逃げるな危険(裏)

 「ガイ、少し話があるのですけれど宜しいですか?」

 彼女がこのオールドラントに戻って来て三ヶ月と少し経った頃。ケセドニアでガイと会ったナタリア王女はこう切り出した。
 この日、二人は公務でこの都市に来ていたのである。其れは全くの偶然だった。



  逃げるな危険(裏)



 彼女に対する芳しい情報も入らず、かといって公務を放り出すわけにもいかず書斎兼執務室にてルークはイライラした状態で書類を見ているときだった。メイドからナタリア王女来訪の知らせが入る。
 仕事はまだ終わっていない。だがこのままでは余りにも効率が悪すぎる。気晴らしに丁度良い、と考えてナタリアのいる居間へ向かった。

 行くと、彼女はルークが驚くくらい上機嫌だった。

 「どうしたナタリア。何か良いことがあったのか?」
 「ええ」

 はちきれんばかりの笑顔を浮かべ、ナタリアはそう言った。

 「聞きたいですか?」
 「何だ。勿体ぶらずに話してくれ」

 ふふふ、と目の前の王女は笑った。

 「とっても良い話ですのよ。彼女にとって」

 彼女、と聞いてルークは手に持っていたカップをソーサーに慌てて戻した。背中に嫌な汗が流れる。

 「先日ケセドニアにてガイと会いまして、シアについて話したのですわ。彼女をどう思っているかと。・・・もう話しても宜しいでしょう?彼女、オールドラントに戻ってきたのですし。そういう約束でしたわよね」

 念の為と思いまして二ヶ月待ちましたのよ、と彼女は付け加えた。

 ルークの顔が引き攣り、全身から血の気が引いていった。
 確かにそうだが、だがまだ彼女の姿は確認されていない。あの時、彼女が見つかってからと説得すれば良かったと今気付いたが、時既に遅し。

 「そうしたらガイ、私に小さな箱を見せてくれましたわ。何か入っていたと思います?」

 その時のルークの頭の中には「拙い」という単語が駆け巡っていた。

 「指輪ですのよ!しかもダイヤの。ガイがマルクト一と名高い職人にオーダーメイドしたそうです。とても美しかったですわ!彼女と再会したらこれを差出してプロポーズするつもりですって!!」

 ナタリアはもう夢見心地だ。

 「それで私この間の事を話しましたの。二つ返事で引き受けましたわ。そしてガイはこうも言いました。彼女がどんな姿になっても自分の彼女に対する愛は変わらない。跡継ぎなど関係ない、自分の妻は彼女以外考えられないと」

 「!!」
 「無用の心配でしたのよ、ルーク。彼ら二人の愛に揺るぎなどありませんわ!」

 ルークは必死にナタリアの名前を呼ぶが、其れに対する反応は全くない。完全に自分の世界に浸りきっている。

 「私バチカルに戻って直ぐ、父上に頼みましたの。シアの後ろ盾になって下さいませんかと。父上も快く了承して下さいました」

 反対などするわけないだろう。

 ガイと彼女との結婚は、誰の目から見てもマイナスになる材料は何処にもない。この結婚でマルクトとの和平は確固たるものになるし、何よりレプリカの地位向上に繋がる。それでなくともインゴベルト王のナタリア王女に対する溺愛ぶりはつとに有名だ。彼女の願いに一も二もなく頷いた事だろう。

 あえて問題を挙げるとするならば、本人がそれを望んでいるかどうか、という点に尽きる。だが――。

 「父上は彼女の意向を確認してからと仰いましたが、大丈夫ですわ、断るなんて事100パーセントありえません!!」

 確かに、ナタリアの言っているとは別の意味で100パーセント断る事などないだろう。

 彼女は以前ルークに言った。「国王陛下の意向ともなれば私に断る権利など存在しません」と。

 インゴベルト王の口から「ガイとの縁談の話が持ち上がっているのだが・・・」と出た瞬間、その話はもう決定事項だ。勅命と同じようなもの。彼女は何も言わず頷くだろう。

 第三者がいるとき、国王の口から発せられた言葉は全て記録される。一度記録されてしまえば、王自身でさえその発言を撤回する事は出来ない。王の口から出た途端、其れは全て王の意向命令、つまり勅命となる。異を唱えることなど許されない。そのような事をすれば王への反逆と捉えられてしまう。

 大体、国王から直々に「縁談があるのだが・・・」と言われて断れる人間がいるものか。

 インゴベルト王に溺愛され、何があっても咎められる事なく叱責も受けた事なく育ったナタリアは、王の意見に逆らう、拒否するという意味を全く分かっていない。そして国民から見れば、自分たち王族は雲の上の存在であり、その言葉に逆らうなど天と地がひっくり返ってもあり得ないのだという事も理解していない。

 「手紙では遅いですから、鳩を使ってティアとアニスにこの事を知らせました。二人とも大賛成でしたわ。それで今度会ったとき、結婚式の衣装の話し合いをする事に決めましたの!」

 こちらまで幸せな気分になりますわね。

ナタリアはそう言って頬を赤らめた。数年先の自分の姿を彼女に重ねているのだろう。熱の篭った目で彼女はルークを見つめる。

 やはり、彼女達に連絡を入れたか。

 「これから色々業者を呼んで話を聞く予定です。ルークに一応報告しておこうと思いまして」

 ・・・・・・・・・・・・もう、・・・駄目だ。

 もうこんな時間申し訳ありません、今度は時間を作ってもっと詳しく話しますわ、と言いたい事だけ言って、ナタリアはスキップでもしそうな足取りでファブレ邸を去っていった。








 彼女を玄関まで見送った後、ルークはその身を翻しインゴベルト国王との謁見の許可を求めにナタリアと鉢合わせしないよう別の道を使って城に向かう。幸い翌日の、しかも王女が公務で城を留守にしている時にしようとの返事を貰った。

 城から戻った後ルークは書斎に戻らず部屋に向かう。何もする気が起きず、ボーとする事数十分。

 扉をノックする音がする。許可するとメイドが「お仕事がまだ残っているとの事ですが・・・」と入ってきた。
 ああそうだった、あれを片付けないと明日悲惨な事になる。そう考え、重い腰を上げ書斎へ向かう。

 「・・・・・・・・・?」

 メイド達の様子が可笑しい。自分に向けられているその視線は冷たく、しかも棘がある。
 しかし其れが何を意味するかは分からない。とりあえずルークは目の前の仕事を片付ける事に専念する事にした。

 その理由が判明するのは夕食後。
 夕食が終わるや否や、ルークは真っ青な顔をして父公爵にある事を相談した。

 マルクトの皇帝に、ガイやジェイドにも知られず秘密裏に会談する事の許可を得たいのだと。