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恋ってなあに?
心の自由を奪うもの
万里は舞台が好きだった。
というより、創りものの世界が好きだった。
出会った日から毎日のように月穂の部屋に遊びに来ては、一緒に舞台まで行く。
舞台が終わった後も、飾り立てられた舞台が金屏風と赤い絨毯だけになるのを最後まで黙って見ていた。
それからまた月穂の部屋で今日はどうだったとか、DVD鑑賞するのが当たり前になっていた。
万里のご両親は忙しいらしい。
父親は単身で海外赴任、母親は毎日午前様のキャリアウーマン。
月穂は兄が宗家を継ぐと決まっていたから、一人で部屋を借りて暮らしていた。
家族仲が悪いわけではないし、彼女も家族のことは好きだと言う。
それでも一人で暮らしているのは、早くから独立できるようにとの家の方針だった。
だから仕送りもなし。
その代わり、舞台に出てもらえるお給料には少し色が付いていた。
自分のためを思ってのことだとは分かっていても…やはり寂しさは拭えない。
それ以上のことはお互いに素性を探り合おうとはしなかった。
だから月穂は万里がどこの中学に行っているのかも、どこに住んでいるのかも知らなかった。
「今日のテーマは月だったね。月がでかすぎるような気もするけど。」
「いいのよ。テーマは解りやすい方が観ていて気持ちいいでしょ?」
確かに、とケラケラ笑いながら万里は創りものの月に手を伸ばす。
ふと頭の中に甦ったフレーズが月穂の口をついた。
万里の耳にもそれは聞こえてくる。
「歌?月穂が英語なんて意外。」
私を月に連れてって。
星空で遊ばせて?
木星と火星の春がどんなものか私に見せて?
つまり手をつないで。
月穂の歌をすぐさま和訳しながら万里は楽しそうに体現する。
指を絡ませるように両手を繋いだ後、続きをねだるように月穂を見た。
「それで?つまり?」
「… Darling, kiss me.」
舞台の陰に隠れるように繋いだ両手を誘導し、近くにそびえる木に万里の体を押し付ける。
身長差で自然と見上げるような体勢の中、月穂は甘く優しく囁いた。
…逃れられない。
この子は…月穂はオレを捕らえてしまった。
彼女の踊る姿は美しい。
舞台以外の普段の彼女は可愛いし、一緒にいて楽しい。
趣味もイヤというほど合う。
だけど…月穂のこの一言は、オレの心の自由を奪うものだった。
目を見開いて固まってしまった万里に月穂はクスと笑う。
「この歌、知らない?」
「歌詞は…知らない…」
「そう。」
上ずった声でポツリと言う万里にもう一度微笑みかけると、月穂はさっと繋いだ手を離した。
「でも私、『月』は不条理がつまっていて苦手だわ。」
離れてしまった月穂の声が消えてしまいそうで。
横を向いた彼女の顔が泣き出しそうで。
「ねえ。」
と肩に手を掛けて、万里は自分の方に月穂の身体を向けさせる。
振り向いた彼女の唇に有無を言わさず自分のそれを押し付けた。
「…どうして?」
「さあ?そんな気分だったから。」
…ヒドイ。
ファーストキスだったのに。
これも『月』のせいなの?
不条理だわ!!
でも…嫌じゃなかった。
万里といると、すごく落ち着く。
楽しいし、変に気張らなくていいし、頼りになるし…ドキドキする。
だけど…
万里は創りものの世界に逃げてきているだけ。
ダメだね、ケジメをつけなくちゃ。
「月って出始め、まっ赤なの。なんかすごいね。」
「壮絶ね…」
月穂の部屋の、シングルベッドの上で寛ぎながら2人は窓から見える月を眺める。
「ねぇ、万里。舞台の中にいるの好きでしょう?」
「うん。すっげえおもしろい。」
「創りものの世界がウソの世界だから?」
「え?」
嬉しそうに笑っていた万里の顔が曇る。
そんな彼の顔を見ないように、月穂は月だけを見て言葉を続けた。
「それとも、創りものの世界の方が現実と違って道理が通るから?」
「どうしたの?月穂…」
「ウソの世界って言うけど、ウソばかりじゃないのよ。創りものの舞台に魂を入れて本物にするの。それが私の仕事。」
「うん…」
そう、彼女は本物の踊り手。
詳しいわけじゃないし、全然目が肥えているわけでもないが、それだけは分かる。
だって月穂はオレの心を奪ったんだから…
万里は照れたようにそっと相槌を打つ。
「でも万里は周りの人間がくだらなく思えるって言っていたじゃない。自分のいる現実に不満があるって。それで私の所へ来るのは逃避なのよ?」
「…」
「周りの人間は変わるわ。そのうち、あなたが全開でも足りなくなるから。」
「月穂…?」
「だから現実に帰してあげる。もうここに来ちゃダメ。…私達はお互いを何かの代わりにしていた。誰かの代役だった、そうでしょう?」
「なに?…それ。」
漸く万里の方を向いて、月穂は手を伸ばす。
怒ったように顔を顰めながら、万里はその手を掴んだ。
嬉しそうに弾んでいた声はどこかに潜んでしまい、低く牽制するような声で月穂に向き合う。
「さみしさを紛らすだけじゃなくて、本当の人を捜して。」
「オレは…それ…納得いかない!」
「いいのよ、不条理でも。今日は満月だから。」
月がぼやける。
濡れた頬が冷たい。
それでも笑って万里を見れば、勢いよく腕を掴まれ押し倒される。
彼の必死な、泣きそうな顔が上から覗き込んできた。
「また周りの人間、嫌いになるよ?月穂もそっち側に入れるから!」
「いいよ、それでも。言う通りにしてくれるなら。」
「じゃあどうして泣くんだよ。納得…いかない。どうして…」
瞑った瞳の向こうから、万里の切ない声が聞こえる。
やめて…
決心を鈍らせないで…
今のままじゃお互いにとってよくない。
だって万里も私も…本当に求める人は違うでしょう?
それなのに、どうして涙が止まらないの?
どうしていつも万里を思い出すの?
どうして…あなたは、私の心を奪っていったの…?
2013.04.24. UP
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夢幻泡沫