出会って恋をして愛になり家族として在るまで長い月日をかけたというのに、冷めるのは一瞬なのだなと彼女は思った。
今夜、審神者の彼女は夫である刀剣男士の部屋に久しぶりに足を運んでいた。
見習いが来る、ということでここひと月ほど彼との逢瀬を疎かにしていると気づいたからだ。思い返せば見習いの通達を受け取ってからはその準備に追われ、実際に来てからは研修に忙しく、夫との団欒のひとときを過ごしていなかった。彼はああ見えて寂しがり屋のところがあるから、きっと独りでの夜を恨めしく思っているだろう。彼が褒めてくれたほうじ茶を淹れて(これは彼が褒めてくれてから審神者が炒るようになった)、本丸の事、刀剣の事、見習いの事、たくさん話したいことがある。浮き立つような気持ちで彼女は夫の部屋まで来た。
「あ…っ、ああ、イイ…ッ、いい、のぉ…っ」
「はぁっ、私もです、…っ」
そんな気分は部屋から漏れ聞こえる声で一発で掻き消された。
何をしているのかわからないほど初心ではない。そもそも既婚者だ。身に覚えがありすぎるほど、あった。それでも彼女は信じられなかった。ここは他でもない夫の部屋で、聞こえてくるのは夫の「あの時」の声であっても、信じられなかった。手に持った盆が震え、茶器がかちかちと音を立てた。
何をしているの。嘘でしょう。見習いが来てまだ一週間しか経っていない。いや時間は関係ないかもしれないけれど、それでも今まで二人で過ごしてきた時間をすべて捨て去ってまでその女を選ぶのか。ねえ、私はここにいるのよ?
信じられない、信じたくない彼女の耳に、夫の声が聞こえてきた。
「ああ、夢のようです。あなたとこうすることができるとは…っ」
瞬間、彼女は冷めた。心だけでなく、具体的に体も冷え切った。冷たい指先は震えるのを止め、代わりに頭が沸騰したかのように激昂している。彼女は声をかけることなく部屋を後にし、父であり師であり親友でもある初期刀の元へと向かった。
「ああん…っ、一期さまぁ…っ」
「は……っ、あ…っ」
去って行く彼女の背後で、二人が感極まった声が聞こえた。
廊下を歩く彼女に合わせるように、本丸のあちこちで明かりが灯る。部屋の主がこの騒動に気づいて起き出したのだろう。彼らは刀剣男士、刀の付喪神だ。分霊とはいえ仲間の気配が一瞬で変わったことに気づかぬはずがない。けれど主である彼女を思いやってか、誰も出てくる気配はなかった。自分の刀剣男士の気遣いをありがたく思いながら、彼女は初期刀の部屋に辿りついた。
主が部屋の前まで来ると、ぽっと中で明かりが灯った。
「歌仙、起きてる?」
「ああ」
起きてるよ。常と同じく冷静さを保ったままの歌仙の声に彼女は頼もしさを感じた。「入って良い?」と訊ねるとスッと部屋の障子が開いた。強張った主の顔と、手に持った盆を見てすべてを察したのだろう、「どうぞ」と言って歌仙は部屋に招いた。
崩れ落ちるように座った主に座布団を薦め、歌仙はそっとそのちいさな背中を撫でた。
「主……」
「歌仙」
しばらく呼吸を荒くしていた主は、きっと顔を上げて歌仙を見た。
「離縁するわ」
「…それでいいのかい?」
「それしかないでしょう。よりによってあの男、私に言ったのと同じことを彼女に言ったのよ。信じられる?一言一句覚えているわ――私との初夜に言ったのと同じセリフをあの女にも言ったのよ」
それが女としてどれほど屈辱的であったのか、夫である一期一振にはわからなかったのだろうか。血を吐くように言い捨てた主は、次の瞬間子供のように顔を歪めて泣き出した。歌仙はやはり主の背中を撫でてやりながら、次々と明るくなっていく本丸をぼんやりと眺めていた。唯一暗さを残しているのは、情交を終えたか二回戦に突入している一期一振の部屋だけだ。