「――ナタリアはなんと愚かな真似を仕出かしたのじゃ!」
インゴベルトは吠えるような怒声をあげた。
ナタリアが公務を放り出して行方不明になった。
そのことをインゴベルトが知ったのは公務の最中だった。謁見の間で謁見者の陳情を聞いていたところに、ナタリア付の騎士が血相を変えて現れたのだ。アッシュとの婚約破棄を知り、人払いをして部屋にこもりきりだったナタリアが行方不明になったのだ。部屋の傍で待機していた騎士は当然のようにナタリアの後を追ったが、二年前に城に作られた飛行場に向かい、ナタリアはそこに停めてあったアルビオールに乗り込んでパイロットに命令を下し、急発進させてしまった。
空を飛ぶ乗り物を生身で追えるはずもなく、騎士は王の判断を仰ぎに来た。仰天した国王であったが、すぐに我を取り戻して、騎士にアルビオールの姉妹機の使用許可を出して、ナタリアの後を追わせた。
ナタリアが抱えていた本日の公務は、休暇だったミリアが急遽肩代わりすることで事なきを終えたが、ミリアとて暇ではない。今日はたまたまシュザンヌと会う約束を以前よりしていたから、事前に休暇を取れるようにスケジュール調整していたのだ。
もしナタリアが本日中に戻らなければ、明日以降ナタリアに入っていた公務は全部台無しとなる。各地への慰問、開拓事業の責任者との打ち合わせ――ナタリアが公務を放り出した影響は、確実に出てくる。
一度目は何とかナタリアの不祥事を隠し通せたが、二度目となると隠し通すことは無理だろう。一度目の時だとて、公務を放り出して親善大使一行に同行したナタリアに風当たりは厳しくなったのだ。
まして、一度目の時とは違い、彼女が公務を放り出す理由が無い。あるとしたら、私情くらいなものだ。確実に今回の出来事はナタリアの進退に大きなダメージを与えることだろう。
ミリアはついに姉がやらかしたという気分だ。
姉の失態に頭が痛いと顔を顰めながら、ミリアは苦々しく言葉を呟く。
「…お父様、お姉様は…」
「……ナタリアは至急連れ戻し、離宮にて謹慎処分に下す。…その後は、早く嫁ぎ先を見繕うてやろう」
「お姉様は納得するでしょうか」
インゴベルトは唸るような声をあげた。おそらくナタリアが納得することはないだろう。それがわかるから返答に窮す。ナタリアが失態を繰り返しても尚、可愛く想う。そんな父の気持ちをミリアは咎めた。
「……お父様のそういう優しいところは美徳ですが、それがお姉様に甘えを生んでいることも事実ですわ。そのことはお父様だとてお分かりでしょう」
「分かっておる。私はナタリアを甘やかしすぎた」
「まったくもってその通りですわ。ですからこのような失態をお姉様は度々繰り返すのです」
娘の容赦ない言動にインゴベルトは肩を落とす。
「お父様がお姉様を甘やかすから悪いのです。何のためにわたくしがお姉様に厳しい態度で接していたとお思いですか? お父様と来たら、わたくしが厳しくする先からお姉様を甘やかすんですもの。おかげでわたくしの想いはお姉様に届かず、さらに嫌われる始末。わたくしはお姉様がこんなことにならないように厳しく接してきたのに」
「悪かった。すまん。謝るから、それ以上は勘弁してくれぬか」
ミリアから叱られて、インゴベルトは頭が下がる思いでいっぱいだった。
ミリアが度々ナタリアに厳しく接することを不思議に思い、姉妹の確執に胸を痛めていたが、ミリアにはナタリアの甘えたなところが早くから見えていたのだろう。だから、ナタリアに対して厳しい態度で接していた。
思い返してみれば、ナタリアに対して告げたミリアの言葉には悪意は何一つ潜んでいなかった。インゴベルトは今さらそのことに気付いて、自分が情けなくなった。
インゴベルトの心情など知ったことではないと、ミリアは話を続けた。
「いい加減、お姉様を庇うのも無理があります。お父様は遠からず、国王としての判断を求められることになるでしょう」
「……うむ。しかしそれでも、私はナタリアを切り捨てることは出来ぬ」
