わたしだけに笑ってなんて


 赤井との挨拶が終われば、どういう経緯で工藤夫妻が呼ばれたのかを三人から聞いた。

 自分の眠りが人より多い事は知ってはいたが、今まで一週間以上も眠り続ける事はなかった。

 長くても二日後には目を覚ましている。

 その話は赤井もコナンから聞いていたので、今回は長いと思っていたらしい。


 しかし、二日が過ぎ、三日、四日が経過しても目覚める兆しがない。

 それを不審に思った赤井は、急いで優作に連絡を入れたのだと言う。


「……そう言うわけで、流石に心配になっちゃって……二人で一緒に来たのよ」

「……ゴメンなさい。優兄も有希姉も、忙しいのに……」

「大丈夫よ。私は元々、沖矢くんの変装をチェックしに毎週末、日本に来てたのよ。優作も仕事が一段落して、調度スケジュールが空いてたから問題ないわ!」


 皐が複雑そうに言えば、有希子が笑顔で返答する。

 それを聞いていた皐は、ローテーブルの上に置かれている茶器にお茶が入っていないと気がついた。


「有希姉。お茶のお替りは欲しい?」

「ええ。頼める?」

「なら、新しいの作って来るね」


 軽く有希子と会話を交わした後、皐は赤井と優作に軽く頭を下げてリビングを出て行った。





 持ってきたティーポットを洗い、的確な手つきで作業をしていく皐。


「……上手いな」


 途中、ダイニングの方から低い声が聞こえてくる。

 声のした方を向けば、そこには赤井の姿があった。


「あの……?」

「普段はもう少し、手つきが危なっかしいのでね。お湯をひっくり返して火傷をしていないかと心配しただけさ」


 小さく笑いながら言う赤井に、皐は驚いている。


「……どうした?」

「あ、いえ……」


 流石の赤井も気がついたようで、皐に尋ねれば、彼女は視線を彷徨わせる。


「……その、敬語じゃなくて、そっちの話し方の方が赤井さんに似合っているなと思いまして……」


 誤魔化すように笑いながら皐が言うと、赤井は「そうか」と言いながら、静かに皐を見つめている。


「……それで? 君は俺に何を隠してる?」


 赤井に問われた皐は、動きを止めた。

 同時に、彼女が怯える様に肩を揺らすと、赤井は困ったような表情をする。


「怖がらせるつもりは、ないが……」

「あ、え……その……ごめんなさい」


 赤井が困っていると思った皐は、素直に謝った。


「いや……こちらも配慮が足りなかったな。すまない」

「そ、そんな事ありません!! 私は、ただ……その……」


 声が小さくなると共に、皐の視線が下がってゆく。


「言いたくなければ、無理にとは言わん。君を困らせたいわけではないんでね」


 優しい声だった。

 気を遣わせているのだと思った皐は、反射的に「違うんです」と言っていた。

 その後に訪れたのは、沈黙である。

 ある意味で確信に迫る可能性が高い内容の話なのだ。

 皐は、話しの途中で眠らないように言葉を選び、それから口を開いた。


「私が……貴方と会って本当に良かったんですか?」


 遠回しに言った言葉に含まれているのは、皐が赤井の足を引っ張るのではないかと言うリスク。


「ああ。成程……」


 赤井にも、皐が何を伝えたいのかが伝わったようだ。


「俺が君に正体を明かす事にリスクはあっても、何かを得る事はない……」


 その言葉に、皐は静かに頷いた。


 厳しい現実、と言うものだろう。

 実際、皐は何一つとして赤井に有益な事をしてやれる能力はない。

 有希子の様に変装の手伝いが出来るわけでもないし、コナンや優作の様な策を考える事も出来るわけでもない。

 唯一、皐の武器になるはずの先読みは、眠気が邪魔をしてしまい、まともに伝えられないときた。

 早い話、皐は、わざわざ赤井が正体を明かさなければならない存在ではないのだ。


「君は、そう思っているようだが……それは違うな」

「えっ……」


 驚きと共に顔を上げ、赤井と皐の視線が合った。

 静かにこちらを向く翡翠の瞳は、鋭くも柔らかく、穏やかな色合いを秘めている。

 それが、あまりにも美しくて、力強くも儚く感じて。

 皐は赤井から視線を外せなかった。


「君は口が堅い上に、あのボウヤを欺くだけの演技力もある。協力者としての素質は、申し分ない」


 褒められているのか、貶されているのか。

 そんな言葉を投げかけられるも、皐は静かに聞いていた。


「……俺が言った事を覚えているか?」

「……私は、知らなさすぎると言っていた事ですか?」

「ああ。そしてこれは、俺の我儘だとも言ったな」

「……それは……一体、どの辺が……」


 皐には分からなかった。

 今回の眠りで、皐は義兄夫婦と共にロスへ向かうのだとばかり思っていた。

 義兄の優作はともかく、義姉の有希子は、事ある毎にロスへの移住を進めてくる。

 なのに、皐が起きてから今まで、有希子はその話題に一切触れていない。

 妙だとは思っていたが、恐らく目の前の男の“我儘”に理由が隠されているのであろう。


「君に、俺の帰りを待っていてほしい」


 皐は静かに息を呑んだ。

 思ってもみなかった言葉に、戸惑いしかない。


「……帰り、ですか?」

「ああ。“沖矢昴”ではなく、“赤井秀一”としての、俺の帰りを待っていてほしいんだ」


 そこまで言われて、ようやく皐の中で彼が正体を明かした筋が通る。

 そもそも、仕事を終えた彼を迎え入れるのは、この家に彼と共に住む皐以外は出来ない。

 しかし、今までの皐は“沖矢昴”としての彼を待つ事は出来ても、“赤井秀一”としての彼を待つ事は出来なかった。


 皐は元々、赤井を知っていた。

 とは言え、コナンや赤井本人から紹介を受けていない以上、話しに矛盾が生じてしまうため、それを表に出す事は出来なかった。

 今回のこれで、確かに皐は赤井を待つ事が出来る様になる。

 だが――


「それは……」

「君にしか出来ない事だ。この家に“沖矢昴”と共に暮らす、君にしか……」


――私じゃなくても、出来ますよね?


 そんな言葉は、赤井の真剣な眼差しによって呑み込まれた。

 彼が何故そこまで自分にこだわるのか、皐には分からない。

 けれども、彼がそこまで言うのであれば断る理由はない。

 言いはしないが、恐らく有希子を説得させたのも赤井だろう。


「……分かりました。それから、ありがとうございます」


 この邸に残り、物語の行く末を近くで見届けたい皐にとっては、願ってもない申し出である。

 皐は小さく笑いながら赤井に言った。


「いや、こちらこそ……ありがとう」


 すると赤井の方も真剣な眼差しを抑え、皐と同じように小さく笑う。

 フワリと優しく笑う赤井を見て、皐は一瞬だけ胸の鼓動を強く感じた。


わたしだけに笑ってなんて
(この気持ちが、きっと……)


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