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愛=煩悩
06
仄暗い間接照明がおしゃれな、東京でも一等地に立つレストラン。
要が最近開発した、悩める檀家さんと一緒に来る場所。
この店では定時になると生演奏がBGMとして流れる。
演奏される楽器や曲は様々だが、音楽通や専門家にも『素晴らしい』と言わしめるほどの腕前が揃っているそうだ。
それがまた高尚なイメージとして、この店は安定した人気を誇る。
なかなか予約が取れないこの時間帯に檀家さんとの会話を楽しみながらグラスを傾けていた要の耳に、コツコツとヒールの音が響いた。
いよいよ生演奏が始まるようだ。
片隅に配置された楽器を用意し始めた人物を見て、要はグラスを落としそうになった。
「…あれは…」
「え?要仁さん、何か言いました?」
「ああ、いいえ。」
檀家さんの問いかけに慌てて笑顔を作ると、要は嘆息と共にグラスを置く。
『要仁』とは、僧侶としての要の名前だ。
すなわち、今はオシゴトの時間。
けれど、残念ながら食事を楽しむ気分ではなくなった。
あそこにいるのは…間違いなく絵梨だ。
バイトで遅くなることはしょっちゅうだったが、まさかこんなところでしているとは思わなかった。
それにしても…と要は思う。
初対面の時から綺麗な子だとは思っていた。
普段着しか見たことなかったから仕方がないのだが、着飾ると更に綺麗なんだなと感嘆せざるを得ない。
簡単に纏められている髪なのに、艶めいた項。
体のラインがそそるドレス姿から見える、華奢で滑らかな肩。
ほっそりとした腰に、スラリとした足。
化粧した横顔は普段より大人びて見える。
そして、白くしなやかな指から紡ぎ出される甘い音色。
「…素敵…」
檀家さんがうっとりしながら聴き入る。
それもそのはず。
黒く磨き抜かれたピアノが次々と美しい音楽を歌っていた。
「今日の演奏者は、また随分と腕の立つ…」
ボソリと聞こえた言葉に振り返れば、背広を着た男性客が店長を招き寄せて絵梨のことをあれこれと聞いている。
周りをぐるりと見渡してみると、カップルで来ている男も絵梨をじっと見ているではないか。
それだけで要の心が荒れる。
他の男が絵梨を見ているのが苛立つ。
彼女の周りに男が群がるのが許せない。
この気持ちは…
「…妹、なんだけどなあ…」
要は唇を噛みたい思いだった。
「絵梨ちゃん。」
「…要さん?」
バイトが終わって店から出てきた絵梨に声をかけたのは要だった。
「お疲れ様。いい演奏だったねー。」
「…お店に来ていたんですか?」
「うん、そう。食事しにきたんだけど、絵梨ちゃんが生演奏を始めたから驚いちゃった。音大に通ってるってのは知ってたけど、上手なんだねえ。」
「まさか一人で来たんじゃないですよね?お相手の方はどうしたんですか?」
「ん?なになに、ヤキモチ?」
「は…?」
「絵梨ちゃん…そんな冷たい声出さないで。オニーサン、傷ついちゃう…。」
真顔で聞き返した絵梨に、悲しそうな顔をして要は首を振る。
「夜遅くに女の子が一人で歩くなんて危険だよ。だから一緒に帰ろうと思って。」
「本音は何ですか?」
「う〜ん、相変わらずいい切り返し。本音はね、こんな綺麗な絵梨ちゃんを逃す手はないーって思って。」
「…」
「ちょっ…本当のこと話したのに、なにその呆れた目は?」
「…」
「とにかく、こんな夜遅くに一人だなんて心配させないで。一緒に帰ろう?」
「…はあ。分かりました。」
「よかった。じゃあ行こうか?」
絵梨の承諾に、要は機嫌よく彼女の隣に立つ。
そしてさっと手を繋ぐと、駅に向かって歩き出した。
「さっきの店で酒を飲んじゃったからさ、今日は電車で勘弁してねー。」
「…要さん、手…」
「ん?」
「…いえ、何でもないです。」
「ははっ!ありがと、絵梨ちゃん。いい子だね。こうしていると、本当の恋人同士に見られるかもね。」
「…」
「まあ、男避けくらいのつもりでいてよ。俺にも少し夢みさせて?」
「…これ以上のことしてくれる女の人が他にいるでしょう?」
「う〜ん、まあ…。でも俺、絵梨ちゃんに本気になりそうだから。」
「…」
「真面目な話、夜遅くに女の子1人じゃ、いろいろ危ないよ?今度からバイトが終わったら俺に連絡すること。迎えに来てあげるから。」
「今更です。もう何年もこの時間にここを歩いているから、大丈夫です。」
「それでもダーメ!絵梨ちゃん、自分の綺麗さを自覚してなさ過ぎ。悪ーいオオカミ共がうようよときみを狙ってるんだよ。何なら俺が一晩中でも証明してあげるけど?」
「…」
「…」
「…」
痛い沈黙が流れる。
軽蔑の眼差しを向けて黙ったままでいる絵梨に、要は繋がっていない方の手で降参を示した。
「…ゴメンナサイ、調子に乗りました。でもちゃんと連絡はして。」
「…」
「いい?連絡すること。じゃなきゃ、京兄にバイト禁止令を出してもらうから。」
「…分かりました。右京さんに連絡することにします。」
「ぐっ…」
恐ろしい次男の名を逆に使われて、要は言葉に詰まる。
それでも溜息をつくと穏やかに笑った。
「いいよ、それで。きみが無事に帰れるのが一番なんだから。」
今度からは車で迎えに来るからねーと片目を瞑った要に、絵梨の心臓がドクンと一つ鳴った。
繋がれた手が…熱い。
2014.10.16. UP
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夢幻泡沫