一口飲み、再び会話を始めた。

「そう言えば、今日王城では、重大な会議が行われているそうですね」
「ええ。次期国王をルークお兄様と、アシュレイお兄様どちらが継ぐかお決めになるそうです。あと、お兄様方の婚約者を選出するそうですわ。お父様がそのようなことを仰ってました」
「そうですか。ルークかアシュレイどちらかわかりませんが、どちらかは貴方が婚約者になるのでしょうね。…エーデルシュタイン公爵のご子息との婚約を破棄されるのでしょう?」

思いがけないことを聞いて、ルークの息は詰まった。咀嚼していたパイ生地が、喉につっかえて苦しい。ミリアにそっと温くなった紅茶を差し出され、勢いよく飲み込んだ。白磁のティーカップは空になり、メイドはすぐさま新しいお茶を注ぐ。

「それはわかりませんけれど…。エーデルシュタインご子息との婚約の件は無くなることは、ほぼ間違いなさそうですわ。先程お父様から、それとなくそのようなことを言われました」
「まあ…」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ! ミリアが、俺かアッシュ…兄上と婚約するかも知れないって…本当かよ」

ルークは口ごもりながら尋ねた。ミリアが婚約者になるかも知れないなんて、ルークにとっては寝耳に水だった。アッシュの婚約者はナタリアだと言う考えが、ルークの思考には根付いている。その思考に基づくと、ミリアと婚約するのはルークだということになる。
幼馴染で妹と言う印象が強いミリアが自分の婚約者になるかも知れない――その可能性に気付いたルークは慌てた。ミリアはじっとルークを見つめた。

「ルークお兄様はわたくしが婚約者だと、嫌ですか?」
「…や、べつに嫌じゃねーけど…。俺より、おまえの方が嫌なんじゃないのか? 俺みたいなのが婚約者なんてさ…」
「わたくしは、アシュレイお兄様より、ルークお兄様が婚約者だと嬉しいですわ」
「そ、そうなのか?」
「はい」

ミリアにとって、ルークは初恋相手だった。その初恋は今も尚、心に秘めたまま続いている。
姉の婚約者だからと諦めた相手が、婚約者になるかも知れない。ミリアにとっては棚から牡丹餅であり、否定するものでは断じてない。ミリアの言葉に、ルークは頬を薄っすらと赤らめた。
決して悪くないルークの反応に、ミリアはそっと扇を開いて口元に当てる。そうしなければ、ミリアは緩む唇を隠せなかった。
二人のやり取りを見ていたシュザンヌはにこにこと笑顔を浮かべ、空気を読んで、席を外そうとする。しかし、シュザンヌが席を外す前に嵐がやってきてしまった。

「――様、ナタリア様! このようなこと困ります!」
「無作法は詫びますわ。ですが、わたくしには大事な用があるのです、通してくださいませ!」

引き止めるラムダス達の制止を無視して、ナタリアが現れた。敷き詰められた毛長の赤絨毯の上を荒々しく歩き、廊下を渡って一目散にどこかの部屋を目指す。ナタリアの向かう先がアッシュの私室であることは、彼女の進行方向を見ていればわかることだった。
ミリアとシュザンヌは眉根を寄せて、ルークは不思議そうな顔で目を瞬く。何があったのか知らないが、ナタリアの様子は尋常ではない。余程のことがあったのか、血の気が引いた顔をしていた。

「何があったんだ…?」

ミリアは口の中で、もしかして、と小さく呟いた。今この状況でナタリアの様子を乱すことがあるとすれば、王城で開かれた会議の内容が、彼女にとって悪い方向に向かってしまったことくらいだ。
アッシュとナタリアの婚約が破棄されたのではないか? ――ミリアは、ナタリアがアッシュの私室にたどり着き、ドアを叩く姿を見ていた。


アッシュは、七年間放棄していた勉強を取り戻すことに躍起になっていた。
元々勉学は嫌いな方ではない。王族の教育、その後は公爵になるための教育が待ち構えている。一秒でも時間を無駄にしている暇が無い事は、アッシュ自身よく理解していた。

アッシュの気持ちを、ナタリアは汲まなかった。

ナタリアはノックをするや否や、アッシュの私室に無断で侵入した。勉強机に向かっていたアッシュが振り向く前に、ナタリアは彼に抱きついた。アッシュの首元に顔を埋めたナタリアは、彼の肩を涙で濡らしてゆく。弱弱しい声でアッシュの呼んだ。

