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問答無用の魔法

04



「えっ…と…これ…なんて読むのかなー。」

教科書を見ながら弥はうんうんと呻っていた。
音読の宿題が出ているのだが、社会人組はまだ誰も帰ってきておらず見てもらえる人がいない。
すぐに聞いてもらえるように練習をしていたところ、新出漢字で引っ掛かってしまった。

「ねーねー、ゆーくん!これ、なんて読むの?」

弥を1人にさせないように一緒にリビングで課題に取り組んでいた侑介に聞いてみると、面倒くさそうにチラリと弟を見て眉をしかめた。

「ああ!?んなもん俺に聞くなよ。」
「もしかしてわかんないの?」
「なっ!?違えよ、小学生のモンがわかんねえわけねーだろ!」
「じゃあゆーくん、教えて!」
「ちっ、仕方ねーな。どれだ?」
「これ。」
「…あ?これか?これはだなー…え…これ、は…ああ?…ん?…何だよ、これ…こんなもん習ったか…?」
「ゆーくん?」

弥から教科書を奪い取って食い入るように見ていた侑介だったが、答えが出てこない。

「…辞典で調べりゃ一発だろ、こんなもん!」

とうとう教科書を放り投げて侑介が毒づく。

「あー!?ゆーくん、ダメー!教科書なげちゃダメなんだよー!」
「知るかっ!」

拗ねたようにそっぽを向いた侑介が、あ…と何かに気付いた。

「…しお姉、おかえり。」
「ただいま。」
「あっ、おねーちゃん!おかえりなさいっ!」
「ただいま、弥くん。」

珍しく自室に寄らずに直接来たのか、バッグを肩からかけたまま汐音がリビングに現れた。

「おねーちゃん、今日バイトは?」
「今日はないよ。」
「えっ!?じゃあ一緒に夜ごはん食べられるの?」
「あー…」
「…もしかしてダメなの?」

キラキラしていた弥の目が一気に潤む。
汐音は一瞬迷ったが、弥の隣に座ると優しく頭を撫でた。

「…一緒に食べてもいい?」
「っ、うんっ!!やったー!おねーちゃんと一緒!おねーちゃん、僕のおとなりねー!」
「うん。」
「わーい!」

全身で喜ぶ末っ子の頭をもう一度撫でると、汐音はキッチンに入って行った。

「…弥くん、何か飲む?」
「うん、ジュースがいいなー。」
「侑介くんは…?」
「お、俺は茶でいい。」

手早くグラスを用意すると、リクエストされたものを注ぐ。
お盆に乗せてリビングまで運び、邪魔にならない位置に置いた。

「悪ぃ。」
「いいえ。…課題?」
「おう。」
「頑張ってね。」
「あっ、そうだ!おねーちゃんならこれ読めるよね?ゆーくんに聞いたんだけど、ゆーくんはわからないんだって。」
「ちっ、ちげえ!自分で調べろっつったんだ!!」
「…どれ?」
「これ。」

差し出された教科書をパラリと捲ると、汐音は簡単に肯首した。

「難しいもの習っているのね。」
「えへへー。…あのね、音読の宿題なんだけどね…読めないところがあって…」
「そっか…昔の振り仮名だから分かりにくいよね。…私が一回読んでみる?」
「えっ、いいのー?」
「ええ。」
「ありがとう、おねーちゃん。」
「どういたしまして。…ねえ、侑介くん。因みにその問題、使う公式が間違っているよ。」
「えっ!?どこ!?」
「初めの部分から。」
「ウソだろー!?」

頭を抱えながら消しゴムを乱暴に擦る侑介に、汐音はバッグからルーズリーフを一枚出すとヒントになる公式を順番に書いて渡す。

「問1はこれとこれ。問2はこっち。残りはこの2問の応用だから…」
「は…?え、あ?う、ちょっ…待ってくれ…」
「…弥くん、ちょっと待っててくれる?」
「うん!」
「この言葉とこの図がセットで出てきた時は、こっちの公式を使うの。だから x にこの数字を当てはめて、 y はこれでしょ?」
「あ?…ああ、てことは… f はこれか?」
「そう。で、それをもとに…」
「…おおっ!できた!!助かった、しお姉!!」
「どういたしまして。」

