次の朝、見習いの少女はご機嫌で朝食をとるべく食堂へと向かっていた。
この本丸に見習いとしてから一週間。やっと、自分になびく刀剣ができた。ここの刀剣男士はどうも頭が固いのか、彼女が誘いをかけても皆そっけなく袖にするだけだったのだ。
審神者が女性とはいえ若い女には飢えているだろうと、まずは戦闘系で知られる同田貫に迫ってみた。彼は「そんなに元気がありあまっているなら稽古でもつけてやろうか?」と彼女をあしらった。次の御手杵は「俺はそういうのわかんねえけど、好きでもない女とそういうことする気にはなんねえよ」とまともなことを言った。巷でちょろいと有名な和泉守にいたっては、腕に胸を押し付けてあからさまに誘ってやったというのに「…慎みってもんをどっかに忘れてきたのかよ」と実に厭そうな顔をして振り払われる始末。他にもレア刀を中心に誘ってみたが、「趣味じゃない」「はしたない」「恥を知りなさい」とばっさり切られ、やっと昨夜になって一期一振を落とすことができた。エロイヤルという噂は本当だったらしい。
見習いはにんまりと笑う。一期一振が落ちれば粟田口はもう手に入ったも同然だ。これを機に、一息に本丸を乗っ取ることもできるかもしれない。
「おはようございます」
彼女が浮かれ気分で食堂に足を踏み入れると、今まで和気藹々としていた場が一瞬で静まり返った。
「……?みなさま、おはようございます」
聞こえなかったのかと再度挨拶をしてみる。しかし彼女に応じる刀剣は誰一人としていなかった。どの刀剣も笑顔が消え、つまらなさそうな無表情になっている。
見習いは戸惑い、食堂を見回した。主である審神者と、歌仙兼定、そして一期一振がいない。
「あの…?」
よく見てみれば、昨日まで用意されていた自分の席すらなかった。一番近くにいた宗三左文字に声をかけようとした見習いは、いきなり髪を掴まれて背中から倒れ込んだ。
「何しているんだい?ここに君の席はないよ」
燭台切光忠だった。
昨日までは確かにあった、優しげで面倒見の良い金色の瞳は消え、ひたすらに冷たい眼差しが見習いを射る。
「な、なにをするんですか…!?」
「何って、自分でわからないの?」
さすがに憤った見習いが詰め寄っても、燭台切はびくともしない。昨夜のことがばれたのか、と悟るが、それでもここまでされる謂れはないはずだ。ふう、とため息を吐いた宗三がうるさげに彼女を見やり、皮肉気に言った。
「…昨夜はずいぶんとお盛んだったようですね」
淫売が。吐き捨てられて仰天する。慌てて他の刀剣男士を見れば誰も彼もが皆一様に宗三と同じような嫌悪に満ち満ちた目をしていた。
さすがにまずいと感じた見習いは、それでも保身を図った。
「…恋は、自由なはずです。た、たしかに余所の刀剣男士さまとはいけないことかもしれませんが、この想いは止められません!」
「毎夜別の男の部屋を訪ねておきながら、恋を語りますか?ずいぶん安っぽいんですねえ」
誰にも相手にされなかったからといって、すでに相手のいる刀剣に手を出すなんて。宗三左文字の皮肉が冴えわたる。ぶわりと食堂に怒気が満ち、見習いは息苦しさを覚えた。
「奪われるほうが悪いんです!それだけ愛が足りなかったからでしょう?そのお相手が誰かは知りませんが、私のほうが一期さまを愛しています!」
「…ふぅん」
ひやりとした声がして、見習いは震えあがって振り返る。
歌仙兼定だった。
初期刀の登場に、一気に緊張感が増していく。そんな中、長谷部が立ち上がった。傍らに置いていた包みを歌仙に渡す。
「歌仙、主の具合はどうなのだ」
「よくないね…。今は怒りで冷静さを保っているが、静まれば悲しさが来るだろう。まったく、政府も屑を寄越してくれたものだ」
ちらり、見習いを見る目は怒りどころか殺気を孕んでいる。ひっと息を飲んだ見習いを鼻で笑うと、歌仙は包みを受け取った。
「指示通り、生臭物は除いてある。食欲はないかもしれんが…できるだけ食べさせてもらいたい」
「わかってるよ」
「歌仙くん、こっちも持って行って」
燭台切が差し出したのは小さな小箱だった。中には可愛らしい和菓子が詰められている。
「お弁当はだめでも、甘いものなら入るかもしれない。少しでも何か食べないと、体がもたないよ」
「ああ…これは綺麗だねえ。主も喜ぶよ」
見習いを見る時とは打って変わって心配そうな声色の燭台切は、歌仙の褒め言葉にふわりと笑った。
「歌仙、私も手伝おうか」
石切丸が言った。歌仙は少し考えた後、うなずいた。
「そうだね。こういうことはできるだけ早く終わらせたほうがいい。ところで、」
歌仙はそこで言葉を区切り、粟田口兄弟が並ぶ席に目をやった。
「…君たちの愚兄はどこだい?」
「一期一振なら監禁してある。出て来たら柄まで通すと言っといたから出ては来れないだろうよ」
「そうか。後で、これを渡しておいてくれ」
歌仙が懐から取り出した書状を受け取った薬研は、大切そうにそれをしまった。兄と呼ぶことすら嫌悪するのか忌々しげに名前で言った。
