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セイレーン

空気が、痺れた



「おっ、松島。丁度いいところに!」
「…三井君。」
「4時間目、体育だったのか?」
「うん。」
「じゃあ体も温まってるだろ?ひと勝負しようぜ?」
「え…お昼が…」
「いいじゃねえか。ケチケチするなよ。」

日直のために友人と体育用具の片づけをしていた渚が倉庫から出てくると、バスケ部がチラホラと集まっていた。
その中には当然だが三井もいて、目敏く彼女を見つけると目をギラつかせながら近寄ってきた。
あの一件から毎週のように渚に勝負を挑んでは敗れている。
いい加減にここら辺で勝っておかないと、バスケ部として面目が立たない。

「三井、県大会が近いんだ。練習するぞ。」
「わぁってる!だからたくさん練習できるように松島に頼んでんだろ?」
「三井サン、しつこい男は嫌われるっすよ?」
「てめえに言われたかねえぞ、宮城!!」
「仲間に入るか、ミッチー?」
「桜木、てめえらと一緒にするんじゃねえ!!」

三井が問題児で有名な桜木花道や宮城リョータ、赤木とギャアギャア騒いでいるうちに、部員が大方集まったらしい。
渚の友人も先に教室へ帰ってしまっていて、彼女は木暮や彩子と談笑していた。
『三井が悪いね〜』なんて言う木暮に苦笑するだけで返事がない辺り、渚は本当に迷惑に思っているのかもしれない。
何とはなしに面白くない気分のまま、三井は渚に声を掛けた。

「今日は1on1だ。俺から1本取れればお前の勝ち。俺が止めれば俺の勝ち。時間もねーし、3分勝負でどうだ?」
「…分かった。」

センターラインに向かう渚にボールを渡すと、三井はゆっくりと腰を落とした。

「来いっ!」

彼の挑発が合図となる。
ゆっくりとドリブルを始めた渚は、次の瞬間にはあっという間に三井に迫っていた。



速い…と誰かが零す。
三井は更にググッと腰を落とすと、半身になって自分を見てくる渚を正面から捉えた。
ドリブルと足を動かす音だけが聞こえてくる。
次にどう出るか、目の前にある自分よりだいぶ小さな身体の気配を探る。
小さなフェイントをいくつも繰り出し突破口を探る渚に、油断できねえと三井は心の中で冷や汗をかいた。

こいつ、できる…
バスケ経験者とかそんな易しいもんじゃねえ。

今更ながらこれまで勝負に負けてきたことが、気持ちいいくらいに納得できた。
いい意味で体育館を緊張が独占する。
ゴクリと三井が喉を鳴らすと同時に、渚は更にスピードを速めて彼の左を狙った。

「させねえっ!」

背後にあるゴールを意識しながら、三井もシュートコースを塞ぐように回り込む。
それでも強引に渚はランニングショットを繰り出した。
体格的に無理がある。
このプレイは俺の勝ちだ。
三井は両手をあげてブロックの体勢を取りながらそう思った。
上から確信を持って渚を見れば、彼女は驚いたように見返してきた。
しかし大きく開いていた目が、きらりと鋭くなる。
その目を見た瞬間、三井の背中にゾクリと熱いものが走った。
射すくめられたように、体が動かなくなる。
自分の体から感覚がなくなっていくのが三井には分かった。
その中で心臓だけがドクンドクンと激しく動いていた。
まるで体全体が心臓になったかのようにうるさい。
実際はコンマ何秒の出来事だったのだろうが、気が付けば前にいたはずの渚が横にいる。
そして、後ろからガコン…と衝撃音が聞こえた。



