こんな貴方は誰も知らない


 沖矢の変装も終わり、皆が起き始める頃に帰っていった工藤夫妻。


「そう言えば、沖矢さん。この事、コナンくんは知ってるんですか?」


 二人を沖矢と共に見送った皐は、共に朝食を食べる彼に尋ねた。

 沖矢の正体を皐が知る。

 その事を過保護なあの子が賛成したとは想えない。


「ええ。勿論、知りませんよ」


 何気なく訊いた質問に対し、爆弾が爆発するような衝撃的返答。


「…………いいんですかね……」


 軽く「今日の夕ご飯はこれですよ」みたいなノリで返され、ワンテンポ遅れて返事をする皐。


「彼には僕も工藤さんも一杯食わされていましてね。ここは一つ、意趣返しでも……」

「………………」

「心配いりません。小学生相手に本気になるほど、僕達は幼稚ではありませんよ」


――仕返しを考えている時点で大人気ないのでは?


 そう言おうと思った皐だったが、何故かキラリと光る眼鏡が威圧的。


「そう、ですか……」


 ニヤリと笑う彼を見ながら、皐は余計な事を言う前に口を閉じた。

 短い付き合いではあるが、この種類の笑みを浮かべる沖矢には余計な茶々を入れない方がいい。

 そもそも現役のFBIに物申すなど、後の事を考えれば恐ろしくて反発する勇気もなかった。





 朝食も食べ終わり、それぞれの時間を過ごした午前中。

 徐々に眠気が強くなり始めている事を理解しながらも、皐は沖矢を捜して邸の中を歩き回っていた。


「沖矢さん」


 朝食を作っていた際、食材が少なくなってきた事に気がついた皐。

 それを沖矢に伝えれば、「後で一緒に買い物へ行きましょうか」と言われながら、流れる様に包丁を取り上げられた。

 いつもの事を思えば、そろそろ買い物に出かける時間である。

 しかし、肝心の沖矢は姿を見せない。


 自室にでもいるのだろうか?


 そう思って部屋を覗くが、沖矢の姿はない。


「…………どこに、行ったんだろ……」


 自然と出そうになるあくびを噛み殺しながら、皐はリビングへと向かった。


「沖矢さん?」


 一階に降りてリビングを覗けば、ソファで眠っている沖矢がいた。

 腹の上に載っている開きっぱなしの本を見ると、どうやら読書中に眠ってしまった様だ。


 この人もこんな場所で、うたた寝するのか。


 職業柄いつもどこか隙のない沖矢。

 その彼が、このような場所で無防備に眠っているのは初めてだった。

 むしろ、いつもこんな場所で眠っているのは沖矢ではなく皐の方で。

 眠る皐を見つけては、彼は皐をベッドへと移動してくれた。


 いつもと逆だ。


 そんな事を考えると、何だか微笑ましくて、おかしくて。

 自然と頬が緩んでしまうのは、彼にとってこの邸が少しでも心休まる場所になりつつあるのだろかと思うから。


 しかし、いつまでも微笑みながら見つめているわけにもいない。

 本当なら寝室に彼を連れて行きたいが、体格差や力の関係で、皐が彼をベッドに運ぶ事は不可能である。

 そう考えた皐は、客間から薄いブランケットを持ってきた。

 そして、それを眠る沖矢にそっとかける。


『俺の帰りを待っていてほしいんだ』


 穏やかに眠る彼を見つめながら思い返すのは、彼が言ったあの言葉。

 そのように誰かから頼まれたのは初めてで、驚きもあったが喜びもあった。

 今まで、誰かが自分を頼ってくれる事はなく、いつも護られてばかりだったから。


 不甲斐ない。


 そう思う事は数えきれないほどあった。

 足を引っ張ってしまうぐらいなら、自分なんていない方がいいのかもしれないと、何度も思った。


 けれど、皆から離れようと決める度に、夢を見るのだ。


 皐がロスに行った後で起こる、悲劇の夢を。

 暖かな人達が、一夜にして黒に呑まれて消えてしまう夢を。

 それは、原作にはない結末。


 所詮は夢が創り出した“もしも”である。

 あるかどうかも分からないそれは、もしかしたら起こらないかもしれない。

 けれど、絶対かどうかは分からない。


 なぜならその夢には、原作には存在しない自分が登場するから。


 だから皐は、この邸に留まる事を選んだ。

 あるかどうかも分からない。

 しかし、起こるかもしれない未来を起こさせないために。


 それをコナン達に伝えようと思った事はある。

 だが、いつも肝心な時に眠気が強くなり、言えないままだった。


 だから、赤井の申し出は本当にありがたかった。

 眠りに邪魔されず、皆に伝えられる理由をくれたから。


「沖矢さん……」


 沖矢の寝顔を見ながら、皐は小さく笑った。


「……赤井さん。ありがとう」


 眠る沖矢に手を伸ばし、そっと髪に触れようとした。


 その時――


「…………え?」


 反射的に、自分の手を引っ込めた。

 視界から消えた掌を、胸元で握りしめる皐。

 その身体は震えており、背筋には冷たい空気が走る。


 感覚が、なかった。


 沖矢の髪に触れたはずなのに、触れた感触がない。

 その事に寒気を覚えながら、恐る恐る握っている手を見れば――


 手が、透けてる。


 自分でも信じられない現象に、目を見開いた。


 何が。


 どうして。


 これは。


 一体。



 頭の中でいくつもの疑問符が飛び交う。

 考えがまとまらず、自分の身に何が起きているのか分からない。


「……皐さん?」


 皐が身を固めていると、不意に自分を呼ぶ声が遠くから聞こえてきた。

 視線をそちらに向ければ、沖矢と目が合う。


 目線が合った彼が、息を呑んだ。


 ゆっくりと彼の手が伸びてくる。

 沖矢の手が、皐の手に触れようとした。


 その瞬間――


「……っ」


 皐は触れられる前に沖矢から離れ、開いているリビングの扉から飛び出す。


「――――!!」


 廊下へ飛び出す直前。

 後ろから何かを叫ぶ沖矢の声が聞こえた気がした。


こんな貴方は誰も知らない
(それを知る度、貴方との距離が遠くなる)


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