「庇えるだけ庇うおつもりですのね?」
「ああ。不甲斐ない国王ですまん」
「お父様……国の長たる者として時に厳しい決断をしなければならないこともお分かりでしょう。国王陛下が王女を罰せねば誰が王女を罰せられるというのですか」
「……ミリア、お前ちと私に厳しくないか?」
「自らを不甲斐ないと言ったのはお父様でしょう。わたくしはそれに同意したまでです」
「……」
ミリアは開いていた扇をばちりと閉じた。
些細な動作であったが、それだけで部屋の空気が払拭されたような印象をインゴベルトは覚えた。
「お姉様だけでなく、アッシュお兄様にもサッサと婚約者を見つけて結婚させたらどうでしょう。アッシュお兄様に決まった相手がいると知れば、お姉様も諦めがつくのではないかしら」
「! おお、そうか、その手があったか。……しかしアッシュの婚約者が難しくてな」
ルークはあっさりと王女のミリアが婚約者だと決まったが、アッシュの婚約者はなかなか決まらなかった。貴族から見れば、アッシュは魅力的な物件に見えて仕方ないのだ。彼自身が犯罪を犯したとは言え、その身に流れるは真キムラスカ王族の血。さらにファブレ公爵家となると、王城の近くに居を構えることを許されているほど位が高い。
アッシュの妻のイス取り合戦は白熱するばかりで、納まることを知らない。
「わたくしの知人に一人薦めたい者がおります。名はショウブ・マグドレーヌ。マグドレーヌ侯爵家の次女です。アッシュお兄様の一つ年上で、少々変わっているところがありますが、文句の付け所のない娘ですわ」
「マグドレーヌ……たしか、何代か前に……」
「ええ、王妃を輩出しております。王族の血を薄くですが継いでいる娘ですわ。ショウブ・マグドレーヌも王族の象徴である赤い髪を持っています。おそらく彼女ならばアッシュお兄様をうまく支えてくださるでしょう」
「ふむ…」
インゴベルトはミリアから推薦された娘に興味を抱いた。「調べてみよう」と早速ショウブ・マグドレーヌがアッシュの婚約者に値するか調べるように側近に命ずる。
その姿を見守りながら、ミリアは浅い溜息を吐いた。
(――お姉様がこれ以上暴走しなければ良いのですけれど)
その願いが届かないことなど、ミリアには分かりきっていた。だから最善の手を尽くす。
「お父様、おそらくお姉様の行く先はダアトです」
「ダアト!? 何故…ああそうか、ティア・グランツか」
「ええ。ティア・グランツに甘言を弄して彼女を連れて戻ってくるはずですわ。今やティア・グランツはローレライ教団の聖女。彼女の発言を無視するのは、ローレライ教団と我が国の関係を考えれば良いとは良好とは言えませんから」
「うむ…。そうだとすると、ナタリアはティア・グランツを味方につけてアッシュとの婚約を取り直そうとしておるのか」
「それもありますわ」
「ううむ…しかしティア・グランツを連れて戻るなどあってはならぬことじゃ。ナタリアは自身の立場を真に理解しておらぬな」
「お姉様が自らの立場を軽視しているのは今さらなことですわ。そのことはお父様もご存知でしょう」
「そうじゃな……」
アクゼリュスに親善大使の補佐役と預言で詠まれて、同行したミリアは録音機を持ち歩いていた。
キムラスカにとって不利な発言をしないようミリアが自らの発言を律するために持ち歩いた録音機は、恐るべきことに親善大使一行の失態が鮮明に録音される結果となった。
王女という立場を軽視する、ナタリアの姿。
親善大使の意思を無視して、勝手に話を進める和平使者ジェイド。
導師イオンの存在を軽視するばかりか、親善大使に導師の救助を求めて妨害した導師守護役のアニス。
親善大使を守るどころか、前衛に戦わせることに疑問を持たぬ護衛役ガイ。
自身の犯罪行為の償いに同行させられたのに、まったくそのことに気付かずに罪を重ねるティア。
自身の立場を理解せずに、障気渦巻く街へと親善大使に同行したいと申し出るイオン。
