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これを恋と呼ばずなんと呼ぶ

03



「で、どうよ?仕事には慣れた?」

カチンとグラスを合わせた後で円香が聞いてきた。

「全然。やっぱブランクあるし…システムが改正されちゃっているからね〜。研修社員みたいなものだよ。」
「そんなことないでしょ?前の席から直子の仕事っぷりを見てるけど、何だかんだでついてきてるじゃん。」
「違うよ、毎日必死だから!」

グイッとアルコールを喉に流しながら直子は箸でつまみを乱暴につつく。

「円香達のチームが羨ましい。主任は丁寧に教えてくれる人だし、みんな仲いいんだもん。」
「直子のところの主任はうちらと大して変わらない年齢だからね。自分のことでいっぱいいっぱいなのかもよ?」
「主任も藤真君も雑談さえままならないからなぁ。休憩時間も2人で食べに行っちゃうし。仕事で分からないところがあっても2人がよく一緒にいるから、正直聞きづらいんだよ。」
「そうかしら?そっちの主任も藤真君も、喋ってみればおもしろいのに。」

呆れたように円香が直子を見る。

「人見知りっ子だもんね、直子。だけど、私でもあの2人には時々ついていけないけど。」
「あっ、やっぱり!?」
「バカなんだかアホなんだか、くだらないことで盛り上がって…何を考えているんだかわからない時があるよ。まあ、少しでも早く打ち解けられるといいね。」
「打ち解ける…ねぇ。まずは仕事を覚えろ、じゃなくて?」
「分かんなかったらバンバン聞けばいいんだって。」
「それができないから苦労しているんでしょ。」

飲み干したアルコールを追加注文し、つまみを一つ口に運びながら直子は大きく溜息をついた。

「頼りにしていますよ、円香サン。」
「私に言われてもね…まあ、頑張りたまえよ。」
「むう…」

新しいグラスに口をつけながら、直子はまた一つ大きく溜息をついた。



「こっちのデータはどうなった?」
「それは終わりました。PCの共有フォルダに入っています。」
「ありがとう、後で確認しておく。この前言った資料は?」
「今、作っています。」
「ヨロシク。ああ、それからこのプレゼンの企画は…」
「…大まかでよければデータを送りますけど。」
「いや、とりあえずでいいから出来上がったのをちょうだい。悪いけど明日の昼までに頼むね。」
「はい…」

区切りの月は特に忙しい。
次々と確認される仕事内容に目が回りそうだ。
直子はPC周りに貼られた付箋をぐるりと見渡して、深々と息を吐いた。

「なになに?雪峰さん、溜息なんかついちゃって。」
「主任はもう終わったんですか?」
「ん?終わってると思う?」
「…でも、絶対に私より早く終わるんですよね?何でそんなに仕事が早いんですか?」
「いやいや、雪峰さんの方が早いから。俺達の方が遅れてるから。なあ、藤真?」
「ですね。俺達余計なことばっかやってますもんね。」

並んだ机の横で藤真と主任が顔を合わせて苦笑する。
そんな2人が見ているのは、さらに先に控えている仕事の資料。
直子は頭を抱えたくなる気持ちを抑えて、前の席に座っている円香に声をかけた。

「どうしよう、仕事終わらないよ。」
「ガンバ。」
「うわっ…露骨な棒読み。」
「頑張ってぇ!」
「ちょ…泣きたいんだけど…」

ニヤリと笑って顔を上げた円香を直子は睨む。

「ところで、雪峰さん。月末統計出してくれた?」
「統計…もうそんな時期ですか…」
「今日中によろしく。」
「…はい。」

ニッコリと笑った主任に言われて、直子は渋々ながら返事をする。
それからすぐに席を立った主任を確認すると、円香にコソコソと話しかけた。

「ホントに泣きたいんだけど…」
「まあまあ落ち着いて。そんなに溜まってないでしょ?一つ一つやってけばいいから。」
「…終わらないって。泣いていい?」
「直子、ネガティブになってるよ。幸せ逃げちゃうって。」
「幸せってなんですかぁ?」
「やさぐれるんじゃないよ…」

ブツブツと文句を言っている直子を円香は呆れた目で見る。
文句を言っているが、直子の手は音楽でも奏でるかのように滑らかにキーボードを打ち続けている。
頑張っちゃうくせに…と円香は心の中で毒づく。
そう言えば、以前にいたときもどんなに大量の仕事を押し付けられても必ず期限内には終わらせていた。
円香は改めて直子は最後までやり遂げる努力家タイプだと感じた。

「あ、そうそう。雪峰さん、月末統計ってちゃんと累計表に入れてる?」

席に戻ってきた主任が直子に確認を取るように聞いてきた。
けれど、そんな話を彼女は聞いたことがない。

「…え?累計表…ですか?」
「そう。統計が終わったら入れることになってるの知らない?」
「えっ?えっ!?聞いてないですよ!」
「…俺、言い忘れてかな?ま、そう言うことだからよろしく。」
「よろしくって…主任!」

あははと笑って話を終わらせた主任を、直子はねめつけるように見る。

「…それはいつまでなんですか?」
「うん、今日中。」
「えぇ〜…」

直子は完全に動きを止め、ガクリと項垂れてしまった。

…無理。
絶対に終わらない。

今日は諦めだな、と直子は頭の中でスケジュールを確認した。
実は夜に親睦会と言う名の飲み会が企画されているのだ。

「…円香、悪いけど今日の夜はパスするわ。」
「えっ!?なに言ってるの?終わるでしょ?」
「終わらないって…。次回は参加するから、見逃して。」
「う〜ん…藤真君、どうする?」
「ダメですよ、雪峰さん。今晩も参加しなきゃ。」
「でも、主任が…。大体、累計表ってどこに入っているのかさえ知らないもの。」
「しょうがない。俺が代わりに入れときますよ。」

横から軽く息を吐く音が聞こえてきた。
同時に掛けられた言葉に、直子はバッと横を向く。

「…今なんて?」
「だから俺が代わりに入れときます。こんなの5分あれば終わるし、俺も自分の分を入れるついでだし。」

隣を見れば、苦笑いを浮かべながら藤真が直子を見ていた。

「それぐらいで終わるなら、やり方を教えてくれれば…」
「今日はいいって。その代わり、今晩はきちんと参加して下さいね。」

ニコリと彼女に笑いかけると、藤真はサクサクとPCを操作し始めた。
その顔は至って余裕そうで…。

「…直子。今さ、藤真君の株がグングン急上昇したでしょ。」
「うん。どうしよう、涙が出てきそう。」
「ヤバいね、惚れるね。」
「うん!藤真君、ありがとう。」
「いいですよ、別に。俺に惚れて下さい。」
「ふふっ、本当にありがとう。」

一気に気持ちが軽くなった直子は、うんと一つ伸びをすると再び仕事に取りかかる。
彼女が見てないところでは、円香が藤真に含み笑いを見せていた。


2014.02.27. UP




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夢幻泡沫