薬研藤四郎は口を塞ぐ
翌朝、あれからべたついた体のまま布団に収まってしまった私達はまたもや揃って風呂に入った後、朝食を食べる程度の時間の余裕はあった。
腰は相変わらず鈍い痛みを訴えていたが、淫紋に神気を注がれなかったせいかそこまで身体が辛くなかったのだ。
その小さな体のどこに収まるのかと聞きたくなるほどの量の朝食をペロリと平らげた後、食後のお茶を片手に薬研は執務室もどきの部屋でぼんやりと庭を眺めていた。
といっても私は放置されていたわけではない。なぜならば開け放たれた障子の先をぼんやりと眺める彼は、その腕の中に私を閉じ込めて離さなかったからだ。
「……あの、薬研」
「……ん?」
「考え事をしてる最中にごめんね、そろそろ時間が……」
「あぁ、もうそんな時間か。それじゃあ動くとしますかね」
湯飲みの中に残っていたとっくに冷めてしまったお茶をぐいと飲み干し、ちゅっとリップ音を立てながら鼻の頭にキスをする。
それから手馴れた手つきで素早く防具をつけて立ち上がった彼に続き、私達は玄関へと歩いていく。
上がり框に座り込んで靴を履く彼の背中を眺めていると、立ち上がった薬研はふいに真剣な瞳で私を見上げた。
「なぁ、あんた言ったよな。言葉にしなけりゃ伝わらないこともあると」
「? うん、そうだね」
「それなら……それなら、言葉にできない気持ちってのは、一体どうしたらいい?」
そう言って薬研は少しだけ辛そうな顔で、自分の胸元に手を当てた。
もどかしくて堪らないのに言葉にできない感情がそこに渦巻いているのだと、言われなくても解った。
きっとその胸の中にある気持ちがあふれ出そうで仕方がないのだろう。もしかしたらそれを必死に、とどめているのかもしれない。
それを感じて、私もまた考える。
それはきっと恋慕なのだろう、なんて野暮なことは言わない。
考えて考えて考えて……私が出した答えは、至極ありふれたものだったと思う。
「それにぴったり当てはまるものじゃなくても、多少意味合いが変わってきたとしても、少しずつ言葉に出すしかないんじゃないかな。
同じ言葉を何度も繰り返すか、違う表現にして伝えるかは人それぞれだろうけど……でもそうやって人は、自分が感じてる感情の一部を誰かに伝えるんだと思う」
「一部だけなのか?」
「えっとね、これは私なりの考えだから他の人もそうかはわからないんだけど……例えばさ、今薬研が抱えてる気持ちは薬研だけのものでしょう?
それをどんなに言葉で尽くしても、他の方法で表現しても、他の人が100%それを理解できることって無いと思うんだよ。
他の人からその気持ち解るって言われても、きっと自分も似たような感情を抱えたことがあるだけで、薬研の気持ちそのものは理解しきれてないの。
だってそれはどんな気持ちであろうと、薬研が今まで見て、聞いて、感じてきたからこそ得ることができた感情だから。
だからそれを誰かに伝えようって思ったら、溢れた分をほんの少し相手に解ってもらえるのが精一杯なんじゃないかって、私は思うの」
「つまり全部いっぺんに言葉にせずに、少しずつ切り取って言葉にしろって事だな??それで気持ちの欠片でも理解してもらえれば万々歳だと」
「うん。それでそうやって言葉にするのを怠るから、人はすれ違いってものを生み出すんだと思う。
だから普段からちょっとずつでいいから思っていることを口にしていけば、いつかはその言葉にできない気持ちにもちゃんと相応しい言葉が見つかるんじゃないかな?」
私の言葉を聞いた薬研は唇に手を当てて何か考え込んだかと思うと、解ったと言ってふわりと小さく微笑んだ。
そしてありがとうという言葉と共に、両手を私のほうに伸ばしてくる。
その手は首に回されたかと思うと、ちゅっと軽いリップ音を立ててキスをされた。
「礼を言う。ありがとう。また指名してもいいか」
「もちろん。待ってるね」
離れていった手に少しだけ寂しさを感じながらも、彼の表情から憂いが去っていたことにホッとする。
そんな私の寂しさを察知したのかわからないが、するりと頬を撫でた手が離れていったのと同時に薬研は悪戯に笑った。
「あんた、可愛かったぜ。また来るよ、たぁいしょ」
弧を描いた唇から紡がれた甘ったるい台詞に、カッと頬に熱が集まるのがわかった。
真っ赤になっているだろう私にからからと笑い、ひらりと手を振って薬研は出て行く。
突然の不意打ちにいってらっしゃいという台詞を言い損ねた私は、彼の気配が自分の領域から出て行くのを察知してから、薬研の馬鹿、とすねたように呟いた。