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問答無用の魔法

20



「椿さん、お疲れ様です。お仕事ですか?」
「ん、汐音?いつの間にリビングに入ってきたのー?ぜんっぜん気付かなかった!」
「随分真剣な表情で、台本を読んでいましたね。」

実はキッチンで作業していました、とも言えずに汐音はマグカップを持ってソファの足元に膝を付ける。

「お邪魔したら悪いかなって思ったんですけど、コーヒーを淹れたので良かったらどうぞ。」
「あー、サンキュ…」
「…椿さん、さっきからずっと…眉間に皺が寄っていますよ?」
「え…!?うそだー!俺、そんな顔してたー?」
「していました。」
「汐音って意外と俺のこと、よく見てるよねー。汐音に心配されないように、気を付けなきゃな…。」

いつもだったら『俺のこと好きになっちゃったー!?』とか、『マジかーいい!ギュー!!』とかしてきそうな場面なのに、一切そんな雰囲気がない椿に汐音は首を傾げる。

「…何かありましたか?あの、私でよければ…話を聞きますけど。」
「うーん。実は、さ…」
「はい。」
「梓があんなことになっただろ?だから急遽、例のロボットアニメの主役が交代することになったんだ…。」
「…そうだったんですか。」
「で、梓の代役として俺にオファーがあったんだってさ。この間、マネージャーから連絡が来たんだよ。」
「それは…」

おめでとうございます、と言いかけて汐音は口を噤む。
確かに梓のことがあって手放しでは喜べない状況だ。
けれど長年の夢が叶うはず。
それなのに、どう見ても椿の顔は深刻だった。

「…嬉しくないんですか?」
「やっぱ…そう、見える?」
「はい…」
「ははっ…正直、かなり焦ってんだよね…。」
「…どうしてですか?」
「どうして、って…。なんかうまく言えないんだけど…。もっと完璧に演じなきゃとか、梓みたいにやらなきゃって考えれば考えるほどうまくいかないっつーか…」
「梓さんみたいに…ですか?」
「うん…。どうしたら、梓と同じ演技ができるんだろーな。」
「同じ、って…」

椿の言葉に汐音は唖然とする。

代役として選ばれたのは、梓さんと同じ演技を求められたからではない。
椿さんは椿さんだけの主役を演じられるから、と望まれたはず。
なぜ…いや、心情は痛いほど分かるけど…なぜ、椿さんにオファーが来たのかが分からないの?

「…椿さんは完璧に梓さんの代わりになろうとしているんですか?」
「そりゃ、そーだよ。元々は梓に来てた役なんだから。それに…悔しいけど、梓は俺よりもうまくて…俺は…梓よりもヘタで…」
「…」
「だから!梓と同じようにやらないとダメなんだよ!!」
「…呆れた。」

汐音の口から冷めた言葉が漏れる。
その言葉に椿はビクリと反応した。

「上手いとか下手とか…そんなの言い訳です。確かに元々は梓さんに来ていた役ですけど、引き受けた時点で椿さんの役になったんです。」
「…」
「それなのに勝手に梓さんと比較して、誰も完璧に代わりをやれなんて言っていないのにそう思い込んで。…バカじゃないですか?」
「なっ…!」
「しかもまだ放映されていないのだから、ファンからも比べられるはずないのに。収録だってまだ始まっていないのでしょう?固執しすぎです。」
「…」
「ねえ、椿さん…。私は椿さんの声が好きです。」
「え…?」
「椿さんの声を聞くと、ドキドキします。色々な役、色々な声がありますけど…椿さんが演じた役はどれも生き生きとしていると思います。私は椿さんの声を聞いて、そう感じました。梓さんの声も好きですけど…でも、梓さんの声じゃないんです。椿さんの声です。」
「俺、の…声?」
「そうです。もちろん、梓さんの声も素敵です。でもそれは、椿さんとは全然違うものです。だから、お2人ともに人気があるのでしょう?それにいくら梓さんの代役といっても、椿さんは梓さんにはなれませんよね?」
「そうだけど…」
「いくら一卵性で似ていても、梓さんは梓さんで…椿さんは椿さんです。椿さんには椿さんにしかできないこと、椿さんにしか出せない魅力があるんじゃないでしょうか?」
「…っ!」
「私はそう思っています。誰にも負けない、椿さんだけの魅力があるって。」
「汐音…」
「そんな情けない顔しないでよ…お兄ちゃん!」