ニパッと笑い上機嫌になる侑介に、汐音はクスリと笑うと弥の側に行った。



「それで、気が付いたら勉強会になっていた。と。」

あれから何故か祈織も加わり、リビングはちょっとした個人塾と化していた。
弥は国語、侑介は数学、祈織は英語、とバラバラな科目だったが、汐音は見事に先生役をこなしている。
なにしろ、あの侑介が勉強をしているのだ。
夕飯の支度に来た右京も瞠目するほど、これまで溜めていたであろう大量の課題を消化していた。

「ありがとうございます、汐音さん。侑介が真面目に勉学に取り組んでいるなんて…。夢でも見ているようですよ。」
「いえ…役に立ったのならよかったです。」
「そんな言葉じゃ足りません。今日は夕飯を一緒に食べますよね?サービスさせて頂きます。」
「…ありがとうございます。」
「こちらこそ、ありがとうございます。」

飲み物のおかわりを取りにきた汐音に右京が優しく微笑む。
くすぐったい気持ちを隠すように手早くグラスに入れ直すと、汐音はリビングに戻って行った。

「…お待たせ。さあ、弥くんの番よ。」
「わーい!やっと僕のばんー!」

横に座り教科書を広げ始めた汐音に、弥はピタリとくっつく。

「じゃあ読むから聞いててね。」

弥に教科書を見せるようにして間に置くと、汐音はゆっくりと読み始めた。

「…伝へ承るこそ心も詞も及ばれね。」

最後の一文を読み終わったとき、不意にパチパチと手を鳴らす音が聞こえてきた。

「すっげー!汐音、うまいー!」
「うん、とても聞きやすかったね。」
「…椿さん、梓さん…」
「ただいまー★」
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
「ただいまのギュー★」
「ダメー!おねーちゃんのおとなりは僕なのー!」
「おっ!?一丁前に主張してやがる。そんな生意気な弟にはこうだぞー!?」

言うや否や、椿が弥を抱え上げる。
そしてブンブンと振りまわした。
初めのうちはこわいーと言っていた弥も、きゃっきゃっと声をあげて喜んでいる。

「…はあ。仕事帰りなのに元気だね。」
「お疲れ様です。でも、椿さんっていいお兄さんなんですね。」
「そう?」
「弟…と言うか、年下の扱いがうまそう…。」
「それは、まあ…。椿はある意味、ガキ大将だからね。」
「梓さんの方が弟なのに、お兄さんみたいです。」
「…とりあえず、ありがとうって言っておくよ。ところで、さっきキミが読んでいたのって?」
「弥くんの宿題です。読み方が分からないって言っていたので、一回お手本のつもりで読みました。」
「そうなんだ。とっても良かったよ。僕もお手本にしたいくらいにね。」
「え…?」
「すごーい!おねーちゃん、あっくんにほめられてる!」

へばった椿から飛び降りて、弥が目を輝かせながら汐音の横を陣取る。

「あのね、おねーちゃん!つっくんとあっくんはアニメやゲームの中のひとなんだよ!」
「…」
「僕達、声優なんだ。」
「声優…です、か…」
「子供向け作品から深夜アニメ。ゲームの方も大作RPGや乙女ゲーとか、幅広くいろんな作品に出演しているから。キミも絶っっっ対、聞いてね!」
「…はあ…」
「汐音の声は落ち着いててホッとする。抑揚の波が気持ちいいのかも。案外、声優に向いているんじゃない?」
「…っ、…」
「あーっ、いいねー★汐音も声優になっちゃえよー。」
「こら、椿。汐音さんは就職内定しているんですから、邪魔しないように。」
「えー!?つまんねー!声優、楽しいぜー?なー、梓?」
「…うん、そうだね。」
「あっ、そうだ!今度、台本の練習つきあってくんね?俺、汐音に『お兄ちゃん』って言われたらちょー嬉しーんだけど★」
「ああ、椿は妹キャラ萌えだったよね。そういえば…。」
「梓もつきあってもらえば?一緒に『お兄ちゃん』って呼んでもらおうよー。」
「…無理して付き合わなくていいからね。」
「…はい。」
「でも、付き合ってくれるなら嬉しいな。」
「梓ズリー!俺もー!!」
「そこまでにしなさい、椿、梓。」

見かねた右京が話題を切ってくれたことに、汐音はホッと息をついた。


2015.03.05. UP




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夢幻泡沫