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問答無用の魔法

15



「悪かったって。」
「…本気で思ってないくせに。」
「紫苑がちゃんと自己紹介しないのが悪いんだろ?」
「だって、もう声優やらなくなって何年経っていると思ってるの?」

前の席からクスクスと笑いながら交わされる会話が、ぼんやりとした頭に聞こえてくる。
押し込められるようにして椿は梓と一緒に後部席に乗った。
運転席には汐音、助手席には声優仲間が座っている。
聞こえてくる会話は、当然その2人のもので…。
うまく働かない頭でもイライラするのが分かる。

「つうかさ、マジで時間作るから今度一緒に遊ぼうぜ?」
「うん、もちろん。今は私の方が合わせられるから、いつでも連絡ちょうだい?番号は変わっていないから。」
「おう、了解。今、なにやってんだっけ?」
「大学生、3年だよ。学業に専念したくて声優はお休み…というかやらなくなったの。」
「だっけ?なあ、帰ってこねえの?」
「どこに?」
「俺らの世界。」
「声優、に?」
「ん。」
「私が?」
「そう。」

ふふっと零れた笑いは軽いもので、その気がないのだと思わせるには十分だった。
隣にいる梓に凭れかかりながら、椿はひとり落胆する。

「いまさら?需要がないでしょ?」
「そんなことないと思うけど。少なくとも、俺は紫苑が復帰したら嬉しいし。来年はシリーズ20周年なんだぞ。俺らのは5周年。」
「そっか、もうそんなに経つんだね。」
「なに他人事みてえに言ってんだよ。これまだ内緒なんだけど…今度のクールでシリーズの新作やるらしいぞ。それに20周年イベントも企画されてるみたいだし。お前、声がかかったらどうすんだ?」
「…そういうイベントには参加してもいいかな、とは思うよ。でも事務所も満了退社したし、業界から離れてだいぶ経つからなぁ。呼ばれるとは思えないけど。」
「お前さあ、自分の人気がどれだけあるのか知らねえの?全シリーズのキャラの中で未だに上位にランキングされてんだぞ。ヒロインの中ではトップだし。」
「それはキャラの話でしょ?」
「バーカ!キャラってことは中の人間も含まれてることが多いんだって。お前、ファンに愛されてんだぞ。感謝しろよ。」
「もちろん感謝しているってば。」
「じゃあマジで考えとけよ?」
「…優秀な代理人でも探しておくわ。さ、到着。」

静かに停まった車から降りると汐音が座る運転席側に回り、彼は窓越しに後部座席を覗いた。

「椿も梓もぜんぜん起きねえな。」
「疲れてるんじゃないかしら?」
「よろしく言っといてくれよ。」
「うん。」
「…久しぶりに会えて嬉しかった。紫苑と一緒に仕事するとすげえ楽しいから、またやりたい。」
「私も。裕くんをすごく頼りにしていたから、声優の時の楽しい思い出は裕くんのおかげ。大好きよ、『おにいちゃん』。」
「任せろ。椿や梓にだって負けねえ。お前は俺のかわいい『いもうと』だもんな。だから…さっきの話、割と真面目に誘ってるから。」
「…ありがとう。」
「ま、その前に遊ぼうぜ?近いうちに連絡入れるから。」
「うん!」
「じゃあ、気をつけて帰れよ。」
「ありがとう。連絡、待ってるね。」

車から離れた彼に手を振ると、汐音はマンションに向かって車を走らせた。



ムカムカする。
あの心を開き切ったような甘えた会話も、2人だけが知っている過去も、今の汐音の様子も…。
帰り際に貰ったらしいあいつのCDを流しながら、小さい声で歌っている汐音が気にくわない。
なんでそんなキレーな声であいつの歌なんか歌ってんだよ?
あんなにカワイイ態度、俺に見せたことねーじゃん。
いつでも連絡ちょうだいって恋人かっての!
あいつもなんで俺より先に声優界に誘ってんだよ!?
俺や梓に負けねーってどういうことだよ!
あいつのこと『おにいちゃん』とか呼んでるし。
…なんだよ、大好きって!?

苛つきを抑えるように椿はゆっくりと目を開けて、ぼそりと零すように言った。

「…ねえ、『おにいちゃん』ってなに?」
「っ…つば、きさん…ビックリした、起きたんですか?」
「いや、ずっと意識はあったよ。裕と汐音の会話も聞いてた。ところどころぼんやりとしてるけど。」
「え…やだ、忘れてください。」
「忘れられるわけねーだろ?なんであんなに仲いーんだよ。裕と付き合ってんの?『おにいちゃん』ってなに?」
「付き合っていません。裕くんは私の性格を知っていて、昔から気にかけてくれてるんです。だから、私にとって『おにいちゃん』みたいな存在なんです。」
「…納得いかねー。」
「でも、本当ですから。椿さん酔っているから、うまく頭が働いていないんですよ。マンションに着くまで寝ていてください。」
「ヤダ。」

じっとりとした視線を前に送っていると、ルームミラー越しに合った汐音の目が困ったように細まる。
少し居心地悪げに眼を逸らすと、椿は窓の外を見たまま彼女に話しかけた。

「…俺が前に言った話、覚えてる?」
「前…?」
「そう、声優になるきっかけになったアニメの話。」
「あ、さっき話題になった…」
「そう、それ。まさか汐音が先に出てるとは思ってもみなかったぜ。」
「…『紫苑』の代表作の1つになるんでしょうね。役に恵まれたと思います。新作ができるって話ですけど、オーディションとかあるんでしょうか?」
「うん、実はもう話が来てるんだ。俺、主役を受けようと思って。」
「主役ですか…頑張ってくださいね。」
「ありがと。もし出演できたら応援してくれるか?」
「もちろんです。」
「一番に?」
「はい。」
「…裕よりも?」
「…裕くんは関係ないですよね?」
「…だなー。わりー、今の忘れて。」
「…応援しています。頑張ってください。」

しっかりと心の込もった声音に不思議と安心する。
それに声優仲間とは何でもない、と汐音がはっきり否定したことで気持ちもすっきりし…。
椿は目を閉じて車の揺れに意識を沈めた。


2015.07.30. UP




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夢幻泡沫