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問答無用の魔法

16



ピンポーン、と部屋のベルを鳴らす。
いつも元気な椿がこの日は夕飯に顔を出さなかった。
梓もよく分からないとなんだか歯切れ悪かった。
汐音は夜食を持って彼の部屋を訪ねる。
しばらくして、機械越しに誰?とどこか泣きそうな声が返ってきた。

「こんばんは、汐音です。大丈夫ですか?」
「…大丈夫って何が?」
「今日の夕食に来なかったから、体調でも悪いのかと心配になって…。夜食を持ってきました。良かったら…」
「…せっかくだけど、ごめん。食欲ないんだ。」

拒絶する言葉が小さく消えそうだ。
こんな椿は初めてで、汐音もそれ以上なにも言えなかった。

「…それならここに置いておきます。もし後でお腹が空いたら、召し上がってください。」
「…う、ん。」
「これで失礼しますね。お大事に。」
「待って、汐音。」
「はい?」
「…ごめん。少し、話を聞いてほしい。良かったら、入って。」
「…いいんですか?」
「…うん。」
「…わかりました。」

汐音の返事に少ししてガチャリと鍵の開く音がする。
中にいた椿は俯きがちで表情がよく見えない。
そのまま部屋に通されたが、しばらくは沈黙が続いた。

「…あの、さ…」

やがて聞こえてきた声はやはり元気がなく、誰が聞いても明らかに落ちこんでいるのだと分かるぐらい沈んだものだった。

「…はい。」
「この間のオーディションの話…覚えてる?」
「ええ、新作のオーディションですよね。」
「汐音が応援してくれるっつーから、気合入れてオーディションを受けたんだけど…。ははっ…まあぶっちゃけて言うと、落ちちゃったんだよね。」

空笑いと同時に椿の眉が下がる。

「実力が足りなかったから、落ちた。それなら納得できるんだよね。」
「…」
「ただ…実際には違ったんだ。」
「…どういうことですか?」
「製作者側の強い意向でさ…主役は、最初から…梓に決まってたらしいんだよね。」
「…決め、打ち…」
「あー…その言葉、知ってたか。ははっ、笑っちゃうだろ?落ちたこともショックだったけどさ。ハナっから梓に決まっていたって聞いた時、悔しさやら情けなさやらで頭の中がぐちゃぐちゃになって…。まともに梓の顔、見られなかった…。そんな自分にもすげー腹が立って…それで…」
「そうだったんですか…」
「…」
「…ごめんなさい。私…うまく言えなくて…」
「いや、俺の方こそごめん。いきなりこんな話を聞かされても、汐音だって困るよな…。」
「そんな…」
「いいんだ。俺自身、ほんと実力のないアイドル声優でしかねーんだな…って思うし。やっぱ俺、声優には向いてねーんだろーな…。」
「…それは言っちゃいけないでしょう?」
「え…?」
「思ってもいないこと、口に出さないでください。椿さんらしくもない。」
「じゃあ、聞くけどさ!俺らしいって、どんなの?」
「…私の知っている椿さんは、いつだってとても明るくて…自分の思いや夢をかなえるために努力を惜しまなくて、ファンのことも大切にしていて…」
「…」
「何より声優として、演じることが大好きな人…です。」
「…汐音…」
「声優界に…少しだけいたからすぐに分かりました。ああ、この人は本当に好きでやっているんだなぁって。上手い下手じゃなくて、心から楽しんで真剣に真面目に仕事に取り組んでいるんだなぁって。羨ましい…というか、そんな姿勢を尊敬しています。だから、笑っていてください。今すぐには無理でしょうけど、椿さんが笑っていないと…梓さんだって心配するはずだし…。」
「…そっか、そうだよな。俺、自分のことでいっぱいいっぱいで…梓の気持ちとか、全然考えてなかったな…。まだ、気持ちの整理はつかねーけど…梓の前で、落ち込んでもいられないよな。」
「はい。」
「それにあいつ…ヘタすると、この役を降りるって言い出しかねない…。」

椿の言葉に汐音はハッとする。
あの歯切れの悪い態度は、もしかしたらそう言うことなのかもしれない。
さすが一番そばにいるだけのことはある。
そして、兄というだけのことはある。
すぐに弟のことを思いやれる器の大きさに汐音は驚いた。
けれど同時に苦しく思う。

でも、それなら…椿さんの気持ちは?
長年の夢だったアニメに出られなかった彼の気持ちは…?

「ありがと、汐音。汐音に話を聞いてもらって、ちょっとスッキリしたよ。」
「…いえ、役に立てたなら私も嬉しいです。」
「…なあ、汐音。ついでにさ、もう一つ聞いてほしいことがあるんだけど。」
「はい、なんですか?」
「今日このまま…俺の部屋に泊まってってくんね?」
「…」
「俺、今日は1人でいたくない。つーか、汐音と一緒にいたい。」
「…」
「なあ、ぎゅーってしていい?…ダメ?」
「…いいですよ。」
「やった★ぎゅー!!」

努めて明るく振る舞い抱きついてきた椿の背中に腕を回す。

「…お疲れさまでした。知っている作品で椿さんの声が聞けないのが残念ですけど、次を楽しみにしています。」

静かな汐音の言葉に、椿の体が震えた。
肩口に湿った息がかかるのが分かる。
汐音が慰撫するように椿の背中をさすれば、彼は腕に力を入れてもっとくっついてきた。


2015.08.13. UP




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夢幻泡沫