わたしだけに笑ってなんて
赤井との挨拶が終われば、どういう経緯で工藤夫妻が呼ばれたのかを三人から聞いた。
自分の眠りが人より多い事は知ってはいたが、今まで一週間以上も眠り続ける事はなかった。
長くても二日後には目を覚ましている。
その話は赤井もコナンから聞いていたので、今回は長いと思っていたらしい。
しかし、二日が過ぎ、三日、四日が経過しても目覚める兆しがない。
それを不審に思った赤井は、急いで優作に連絡を入れたのだと言う。
「……そう言うわけで、流石に心配になっちゃって……二人で一緒に来たのよ」
「……ゴメンなさい。優兄も有希姉も、忙しいのに……」
「大丈夫よ。私は元々、沖矢くんの変装をチェックしに毎週末、日本に来てたのよ。優作も仕事が一段落して、調度スケジュールが空いてたから問題ないわ!」
皐が複雑そうに言えば、有希子が笑顔で返答する。
それを聞いていた皐は、ローテーブルの上に置かれている茶器にお茶が入っていないと気がついた。
「有希姉。お茶のお替りは欲しい?」
「ええ。頼める?」
「なら、新しいの作って来るね」
軽く有希子と会話を交わした後、皐は赤井と優作に軽く頭を下げてリビングを出て行った。
*
持ってきたティーポットを洗い、的確な手つきで作業をしていく皐。
「……上手いな」
途中、ダイニングの方から低い声が聞こえてくる。
声のした方を向けば、そこには赤井の姿があった。
「あの……?」
「普段はもう少し、手つきが危なっかしいのでね。お湯をひっくり返して火傷をしていないかと心配しただけさ」
小さく笑いながら言う赤井に、皐は驚いている。
「……どうした?」
「あ、いえ……」
流石の赤井も気がついたようで、皐に尋ねれば、彼女は視線を彷徨わせる。
「……その、敬語じゃなくて、そっちの話し方の方が赤井さんに似合っているなと思いまして……」
誤魔化すように笑いながら皐が言うと、赤井は「そうか」と言いながら、静かに皐を見つめている。
「……それで? 君は俺に何を隠してる?」
赤井に問われた皐は、動きを止めた。
同時に、彼女が怯える様に肩を揺らすと、赤井は困ったような表情をする。
「怖がらせるつもりは、ないが……」
「あ、え……その……ごめんなさい」
赤井が困っていると思った皐は、素直に謝った。
「いや……こちらも配慮が足りなかったな。すまない」
「そ、そんな事ありません!! 私は、ただ……その……」
声が小さくなると共に、皐の視線が下がってゆく。
「言いたくなければ、無理にとは言わん。君を困らせたいわけではないんでね」
優しい声だった。
気を遣わせているのだと思った皐は、反射的に「違うんです」と言っていた。
その後に訪れたのは、沈黙である。
ある意味で確信に迫る可能性が高い内容の話なのだ。
皐は、話しの途中で眠らないように言葉を選び、それから口を開いた。
「私が……貴方と会って本当に良かったんですか?」
遠回しに言った言葉に含まれているのは、皐が赤井の足を引っ張るのではないかと言うリスク。
「ああ。成程……」
赤井にも、皐が何を伝えたいのかが伝わったようだ。
「俺が君に正体を明かす事にリスクはあっても、何かを得る事はない……」
その言葉に、皐は静かに頷いた。
厳しい現実、と言うものだろう。
実際、皐は何一つとして赤井に有益な事をしてやれる能力はない。
有希子の様に変装の手伝いが出来るわけでもないし、コナンや優作の様な策を考える事も出来るわけでもない。
唯一、皐の武器になるはずの先読みは、眠気が邪魔をしてしまい、まともに伝えられないときた。
早い話、皐は、わざわざ赤井が正体を明かさなければならない存在ではないのだ。
「君は、そう思っているようだが……それは違うな」
「えっ……」
驚きと共に顔を上げ、赤井と皐の視線が合った。
静かにこちらを向く翡翠の瞳は、鋭くも柔らかく、穏やかな色合いを秘めている。
それが、あまりにも美しくて、力強くも儚く感じて。
皐は赤井から視線を外せなかった。
「君は口が堅い上に、あのボウヤを欺くだけの演技力もある。協力者としての素質は、申し分ない」
褒められているのか、貶されているのか。
そんな言葉を投げかけられるも、皐は静かに聞いていた。
「……俺が言った事を覚えているか?」
「……私は、知らなさすぎると言っていた事ですか?」
「ああ。そしてこれは、俺の我儘だとも言ったな」
「……それは……一体、どの辺が……」
皐には分からなかった。
今回の眠りで、皐は義兄夫婦と共にロスへ向かうのだとばかり思っていた。
義兄の優作はともかく、義姉の有希子は、事ある毎にロスへの移住を進めてくる。
なのに、皐が起きてから今まで、有希子はその話題に一切触れていない。
妙だとは思っていたが、恐らく目の前の男の“我儘”に理由が隠されているのであろう。
「君に、俺の帰りを待っていてほしい」
皐は静かに息を呑んだ。
思ってもみなかった言葉に、戸惑いしかない。
「……帰り、ですか?」
「ああ。“沖矢昴”ではなく、“赤井秀一”としての、俺の帰りを待っていてほしいんだ」
そこまで言われて、ようやく皐の中で彼が正体を明かした筋が通る。
そもそも、仕事を終えた彼を迎え入れるのは、この家に彼と共に住む皐以外は出来ない。
しかし、今までの皐は“沖矢昴”としての彼を待つ事は出来ても、“赤井秀一”としての彼を待つ事は出来なかった。
皐は元々、赤井を知っていた。
とは言え、コナンや赤井本人から紹介を受けていない以上、話しに矛盾が生じてしまうため、それを表に出す事は出来なかった。
今回のこれで、確かに皐は赤井を待つ事が出来る様になる。
だが――
「それは……」
「君にしか出来ない事だ。この家に“沖矢昴”と共に暮らす、君にしか……」
――私じゃなくても、出来ますよね?
そんな言葉は、赤井の真剣な眼差しによって呑み込まれた。
彼が何故そこまで自分にこだわるのか、皐には分からない。
けれども、彼がそこまで言うのであれば断る理由はない。
言いはしないが、恐らく有希子を説得させたのも赤井だろう。
「……分かりました。それから、ありがとうございます」
この邸に残り、物語の行く末を近くで見届けたい皐にとっては、願ってもない申し出である。
皐は小さく笑いながら赤井に言った。
「いや、こちらこそ……ありがとう」
すると赤井の方も真剣な眼差しを抑え、皐と同じように小さく笑う。
フワリと優しく笑う赤井を見て、皐は一瞬だけ胸の鼓動を強く感じた。
わたしだけに笑ってなんて
(この気持ちが、きっと……)
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