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セイレーン 番外編

 舌の上で愛を溶かして 



「おいっ、渚!」

下を向いて足早に教室を出ようとした渚の腕を、一回りも二回りも大きい手が簡単に引き留める。

「…放して。」
「何でだよ?久し振りだってのに。」
「いいから放してっ!」

ブンと勢いよく振った反動で三井の手が外れた。

「てめっ…」
「…ごめんなさい、しばらく会いたくない。」
「あ!?」
「お願い、少し放っておいて…。」
「ふざけんなっ!何でよりによって今日なんだ!!」
「…それは分かっているけど…本当にお願いだから…」

泣きそうに歪む渚の顔に怒り心頭だった三井のボルテージが下がる。
三井が怒るのも無理はない。
年明けからあまり渚に会えなくなっていたのだ。
特にここ最近は、まるで彼女が避けているかのように学校内ですれ違うことさえなかった。
一緒に帰ろうとどんなに早く渚の教室へ迎えに行っても、いつも既に帰った後だった。
何度も無駄足を踏めば、いくら三井と言えどおかしいと感じる。
今日こそはと勢いよく彼女を捕まえたはいいものの、その口から出たのは『会いたくない』と予想もしなかった言葉。
なぜそんなことを言われるか全く覚えのない三井はついつい声を荒げてしまった。
まあ、怒る理由はもう一つあるのだが…。

「今日が何の日か知ってるってことだな?…クリスマスと同じにしたって面白くねえぞ?」
「…受験生にバレンタインなんかないもんっ!!」

涙を滲ませキッと三井を一睨みすると、渚はバタバタと走り去る。
それを呆然と見送った三井の横に、渚の友人である円香が近寄った。

「あ〜あ、振られたね。」
「…てめえ!」
「噂、聞いたよ。チョコいっぱいもらったんでしょ?渚のはなくたっていいじゃん。」
「そういう問題じゃねえだろ!?あいつのは別だ!!」
「…今年は我慢してあげなよ。渚だって辛いんだから。」
「あ?」

ニヤニヤと笑っていた円香が急に真面目な顔をして言うものだから、三井は戸惑ってしまう。
背の高い彼をチラリと見上げると親友の現状を円香はポツリと漏らした。

「受験結果、芳しくないんだって。」
「は!?」
「滑り止めに落ちちゃったみたい。」
「…マジか?」
「この時期に冗談なんて言えないでしょ?」
「まあ…。しかし、何でお前に言って俺に言わねえんだよ…」
「そりゃ私は親友だもん。それに三井君、第一希望に推薦で通ったでしょ?受験勉強をまともにしてない三井君に、渚がこの1年間どれだけ頑張ったか分かるの?」
「それは…」
「ああゴメン、言い方が悪かったね。三井君を責めるつもりはないんだよ?だけど、今あの子が押しつぶされそうになってるのも分かってあげて。ホント、チョコどころじゃないから。」

気まずそうに鼻の頭をポリポリと掻いて視線を逸らす三井に、円香は肩を竦めて諭すように言う。

「彼氏だったら渚を追いかけて励ますくらいしたら?もう家にいると思うよ。」

円香の言葉を聞き終わらないうちに三井の足が動き出した。



勉強机に突っ伏して現実から逃れる。
このまま消えてしまいたい。
センター試験の結果は悪くなかった。
自己採点でも確実に合格ラインを越えていた。
それなのに…
家に届いた合格通知を開けてみれば、自分の受験番号はなかった。
しかも、そこは渚が受験する中で一番下の大学だった。
それから気持ちを入れ替えて第一志望校に臨んだが、手応えがふわふわと宙ぶらに感じた。
あとは結果を待つだけの身だが、バレンタインだと浮かれる気にはなれない。
三井には悪いと思いながらも、ずっと避けていた。
顔を伏せたままハアと重い溜息を吐く渚に、部屋の外から声がかかった。

「お姉ちゃん?いる?」
「…何?」
「三井さんが玄関にいるけど?」
「え…?」
「お姉ちゃんに会いたいって待ってるけど、どうする?」
「…帰ってもらって。」
「てか、お母さんが既に玄関で話してるよ。」
「ウソぉ…」
「早く行った方がいいんじゃない?」

からかうような妹の声にドアを開けると、大きなスポーツバッグを肩に掛けた湊がニヤリと笑った。

「お母さん、じっくりと観察してるよ。」
「…何でうちまで来るのかしら…」

渚は身体全部を使ってまた溜息を吐くと、トントンと階段を下りて玄関へ向かった。

「ようやくきた。三井君、待たせてごめんなさいね。」
「あ、いえ…」

いつもより畏まったように身体を固くして三井は頭に手をやる。

「渚、きちんと紹介しなさい。」
「…三井寿君。高校の同級生で…その、お付き合いしています。」
「三井寿です。渚…さんとお付き合いさせてもらってます。」
「渚の母です。改めてよろしくね。」