ミリアとミリアに付き従っていた護衛は絶句したものである。
録音機を再生して流れ出た親善大使一行と導師イオンの驚愕の発言の数々に、インゴベルトと側近一同は眩暈を覚えるほどだった。
録音機に保存された音声をコピーして、さらに発言の裏づけを取って、キムラスカはマルクトとダアトの上層部に送りつけた。火種となってしまいそうな出来事だったのでインゴベルトは知らなかったことにしようとしたのだが、ミリアもインゴベルト以外のキムラスカの重鎮はコケにされたことを許さなかった。
その結果、マルクトとダアトはキムラスカに頭が上がらない状況を作った。
遅れながら、償いをすることになったジェイド・カーティスは軍事裁判にかけられて軍を辞めさせられて国家のためにレプリカ研究に生涯を捧げることになり、ガイラルディア・ガルディオスと名を改めたガイはお家取り潰しにあい、マルクトを追い出された。アニス・タトリンは事情を鑑みて温情を考慮しても厳しい判決が下った。
ティア・グランツが罰を受けることはなかった。その頃には彼女はすでにダアトの広告塔として聖女として、世間に売り出されていたのだ。ダアトは代わりにキムラスカに多額の借金をして、何とか金で解決させたのだ。
キムラスカも、大詠師モース存命の頃は彼に寄付金という形で多額の金を引っ張られて――おそらくその金はジェイド・カーティスに使われたアンチ・フォンスロットの開発費用と、導師の精巧なレプリカを作るために使われたのだろう――預言による繁栄のために軍用費に多額の金を振り分けていた。まして、預言に詠まれた繁栄の礎に必要だった戦争はルグニカ大陸崩落という形で失われた。新たに人を補充し、さらに軍人へと育成するにも金がかかるのは当然のことだった。
それに加えて、犠牲になった軍人の家族の遺族感情を極力収めるために金を使うこともあり――元より、カイツール軍港襲撃と、ナタリアが公務放棄したことによりその穴埋めに金を使っていたキムラスカの財政状況は危険なものだった。
金で解決するというダアトのやり方に憤懣を覚えながらも、金欠状況を打破したかったキムラスカはダアトの申し出を受けるしかなかった。
アッシュは自身がどれほどキムラスカに迷惑をかけたのか理解したから大人しくしているが、ナタリアはそもそも自分の行動を正当化しているので祖国に迷惑をかけたとは思ってもいない。
それはインゴベルトが彼女を甘やかした代償であったが、そうだとしても、ナタリアは公共事業や慈善事業など様々な責任を背負う公人なのだ。受け持つ責任の重さを理解していない方がおかしな話である。
それなのにこうも身軽に城を出て行ってしまうなど。
ナタリアにとって、公務とは、両親の手伝いをしている子供のような感覚で行うものなのかも知れない。
そう思ってしまったミリアは顔を歪めた。公人であるのに責任を理解していない者が行う、公共事業に慈善事業。ナタリアは上手くやれているのだろうか。インゴベルトも同様の考えに至ったらしく、唸り声をあげた。
「……ナタリアが受け持つ公務の内容を、しっかりと把握しておいた方が良いのかも知れぬ。今日のナタリアの公務はミリアが肩代わりしたのじゃったな」
「ええ。お姉様の補佐役が普段は代理を務めているようですけれど、あいにくとその者も大事な仕事のために出払っているらしく。お姉様の部下に泣きつかれましたわ。サインだけで済んだので、わたくしでも充分でしたけれど…」
ナタリアがしっかりと仕事をしていたから、今日はたまたまサインだけで終わる仕事だったのかも知れない。
そう思いたかったのだが、
「――もしかしたら、お姉様の仕事はいつもああなのでしょうか」
ミリアは苦々しく、呟いた。
自分の元に届けられた書類にただサインをするだけ。それだけの簡単な仕事しかナタリアが行っていないのだとしたら、ナタリアの身軽な行動に納得できる一面もあるのだ。
