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愛=煩悩

04



新しい環境にも少しずつ慣れ、絵梨の生活リズムもだいぶ固定されてきた。
大学も4年生となると、隙間時間ができる。
卒業に必要な単位は既に取得しているし、就職も内定していた。
バイトをしているので夜は遅くなる分、朝が苦手になってしまっているのは勘弁してほしい。
そんな絵梨が、この日は珍しく早めに起きた。
寝起きの喉を潤そうと5階のリビングへ行くと、ドアの鍵が掛かっていない。
誰がいるのだろうと少しだけ警戒して行けば、ソファに見えたのは綺麗な紫色。
要が横になっているようだ。
何でもなければよいのだが、気分が悪いのかも…と絵梨は遠慮がちに声をかけた。

「…要さん?大丈夫ですか…?」
「ん?ああ、絵梨ちゃん。おはよう、早いね?」
「珍しく目が覚めたので。で、具合でも悪いんですか?」
「ううん、ちょっと寝てただけだよ。…あ、もしかして俺のことを心配してくれた?」
「まあ…」
「絵梨ちゃん、優しいねー。気づかいのできる女の子って、俺好きだな。」
「…」
「あ、何?その冷たーい視線は?」
「…気になさらずに。それより、眠そうですね。寝るならお部屋に行かれた方がいいんじゃないですか?」
「うん、さっき帰ってきてね。なんか食おうかなと思って5階に来たんだけど、つい寝ちゃって。」
「さっき…?お仕事でしたか?」
「う〜ん、まあ。昨夜はイロイロあってね〜。」
「…野暮なことを聞きました。」

要の誤魔化し方からイロイロと納得した絵梨は、棒読みで返す。
言動の軽い3男に朝から付き合うことはない。
そのままキッチンへ行こうとした絵梨の後ろから、また軽い声が聞こえてきた。

「絵梨ってばいい切り返しー!そこのヒトー、堂々とうそつかないでー!」
「…椿さん、おはようございます。」
「うん、おっはよー★」
「なんだよ、つばちゃん。今の話のどこがうそなわけ?」
「えー!どうせまた、朝まで『檀家さん』と一緒だったんでしょー?」
「そうだよ?それが俺のオシゴトだからね。」
「だからさー、朝まで坊さんと付き合う檀家ってなんだっつの!ついでに何やってんだっつの!」
「それは…ありがたいお話をしてあげてただけだよ。」
「出た!かなにーの必殺技♪ありがたーいお話!」

ありがたいお話、ねえ…
そんなもの、たかが知れているでしょうに。

こっそりと溜息をつくと絵梨はその場を離れようとした。
その彼女に、しょうもないやり取りをしていたはずの要が突然話を振る。

「あ、そうだ。今度、絵梨ちゃんにもしてあげようか?ありがたいお話。」
「…」
「ムリムリ!絶対、やめた方がいーって!全然ありがたくないから。つーか、聞いたら最後。取って食われんのがオチだよ!」
「ですよね。」
「おっ、分かってんじゃん★かなにーの『ありがたいお話』はね、落としたい女に聞かせるための口説き文句だから。気をつけろよー?」
「あ!そうやってまた、つばちゃんは俺のイメージを崩すようなことを…。」
「男の人って大変ですね。安心してください、元々崩れていますから。」
「…マジで?」
「はい。」
「ひっでー…っ!」
「うっけるー★マジでちょーいい切り返し!まあ、かなにーは煩悩まみれのお坊さんだからねー。やべーって思ったらすぐ俺んとこにおいでよー?ちゃーんと、かくまってあげるから★」
「つばちゃんこそ、危険人物だって。あとねー、一つだけ言っておくけど。煩悩の意味、知ってる?」
「うっ…」
「狂おしい程の欲望に悩まされる心のこと、だよ?俺はねー、そんなふうにガツガツ行ったりしないの。あくまでもスマートに、女性を誘うんだよ。だから、煩悩なんてないんだよねー。」
「お坊さんなのに女性に目を向ける辺り、煩悩そのものですよ。」
「くっ、あはは!そのとーりだよね!」
「絵梨ちゃん…オニーサン、ちょーっと心外だなー?そんなこと言うキミにも、特別に『ありがたいお話』を一晩中してあげるよ。…覚悟してて、寝かさないから。」

本気な目をして色を含ませた声で詰め寄ってくる要に、絵梨は後ずさる。
少し喋りすぎたかもしれない。
どうこの場を切り抜けようか頭を使い始めたところで、苛立ちを抑える低い声がリビングに響いた。

「…おはようございます。朝から何をやっているんですか。騒々しい。」
「きょーにー、おっはよ!家族ダンランってやつだよ、家族ダンラン♪ねーっ?」
「…まあ、そんなところです。」
「親睦を深めることは構いませんが、あまり彼女を困らせないでくださいね。椿?」
「俺かよっ!?」
「ははっ!つばちゃん、怒られてやんのー!」
「お前もですよ、要。」
「俺もっ!?」
「…こんなバカどもに構って、あなたの気分を害するようなことがあってはなりませんね。絵梨さん、朝ご飯の支度を手伝ってくれますか?」
「はい。」

近くでブーイングを出している弟達に罵声を浴びせながらも、右京は素早くエプロンを身につけてキッチンに入っていく。
その後に続いた絵梨だったが、ふと振り返って要を見た。

「もう目は覚めていると思いますけど、お茶でも淹れましょうか?一息つけると思いますよ?」
「うーん、そうだねえ。お茶もいいけど…。きみが目覚めのキスをしてくれたら、すごく元気になれるかも。」
「…」
「うん、それがいいな!」
「…椿さん、待たせては可哀想ですよ?」
「えーっ!?じゃあ絵梨が俺にしてくれたら、俺はかなにーにするよ★」
「…右京さん、かわいい弟達が待っていますよ?」
「朝食が終わるまで、どこかに姿を消していなさい。むしろ、永久に彼女の前に現れないでください。要、椿。」

切れ味鋭く氷点下の声でそう言い放つと、右京は2人の存在を無視して朝食に取り掛かる。
絵梨もその横で大人しく手伝いをした。


2014.10.02. UP




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夢幻泡沫