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セイレーン

ただ甘く、切ない



週明けの昼休み、三井は空になった水筒を持って渚のクラスに向かった。
思った通りドリンクはうまかった。
柑橘系のさっぱりしている中にもほのかな甘みがあり、汗をかいて水分のとんだ体に沁み渡るようだった。
空になった水筒は自分で洗った。
何となく誰にもさせたくなくて、夜中にこっそり流しに立った。
まあ、しっかりと母親に見つかってしまったが。

「あら、寿。出しといたら一緒に洗ったのに。」
「うるせえなぁ。いいんだよ、自分でやるから。」
「もしかして彼女さんからの差し入れ?やだっ、アンタいつの間にそんな子できたのよ?早く紹介してよね!」
「なっ…!?違ぇよ、勘違いすんじゃねえ!」
「そんなに焦ると逆効果よ?へぇ〜、寿に彼女がねえ…。本当によかったわ。あのまま不良だったらどうしようかと、母さん思っていたのよ?」
「…チッ。」

母親との会話を思い出して眉間に皺が寄る。
心配させたのは事実だし、それは悪いことをしたと思っている。
だけど、あの勘違いには困った。
彼女じゃねえっつってんのによ…。

…彼女って。
松島が彼女って…
…いいんじゃねえ?

想像した途端にニヤリと三井の口が緩む。

…いや、ダメだろ。
オレは安西先生を全国に連れてくって決めたんだ。
女なんか考えてる余裕はねえよな。

ガシガシと頭を掻いて三井は溜息を吐く。
それから気持ちを切り替えて渚を呼び出した。



「松島?…いないみたいだよ。」

返ってきた答えに内心ガクリと肩を落とす。

「いねえって、どこに行ったか知ってるか?」
「いや…松島ってどこ?」

入口付近にいた生徒がわざわざクラスに残っていた渚の友人に声を掛けてくれる。
すると、音楽室だと返ってきた。

「サンキュ。」

片手をあげて礼を言うと、三井はブラブラと音楽室に向かった。
音楽室なんて近寄ったことすらない。
昼休みに校舎の端の方にあるそこへ向かう生徒はほとんどいなかった。
三井の足音だけが廊下に響く。
それが少し居心地悪くて歩調を早めると、近くなった音楽室からピアノの音が聴こえてきた。
…松島か?
そう思って足音を忍ばせるようにして更に近づくと、何とも言えない艶っぽい歌声も聴こえてくる。
興味の湧いた三井が半分ほど開いたドアからそっと中を覗くと、ピアノを弾いていたのは円香だった。
その横でピアノに寄りかかりながら目を伏せて歌っていたのが渚。
まともに聴いた彼女の歌声に、肌が粟立つ。
それが制服と擦れて、思わず身震いをした。

う…わ…っ!
なんちゅー声だよ…

足が縫い取られたようにその場に立ち尽くす。
頬が勝手に熱を持った。
目を逸らすことができない。
聴こえてきたのは少し前に大ヒットした失恋曲。
曲の終わりが近づいて、渚がふっと視線をあげた。
その視線が自分に向けられたようで、見つかっていないはずなのに三井は慌ててその場を去る。

…マズイだろ。
なんだよ、あの歌声。
消えそうで、儚げで…
捕まえたくなる。
逃したくなくなる。

脳内に渚の声がリフレインする度に、三井の顔の赤みが増した。

「…マジかよ…」

グシャっと短く切った髪を握る。

…やられた。
そうだよな、分かってたんだよ。
俺は松島が好きなんだ。
さっきのアレがダメ押しだな。
松島に…心を、奪われた。

真っ赤な顔と確信してしまった自分の心を隠すように口元に手を当てながら、三井は大股で自分の教室へ向かった。



幸か不幸か、直ぐに県大会が始まって三井は渚とあまり接することがなくなった。

会いたい。
だけど、会えば平常心でいられない。
それでも松島に会いたい。
あいつと話したい、同じ時を過ごしたい。
俺を見て欲しい。
俺だけを…

赤木率いる湘北高校バスケ部は順当に勝ち上がり、しっかりとベスト8の中の一校に残った。
次の試合からシード校が登場する。
これまで平日開催だった試合も休日になる。
三井は故障した膝を診せにかかりつけの病院へ行った。
もう完治していて心配ないと医者からお墨付きをもらい、胸を撫で下ろす。
グッと拳を握りながらの帰り道はすっかり暗くなっていた。
早く帰って飯食って寝ようなんて考えながら歩いていると、前から今の三井の心をかき乱す存在が近づいてきた。


2013.06.19. UP



三井寿、陥落。




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夢幻泡沫