ナタリアが公務を放り出してしまうのは、後程やれば取り返しがつくと思っているからではないだろうか。届けられた書類にサインをするだけの簡単な作業だ。本気でやればそれほど時間を必要としない。
「いやしかし、ナタリアは開拓事業など様々な事業を提案しては実現している身じゃぞ」
「それにしては、お姉様の責任感の無さがわたくしには気になります。もしや、お姉様は何者かに入れ知恵されて、その者に頼るあまり傀儡とされているのでは?」
「そのようなこと、」
インゴベルトはどれほど姉を貶めれば気が済むのかと、目の前のもう一人の娘を叱りたい気分になったが、それはただの空想に終わった。
今までナタリアが手がけてきた、数々の公共事業。素晴らしい功績を打ち出してきたとは思えないほどに、ナタリアには責任感が無い。ミリアの言葉を否定できる要素は何一つ存在せず、それどころかナタリアが傀儡とされていると言われた方がしっくりと来てしまうのだ。
ナタリアは傀儡にし易い性格をしている。正義感が強く、プライドが高いうえに、人の言葉を鵜呑みにし易い。彼女にやさしい言葉をかければ、さして警戒心も持たずに相手に好意を持つだろう。ナタリアの御し易さを見抜いた何者かが、ナタリアを傀儡にして、何かしらキムラスカに損害を与えているかも知れない――その想像はインゴベルトの背筋を冷やすには充分過ぎた。
今の今まで、ナタリアが傀儡にされている可能性を一つも思い浮かべたりしなかった。
「………ナタリアの周囲を調査する」
その後の調査で、ナタリアの補佐役が彼女を傀儡にしていたことを知る。
ナタリアの名を使い素晴らしい功績を打ち出す傍ら、公共事業に投資していた多額の金を一部横領して私腹を肥やしていた。それだけでなく、何と補佐役はすでに死亡している大詠師モースが放った密偵であり、かつては大詠師モースに多額の金を横流ししていたのだ。今もなお、ローレライ教団の詠師になっていた大詠師モースの子供――もっとも大詠師モースは一応聖職者であったため、公に認知していなかった――に金を横流ししていた。おそらく横流ししたのは金だけではなく、キムラスカの内政状況も流していたと思われる。
激怒したインゴベルトはすぐさまこの補佐役を牢屋にぶち込んだが、そのことによってナタリアの公務に大きな支障を来たすこととなる。ナタリアがどれほど公務を人任せにしていたのかわかり、わずかについていたナタリア派の貴族から大きな失望を買ってしまい、彼女の立場はさらに苦しいものとなるのだが、今は関係ない話であった。
溜息をつきたくなる状況に頭を悩ませて、インゴベルトが米神を揉む。ドアをノックする音が響いた。ノックしたのはインゴベルト専属の騎士だった。入室許可を出して入室を促すと、騎士は礼もそこそこに早速用件を述べてくる。
「ナタリア様がティア・グランツを引き連れて、キムラスカ方面に戻ったと報告がありました」
「――――そうか。ご苦労。下がれ」
「はっ!」
騎士は報告するなり、サッサと部屋を退室する。
「お父様、わたくし、再びファブレ公爵家に来訪したいのですけれど…。おそらくお姉様とティア・グランツは、直接ルークお兄様の元へ向かうでしょうから」
「危険じゃ」
「危険は承知しておりますわ。それでも行きたいのです」
ミリアは引く様子を見せない。一度こうと決めたらミリアは梃子でも動かないのだ。インゴベルトは深々とした溜息を吐いて、護衛をきちんとつけることを条件にミリアに許可を出した。火急の用事としてミリアが公爵家を訪問する前に使者を向かわせる。
ナタリアがティア・グランツを伴いファブレ公爵家を来訪する可能性があること、手段を選ばないティア・グランツがいることから再び譜歌を使って侵入するかも知れない――そのことをファブレ公爵家に伝えに行こうと城を出た使者の目の前で、ティア・グランツとナタリアは譜歌を使ってファブレ公爵家に侵入した。
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