「…アッシュ」
「…ナタリア…」

またか、とアッシュは胸中で溜息を吐いた。アッシュの勉強は彼が思うより捗っていなかった。と言うのも、予期せぬ来訪者が度々邪魔するからだ。前触れなく来訪するナタリアに、アッシュはほとほと困っていた。ノートの上にペンを置いて、ナタリアに向き合う。

「どうした」
「お、お父様が…わたくしと、アッシュの婚約を破棄する、と」
「なんだと?」

普段はナタリアの話を適当に聞き流しているアッシュも、流石に今回ばかりは真面目にナタリアの話を聞くことにした。アッシュの関心を引くことに成功したナタリアは涙で潤んだ新緑色の瞳を彼に向けて、父達王侯貴族の決断を非難した。

「お父様達は酷すぎます! わたくしたちは愛し合っているのに…! わたくしが王族の血を継がないからと、そんな理由でわたくしたちの婚約を無かったものに…っ」
「……」

泣くナタリアに、アッシュの胸が僅かに痛んだ。それは幼馴染として、彼女を思う気持ちであった。しかし、ナタリアと同様にインゴベルト国王らの決断を非難することはアッシュには出来なかった。アッシュはキムラスカ王族なのだ。

「…そうか」
「アッシュ! 貴方の方からお父様たちに何とか言ってくださいませ! わたくしの言葉はお父様たちには届きませんでしたが、貴方が何か言えば、きっとお父様たちも考え直しますわ!」

ナタリアの言葉には、アッシュがキムラスカ王族として彼女を選べば、キムラスカ国王達も無碍には出来ないだろうという、打算に満ちた思いが隠されていた。無自覚に放った言葉であったが、ナタリアの本心に気付いてしまったアッシュは苦い表情をする。

「…俺はインゴベルト陛下の決定に従う」
「何故ですの…!?」

愛し合っていると思っていた婚約者から突き放されて、ナタリアは頭を石で殴打されたような衝撃を食らった。

「…何故も何もない。王の決定に従うのは当然のことだろう」

アッシュはそっとナタリアを自分から引き離した。ナタリアは縋り場所を失い、ふらりとよろめいた。両膝に力を入れて、必死に立つ。アッシュを涙目で睨んだ。

「ですが…! アッシュ、あなたはわたくし以外の女性と結婚しても良いというのですか!? 約束したではありませんか、ふたりでキムラスカを盛り立てていこうと…! あの約束を裏切るつもりですの!?」
「…結果的にそうなるんだろうな」
「何故、何故です、何故否定してくれないのですか…! わたくしはあなたと二人なら、キムラスカを繁栄させられると信じていましたのに…!」
「……」
「ひどい、ひどすぎますわ…!」

アッシュはイスから立とうともしない。アッシュの慰めを期待していたナタリアは思っていた反応が返ってこず、その場に崩れ落ちる。さめざめと床で泣くナタリアを、アッシュは決して慰めない。それどころか――。
イスを立ったアッシュは、ナタリアの横をすり抜けて、部屋を出て行った。
泣いているナタリアを無視して。





アッシュの私室に、ナタリアの金切り声が途絶えた。
少し時を挟んでアッシュが私室から出てきたとき、ルークを初めとした一同は知らずのうちに息を飲んでいたことに気付き、近くにいる者達と互いに顔を見合わせてそれぞれやるべきことに戻った。シュザンヌはアッシュが疲労で滲んだ顔をしていることに気付き、息子を呼んだ。

「アッシュ、こちらへいらっしゃい」

母に呼ばれたアッシュは顔を上げ、「はい」と返した。近寄ってきたアッシュにイスを勧め、座らせる。メイドは新しいティーカップを取り出し、アッシュの分の紅茶を用意した。アッシュが落ち着いた頃を見計らい、ルークは尋ねた。

「何があったんだ?」
「…俺とナタリアの婚約が破棄されたらしい」
「え!?」
「「!」」

ルークは驚愕の表情を顔に浮かべる。ミリアとシュザンヌは予想していたのか、それほど驚いた様子もなくすこし目を瞠り、すぐに納得した顔になった。

「なんで…」
「ナタリアが王家の血を引いてないからだ」
「そんな…。だって、叔父上はナタリアを娘として認めたじゃないか」
「たしかに娘として認めたが、王室に迎え入れるかどうかは別の話なんだろう」
「……ナタリア、辛いだろうな」
「…だが、仕方ないことだろう」
「…仕方ないこと、か…」

ルークはナタリアの心境を思うと、胸が痛み、気分が落ち込んだ。
暗い表情をするルークにアッシュは顔を顰め「納得できなくても、するしかねぇんだよ」とナタリアには言えなかったことを乱暴に口にする。本心では納得できなくてもするしかないのだ、王侯貴族の結婚に本人の意思は関係ないのだから。
勉強する過程で王侯貴族の責務を理解してしまったアッシュは、ナタリアのように幼い頃の約束を盲目に信じて、生きることは不可能だった。
ルークはアッシュの言葉に苦い感情を察知してしまい、口を噤む。アッシュとナタリアの心情を思い、――はたと嫌なことに気付いてしまった。

(…あれ? じゃあミリアとアッシュが婚約するのか?)