ニッコリと笑って母に、渚は息をつくと諦めた様に聞いた。

「部屋に上がってもらっていい?」
「いいわよ。あとでお茶、持っていくわね。」
「ありがとう。」
「三井君、ごゆっくり。」
「どうもっす。」

ペコリと頭を下げた三井を見て、渚はついさっき降りてきた階段をまた上った。



「へえ〜、ここが渚の部屋か。」

ドアを開けた先に広がる空間をしげしげと眺めながら三井は中へ入る。
渚は後ろからついて入ると、ポツリと呟いた。

「…放っておいてって言ったのに。」
「あ?」
「…何でもない。それより、どうして家まで来たの?」
「どうしてって…お前が落ち込んでるからだろ?」
「…」
「来いよ。慰めてやるから。」
「…いらない。」

プイとそっぽを向くと渚はその場に膝を抱えて座り込んだ。
顔を埋めるようにして隠してしまった彼女に溜息を一つつくと、三井はすぐ横にドカリと座る。
そしてポンと渚の頭に手を置くと、優しく左右に移動させた。

「俺ぁバカだから勉強なんてしたくもねえけど、渚はずっと頑張ってたろ。大丈夫だ、ぜってえ受かってる。」
「…」
「全部受け終わったんだろ?」
「…」
「お疲れさん。」

微かに動いた渚の頭から伝わった振動に、三井はできるだけ優しい声音で彼女を労る。
すると、グス…と鼻を啜るような音が聞こえた。

「あー…いつかのお返しだ、好きなだけ泣け。」
「…」
「ヨシヨシ、頑張ったな。」

落ち着かせるようにゆっくりと動く三井の手が、温かくて、優しくて…。
張り詰めていた細い糸がプツリと切れた様に渚の瞳から涙が零れる。
それを見られないように顔をぐっと膝に埋めると、ますます三井の手が優しく撫でてきた。



「…ありがとう、三井君。」

漸く聞こえた小さな声に、正直ホッとした。
顔を上げた渚は目を赤く腫らしていたものの、思いつめたような悲愴な顔は和らいでいる。
三井は最後にポンポンと彼女の頭を撫でると、膝に手を当てて立ち上がった。

「じゃ、俺帰るわ。」
「え…!?」
「え…って、こんな状態のお前に何も望めねえだろ。ゆっくり休めよ?また明日な。」

苦笑しながら荷物を肩にかける三井に渚は慌てる。

「ちょっと!ちょっとだけここで待っていて!!」

そう言うとバタバタと階段を駆け下りてキッチンへ向かった。
冷蔵庫を乱暴に開ければ、母親から小言が飛び出す。
それに構いもしないでまた階段をバタバタと駆け上がった。
自室のドアを開けると、三井が驚いた顔で立ったままでいる。
渚はふうと息を吐くと持ってきた小さな箱を三井に差し出した。

「市販のものでごめんなさい…」
「…何だよ、やっぱり用意してんじゃねえか。」

渚らしい、と笑いながら受け取った三井はその場でビリビリと包装を破る。

「自分の彼女からだけ貰えねぇかと思って焦ったぜ。」
「…」
「他の女から貰ったもんは全部ギリとかノリだよ。あいつらだって俺に彼女がいるってことぐれえ知ってるさ。それが渚ってことも。本命は一つも貰ってねえ、お前からだけだ。」
「…たくさんもらったって聞いたけど?」
「おう。彼氏がモテて自慢だろ?」

ニヤリと笑うと三井は渚からのチョコを一つ頬張る。
そしてそのままジトリと睨んでいる渚の唇を奪った。

「…苦い。」
「そうか?これくらいが丁度いいだろ?」
「チョコはもっと甘い方が美味しいのに…」
「甘えぞ、充分に。渚と食ったからな。」
「…バカ。」

悪童が悪戯に成功した時に笑うような眩しい笑顔で、三井は赤くなった渚の顎を持ち上げる。

「…義理をたくさんもらって嬉しい?」
「おう。だけど本命は一つで充分だ。」
「…私だけ?」
「当然だろ。」

近づいてくる愛しい顔に渚は目を閉じた。
絡みあった舌の上で愛が溶ける。

ああ、三井君の言う通りだ…
2人で食べるとほろ苦いはずのチョコが甘く感じる…。


2014.02.14. UP




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夢幻泡沫