「…そ、それ…」
「縁切り状だよ。誠に残念だ。実に遺憾だがね、こうなってしまっては致し方ない」
「馬鹿な一期一振」
「たった一晩で何もかもなくすなんて、本当に馬鹿ですよ」
「こうなることなんてわかっていたはずなのに…」
付きつけられた離縁状に粟田口の面々が長兄を口々に罵倒していく。目を白黒させる見習いに向き直り、歌仙はにっこり笑った。
「昨夜、君が寝取った男は、我らが主の『夫』だったんだよ」
凍り付く見習いに歌仙は言葉を続ける。
「奪われる方が悪いだって?自分の方が一期一振を愛しているだって?…ああ、そうかい。だから命がけの恋をしたというわけだね」
うんうんとうなずく歌仙に見習いの顔色が悪くなった。どれだけ分が悪いのか、その足りない頭でもようやく理解したらしい。まさか一期一振のお相手が審神者だとは思いもよらなかったのだ。知っていたらさすがに手を出さなかった――可能性は低い。彼女は本丸を刀剣ごと乗っ取るつもりでここに来た。審神者が一期一振と結婚していると知っていたら、まず真っ先に手を出していただろう。
「エンムスビカッコカリなんて紛い物なんかじゃないよ。本物の婚姻だ。雑多な手続きやらなにやらを経て夫婦になっていたのさ。それも、昨夜でおしまいだけどね」
歌仙が言った。
審神者が本丸に就任した時、彼女はまだ18歳だった。戦のいの字も知らなかった主を守り仕え、共に成長してきた初期刀にとって、彼女は娘にも近い存在になっていた。彼女はたしかに素人だったが、素直な気質と明るい性格、なにより持ち前の熱意で本丸を切り盛りしてきたのだ。歌仙の雅や風流をよく学び、彼好みの審神者になった。優しく、芯のしっかりした、働き者の、内助の功で刀剣男士を助ける審神者。彼女は招いた刀剣たちに愛され信頼され、しだいに戦績も上位に昇って行った。そうなれば刀剣たちもいっそう彼女を盛り立てて働く。素晴らしい関係が築かれていたのだ。
一期一振が審神者に恋をし、結婚したいと言った時、刀剣たちはまず彼女の意志を確かめた。審神者は驚いてはいたが家族としての想いは一期の熱心な求愛にやがて恋となり、愛にまで育って行った。二人が結婚したいと歌仙に頭を下げた時など歌仙は思いがけず涙ぐんだほどである。
歌仙を仲人として結婚式を行った日のことを、彼らは今でも覚えている。
「刀剣と人間では、子を成せないことを知っているかい?知らないだろうね。僕たちは付喪神だけれどもしょせんは分霊の一体にすぎない、あやふやな存在なんだ。そもそも審神者の霊力がなければ顕現さえできない。そんな存在と結ばれても子供を授かることは滅多にないのさ。たとえ授かっても胎児と母体に負担が大きすぎてどちらも生き残れない確率が高い。刀剣男士と人間の肉体関係が否定されているのはこれが理由だ。精子を注がれれば神気が混じるから体が丈夫になるなんて迷信にすぎない。そんなことをしなくとも神気による加護は信頼関係さえ成り立っていれば自然と与えられるものだからね。要は、縁なんだ。結びつきが強ければ強いほど大きくなる。夫婦のようにね。僕らの主はね、女の幸せのひとつを犠牲にしても彼と夫婦になることを望んだんだよ。一期一振の弟たちを子供と思えば良いと言ってね。僕が望むのは主の幸せだけだった。だから、結婚を許したんだ。…条件をつけてね」
歌仙が言った。
「僕の持ち主だった男の話は知っているかい?僕の歌仙という名の由来を作った男だよ。彼はとても悋気深くてね、奥方に色目を使った家臣の首を切り捨てたんだ。僕もその影響を受けている。結婚を認めるにあたって、一期一振にはひとつの宣誓をさせてある。もしも万が一不義密通をしでかしたら、一期一振だけでなく相手の女の首を刎ねるとね」
ひゅっと見習いが息を飲んだ。
「一期一振が秀吉の持ち物だったことは有名だからね。そして秀吉といえば無類の女好きだ。彼がその影響を受けていないとは言えないだろう?保険のつもりだったが…本当になるとはね」
「わ、わたし、そんなこと…知らないっ」
聞いてない!叫んで逃げ出そうとした見習いに、刀が次々と突きつけられる。
「昨夜のうちに姦夫姦婦を重ねて四つ…にしても良かったのだけれど、縁切りするのが先だからね。今しばらくは生かしておいてあげるよ。束の間の生だ、せいぜい楽しめ」
蒼褪めて震える見習いはとうとう泣き出した。だが彼女を慰めるものなどここには存在しない。どの刀剣も怒り狂っているのだ。
「自分のほうが一期一振を愛しているのだろう?ならばその愛に殉じてもらおうじゃないか。君もそれで満足だろう?」
髪を掴んで顔を上げさせ、歌仙は暗い瞳で哂った。首を振る見習いをもう興味はないというように床に叩きつけ、石切丸を伴って去って行く。
縁切りの儀は歌仙の神域で執り行われていた。もちろん終われば本丸に帰って来る。だから刀剣たちはいっさい心配していなかった。縁を切られるのは、一期一振だけなのだ。
朝食を終えた薬研が一期一振の元に離縁状を差し入れると、絶叫があがった。