ニッコリと笑いながらも叱りつけるように語尾を強めた汐音の言葉に、椿はぐっと唇を噛んで叫んだ。

「あー!!サンキュ、汐音。今の言葉で目、覚めたかも。」
「椿さん?」
「あのさ…。仮に俺にしか出せない魅力っつーのがあるんだとしても、な。それが誰にも負けない程のすげーモンなのか、俺にはわかんない。でも…」
「でも?」
「そんなふうに言ってくれる人が、世界にたった1人でもいるなら…。そんなふうにいってくれる汐音が、俺のそばにいて励ましてくれるなら…こんなところで、負けてらんねーじゃんって思った。がんばらないわけにはいかねーなって。」
「椿さん…」
「見ててよ…じゃないか。聞いててよ、かな。俺、『朝日奈椿』にしかできない主人公を…きっと演じてみせる。」
「…生意気なこと言ってすみませんでした。」
「そんなことねーって!さすがセンパイ!格がちげーわ!!」
「そんな…」

ニッと笑って頭を撫でてくる椿に、汐音の顔からも固さが取れた。



「ねえ、汐音…ところでさ。」
「はい?」
「俺の好きなところは声だけなワケ?」
「…えっ!?椿さん…きゅ、急に何を…?」
「だってさー、さっき言ってくれたでしょー?俺の声が好きだ、ってさ。ぶっちゃけ、声以外はどーなの?好きじゃないってこと?」
「…え、と…」
「ねーねー、いいじゃーん。聞かせてよー。その答えによっては俺、もっとがんばれそうな気がするー。」
「ひ…秘密です…」

正直なところ、今の自分の気持ちが分からない。
家族、の中に私を含んでいいのなら…お兄さんとして好き。
だけど、それだけでは説明できないくらいドキドキが止まらない。
視線を逸らす汐音に椿は頬を膨らます。

「えー、なんだよ!ケチー!」
「け、ケチって…」
「ねー。こっち向いてよ、汐音ー。」
「…」
「いーよ。向かないんなら、強引に向かせるだけだからー。」

ソファの足元に座ったままの顔を隠す汐音の腰に手を回すと、椿は簡単に自分の隣へと引き上げる。
肩を抱き寄せて残った手を彼女の指に絡ませるように繋ぐと、驚いている汐音の頬に唇を寄せた。

「これは、元気をくれたお礼!つっても、こんなことして元気になってるのは俺の方かもしんないけどねー。へへっ★」
「つ、椿さん…!」
「そんで、こっからは俺のワガママ…。ねえ、汐音。もう1回、キスしたい。してもいい?」

いつもより低くて甘く強請る響き。
椿の不意打ちに汐音の心臓がドクリと高鳴る。

「っ…そんな声出して、卑怯です…」
「してもいい?」
「だ…ダメです…っ!!」
「ダメじゃないだろ?」
「リ、リビングに…誰か入ってくるかもしれないし…」
「いんじゃね?見せつけてやろ?汐音は俺の声だけ聞いてれば、いいよ…」

そう言うと、椿は額、まぶた、頬と順番にキスを落としていく。
そして最後に…

「そう、そのまま。おとなしくしてて…ん♪」

優しい感触が汐音の全神経を支配する。

こんなことをしていたらいけないって思うのに。
椿さんのせいで、何も考えられなくなった…。


2015.10.29. UP




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夢幻泡沫