「ダブル、クラッチ…」

木暮が驚嘆の声をあげる。
信じられないといった目で渚を見るバスケ部員の中で、一人が体勢を崩して倒れた彼女に近づいた。

「渚さん。」
「楓君。」

自分の名前を呼んで引っ張り上げる男子生徒に、渚は笑いながら答える。
流川楓、湘北高校バスケ部のルーキー。
『富ヶ丘中の流川』と言えば知らない人がいないくらいの有名人で、1年生にして既に非公式ファンクラブを持つ色男。
そのくせ、流川は女など興味がないとばかりに見事に無視を決め込んでいる。
また無愛想で無口でも有名で、彼の眠りを妨げるものはどんな目にあわされるか分かったものではない。
そんな彼が自分から渚に近づいた上に『渚さん』などと呼んだものだから、それまで渚のプレイを見てさざめいていた体育館がしんと静まり返った。

「ナイッシュー。」
「ありがとう。怪我は治った?」
「…?」
「…忘れているくらいならいいの。気にしないで。」
「おー。」

渚の華奢な体を簡単に起き上がらせながら、流川は首を傾げる。
以前に三井が起こしたバスケ部襲撃事件で、流川は頭から大量の血を流したらしい。
それを耳にしていた渚は気にかかっていたことを聞いたのだが、彼はすっかり忘れているようだ。

「ねえ、楓君。県大会ってそろそろ?」
「おー。」
「そっか。怪我に気をつけてね。」
「渚さんこそ。」
「私?怪我するようなことなんて…」
「今のプレイ。」
「ああ、これくらい大丈夫よ。ありがとう。」

パンパンと渚の汚れを払う流川に、周りがあんぐりと口を開ける。
どんな相手に対しても、そんな気遣いなど彼は見せたことがない。

「…ねえ、アヤちゃん。流川と松島先輩は付き合ってるの?」
「流川にとって渚先輩は特別なのよ。」
「でも『渚さん』って呼んでるし、松島先輩も『楓君』だし。どう見てもいい雰囲気っしょ?」
「まあねえ。」

こっそりと聞いてきた宮城に、彩子は苦笑して答える。
中学時代から流川はあんな感じだったと言えば、納得しないような顔が返ってきた。
そんな中で渚は三井の方を向いた。

「…私、火曜のお昼休みが貸出当番なの。」
「あ…?」
「県大会が終わるまで、当番交代する…?」
「マジでか!?」
「お昼休みにきちんと出てくれるなら…」

面喰らったような顔をしていた三井だったが、渚の言いたいことが分かるとガシっと彼女の手を両手で握った。

「火曜の昼、な!?分かった。助かる!」
「…渚さん、甘え。」
「そんなことないよ?楓君だって全国行きたいんでしょ?」
「おー。」
「それなら三井君の力、必要になるんじゃないの?」
「…」

途端にチッと舌打ちをして流川は視線を逸らす。
それに苦笑しながら頭を下に向けると、渚は困ったように三井をチラリと見上げた。

「…三井君、そろそろ手…痛いかも…」
「あん!?おっ…おお、悪ぃ!」

今まで渚の手を握っていることを忘れていたのか、慌てて三井は手を離す。
心なしか頬が染まっているのは気のせいだろうか…?

「え…と、交代は来週からでいい?」
「…おう。」
「それじゃ、私はこれで。」

そばにまだ転がっていたボールを拾い上げながら渚は言う。
そして流川にボールを渡すと、ニッコリ笑いながら注文した。

「楓君。ダンク、一発。」

コクンと頷いた流川は徐に走り出し、ワンハンドダンクをいとも簡単に決める。

「さすがっ!」

もう一度ニッコリ笑って流川に言うと、渚は体育館から出ていった。

…気分悪ぃ。
松島の奴、何で流川なんかと仲よさげなんだよ。
それに流川も、松島に対して相当気を許してるようだし。
…って何で俺、こんなにムカついてるんだ?
別にいいじゃねえかよ、松島と流川がどうなってようと…

「…クソッ!」

ぼそりと毒づいてから三井は練習に参加した。


2013.05.29. UP




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夢幻泡沫