ミリアとアッシュを交互に見る。ミリアとアッシュはお互い世間話をしていた。二人は仲が良さそうに見える。もし婚約しても、政略を抜きにしても上手くやりそうだ。
ルークは眉間に皺を薄っすらと刻む。ルークを除いた三人――さり気なくいるメイドを含むと四人――は、彼の表情がとたんに不機嫌になったことに気付いていた。ルークは皆の視線に気付き、思考に耽ることを止めた。

「…なんだ?」
「おまえがどうした」
「は? …俺、どうかしてたか?」

アッシュは間髪入れずに頷く。ルークは無自覚だったのか、「べつにどうもしてないんだけど…」と小首を傾げたのだった。


茶会は異様な雰囲気のまま終わり、ミリアは、アッシュの私室で呆然と座っていたナタリアを引きずるように帰って行った。
ナタリアが帰宅し、アッシュは再び私室に引き下がる。最近アッシュは七年間放棄していた勉学をいろいろと取り戻すのに必死になっているようだ。ルーク自身も勉強を疎かにしていたため、ちゃんと一から教えてくれる教師を雇い勉強に励んでいる――と言っても、勉強を疎かにしていたと言うのは彼個人の認識でしかない。
実際のところ、歩行訓練を初めにルークは一般教育を学ぶ方が先だったので、べつに勉強を疎かにしていたわけではなかった。限られた世界でルークに配慮する人ばかりが、彼の世界を取り囲んでいたため、協調性を学ぶことはティアと共に外に出るまで出来なかっただけで、それ以外のことはちゃんと習っていたのだ。
仲間たちが知らないことを、ルークが知っていることもある。
たとえば、テーブルマナーや、人前に出ても恥ずかしくない程度の貴族としての振る舞いなど。貴族として、最低限の教養をルークは知っている。ルークの仲間達は礼を欠いた者たちばかりだったので、――何しろ国王の前でも礼を正さず、畏まることもしなかった。誰も彼もが地位が高い者と接する機会に恵まれていた所為で、無自覚のうちに、自分は偉いのだという思考が根付き勘違いしていたのだろう――気付く者はいなかったが。
アッシュに倣い、自分も勉強しようとルークは自室に戻るべく、廊下を歩きながら思考に耽る。

ルークはきちんと自身の将来に向き合う分岐点に来ていた。今までのように、生きるか死ぬかの、切迫詰まった二つの選択肢を突きつけられることはもう二度と来ないのだから、ちゃんと自分の将来を見据え生きていくことを考えなければいけないのだ。

(アッシュがファブレ継ぐか、国王になるんだろうな。その時、俺はどうしたら良いんだろう。アッシュが国王になったとき、ファブレを継ぐのか? でも、アッシュが国王にならない可能性だってあるんだ。俺たちが行方不明だった間に、次期国王候補だって選出して教育してるだろうし…。その時は、アッシュがファブレを継ぐことになるんだろうな。ミリアも、きっとアッシュと結婚することになるんだ。…。俺なんかと何の打算もなく結婚したいって言ってくれるやつ、きっとこの先ミリア以外いないんだろうな。ミリアは俺が人殺しだってわかってて、結婚したいって言ってくれたのに。…、俺はどうしたら良いんだろう)

婿養子になって、どこかの家を継ぐとか。――でも、こんな自分を貰ってくれるところはあるのか。
アクゼリュスを崩落させた、大罪人に。

そんなことを考えながら、ルークは自室のドアを開く。
自分の机に真っ直ぐに向かった。机の上には手紙が何通か置かれていた。一度開かれた跡がある。ラムダス辺りが、ルーク宛に届いた手紙を検分したのだろう。皮膚から混入する毒などが混じってたら一大事だ。ファブレ公爵の政敵がルークを狙わないとも限らないので、手紙は毎回検分されている。


手紙の差出人を確認する。
ガイ、アニス、ギンジとノエル、――ティア。


ティアの名を見て、ルークの表情は強張った。
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