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セイレーン 番外編

 人より少し不器用だから 



「負けたよ、湘北。」

渚が塾から帰ってくると、ちょうど妹の湊も帰って来たところのようだった。
午前中に女子の試合に出場した妹は、そのまま午後から行われた男子の試合を見たらしい。
玄関先でオブラートに包まず事実を淡々と報告される。
鍵を取り出した渚の手がピクリと反応して止まった。

「…そっか。相手はどこだっけ?」
「翔陽。明日、海南大と決勝。」
「海南と翔陽で決勝かぁ。湊のところは?」
「ウチはもちろん決勝行きだから。明日だって勝つよ!」
「頑張って。」

複雑な笑みを浮かべて応援する姉に、湊は溜息をつくと肩を竦めた。

「そんな顔するくらいなら応援に行けばよかったのに。」
「だって塾の模試と時間が重なっていたんだもの。」
「ハイハイ。受験生は大変ですね〜。」
「湊っ!」
「まあ、もうすぐ年末だしお姉ちゃんも大変なのは見てて分かるけど…。今の湘北は赤木さんと桜木君が抜けて高さが全然足りてなかった。楓や三井さんの個人技がどんなにレベル高くても、あれじゃ3年が全員残った翔陽には勝てないよ。」
「…そっか。」
「楓も珍しく神妙そうにしてた。」
「そっか。」

第三者からの目線で言われることに納得しつつも、渚は眉を顰める。

三井はどうしているのだろう。
この冬の選抜に全てをかけていた彼は今…

頭の中で逡巡していると湊が声をかけてきた。

「取りあえず寒いから中に入ろうよ。」
「…そうね。」
「週明け、学校で三井さんに声をかけてみたら?」
「声、ねぇ…」

もう一度困ったように笑って、渚は玄関を開けた。



翌週の月曜日、渚が声をかけるタイミングを掴めないままあっという間に昼休みになってしまった。
どうしたものかと悩んでいると、低い声が教室のドアの向こうから渚を呼んだ。

「渚。」
「…三井君。」
「昼、一緒に食おうぜ?」
「うん。ちょっと待って、直ぐ用意するから。」

いつも一緒に食べている友人に断って弁当をバッグから取り出し、小走りに三井の傍へ寄る。
正直なところ、悔しそうな顔かふて腐れたような顔をしているかと思っていた。
荒れているかもしれないとも思っていた。
だが渚の予想に反して三井は穏やかな顔で待ち、彼女が来ると先導するように歩き出した。
不意をつかれた気持ちのまま黙ってついて行けば、どうやらバスケ部の部室に行くらしい。

「部室で食べるの?」
「ああ。他の奴は来ねえだろうからお前と2人っきりだぜ?」

からかうようにニッと笑って三井は部室のドアを開ける。
部屋に籠っている少し汗臭い空気を追い出すように窓を開けると、ひやりとした空気と共に学生特有の弾む声が遠くから聞こえてきた。
向かい合って座り、いただきますと互いに声を発した後は沈黙が続く。
湊から声をかけてみればと言われたが、渚はどう声をかけていいか分からなかった。
先に食べ終わった三井はずっと沈黙したままだ。
やはり県予選敗退に何かしらを感じているのだろう。
渚は気まずく思いながらモソモソとあまり味を感じない昼食を続けた。
ようやく渚が食べ終えると、三井はガタンと椅子から立ち上がりながら開けた窓のそばへ行った。

「…負けちまった。」

少ししてボソリと聞こえた声には悔しさが滲み出ていた。

「…うん。」
「何だ、知ってたのか。」
「湊から聞いた。」
「ああ、午前中は女子の試合だったもんな。どうだったんだ?」
「優勝したって。」
「すげぇな。」

フッと自嘲するように口元を歪めると、三井は窓の外を眺めた。
そこからは相変わらず冷たいけれど清涼とした風と弾む声が流れてくる。
今の2人にはあまりに場違いな空気に、渚は片付けもそこそこにして三井の背中に近づいた。

「…窓、閉める?」
「いや、いい。」
「…お疲れ様でした。」
「おう…」
「スカウト…推薦、来るといいね。」
「だな…」
「三井君のバスケ、そんなにたくさん見たわけじゃないけど…好きよ。シュートがすごく綺麗で。」
「…」
「最後まで諦めないプレイスタイルも好き。後輩に檄を飛ばす闘志も好き。試合が終わった後に見せる晴れ晴れとした顔が好き。…この先もバスケ続けられるといいね?」
「…」
「高校最後の試合、見られなかったのが残念。…ごめんなさい。」

いつもよりゆっくりと話す渚の言葉に、窓の桟にかけた三井の手に力が入る。
そうしていないと涙腺が緩んでしまいそうになる。
グッと握りしめた手が金属製のレールを巻き込んで痛い。
自然と唇も噛みしめていた。



「…そろそろ時間だし、教室に戻ろうか?」

固く握りしめている三井の手に柔らかい手が重なる。
指を一本一本ほぐすように桟から外して渚はカラカラと窓を閉めた。

「こう陽気がいいと、お腹一杯だし5時間目は眠くなっちゃうね。」

クスリと笑って振り向こうとした渚の背中に衝撃が走る。
同時に肩に筋肉質な腕が回された。
一瞬グラリとなった身体を支えるために、渚は窓の縁に手を置く。
顔を上げると、透明なガラスにぼんやりと自分が映った。
渚の後ろには首に顔を埋めるようにした後頭部が見える。

「…悪ぃ…少しだけ…」
「…ん。」

絞り出されたような掠れた声に相槌を打ち、渚は黙って鎖骨辺りで組まれた腕をそっと撫でた。
彼女の手が何度往復しただろう。
やがてポツリとくぐもった声が聞こえてきた。

「…俺…バカだな。」
「…うん。」
「このまま終わりたくねぇ。」
「うん。」
「もっとバスケがしてえ。」
「うん。」
「チクショウ…負けたくなかった…」
「うん…」

漏れ聞こえてきた三井の心に、渚の鼻の奥が痛くなる。
それでもただ撫で続けていると、少しだけ明るい調子になった声が耳を擽った。

「…なんだよ、『うん』ばっかり言いやがって。」
「うん。」
「少しは慰めてくれたっていいだろ?」
「うん。」
「…お前、イイ匂いだな。」
「もうっ…」

反射的に身体を離した渚が振り向くと、そこには歪んだ笑顔を見せる三井がいた。
文句を言おうと開きかけた口は閉じられてしまう。
代わりに自分より高い位置にある頭を抱えるように手を伸ばした。

「ヨシヨシ、頑張ったね。」
「…おう。」

滲んだ声が渚の肩口を震わす。
再びぎゅうと絞まった腕を渚はどうしても解くことができなかった。


2013.12.05. UP




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夢幻泡沫