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本当にほしいと思うもの

05



「ちょ…」
「いいから黙って。」

至近距離に広がるのは風斗の整った顔。
その他は布団ですっぽりと覆われていて何も見えない。

「僕を見て。僕の体、逞しくなったでしょ。ココとか、ココとか。」

風斗は絵美の手を取って、素肌の胸や二の腕に触れさせる。

「どお?アンタに言われてから筋トレに励んだんだよ。言われっ放しは悔しいからね。」
「風斗…」
「ちゃんと、男の体してるでしょ。僕は男だよ。アンタは女。」

そう言って風斗は絵美の手を離すと、片手で絵美の視界を奪った。

「風斗っ!」
「黙って。」
「っ…」
「ここは僕の部屋。アンタは僕の彼女。大好きな大好きな彼女。…ね、絵美さん。」

体重をかけないようにしながら風斗が体を重ねる。
肌が直に触れ合う部分が想像していた以上に柔らかく温かい。
広がった髪を耳に掛けながら誘惑するように囁けば、絵美の肩がピクリと動いた。

「僕を見て。僕だけを見てて。」

視界を奪われたままの絵美の顔は、鼻の頭と唇しか見えない。
いつもは自分を護衛する立場の絵美が自分より小さな存在に感じて、守りたくも壊したくもなる。
だけど、ここはスタジオで今は仕事。
風斗はぐっと堪えると、何か言いたげに動く絵美の唇を塞ぐ。
触れ合うだけのキスを何回かすると、絵美が風斗の首に腕を回した。
バサリと掛け布団を剥いで、カメラ目線で風斗がセリフを言う。
一発でOKが出た。



撮影もそろそろ終わろうかと言う時に、スタジオの入り口付近が騒がしくなった。

「おい、静かにしろっ!煩くす…」

静止を求める監督の声は最後まで続かなかった。
そこにいたのは、青白い顔をした女性だった。
息を荒げ、唇を震わせ、真っ直ぐに風斗と絵美を見ている。
突然の事だったが、風斗は本能的に絵美を庇うようにしてベッドの上で掛け布団を引き寄せる。
それはまるで本物の男女の睦み合いのように見えて、女は発狂したように叫んだ。
近くにいるスタッフからハサミを奪うと、じり…と前に出る。

「…何で…そんな女が…」
「…」
「監督っ!そこにいるのは私のはずよっ!!」
「お…落ち着きなさい。」
「落ち着いてるわっ!何でそんな女を使っているのよっ!!」
「きみ、が…急病だと…」
「私はここに来てるでしょっ!」
「…現場に遅れたのは…きみだ。」
「なっ!?体調が悪かったんだから仕方ないでしょう!?監督なら日程調整をして知らせてくるのが当り前よっ!!」
「相手は朝倉君だ。そんな、無理は…」
「風斗も風斗よ!何で私を待たないの!?」

一方的な詰りに風斗の表情が険しくなる。
掛け布団を握る手に力が入るのを見て、絵美は抑えてと言うように女からは見えないように隠されている風斗の太腿をポンポン撫でた。

「風斗の相手にふさわしいのは私よ。そんなチンケな女なんか相手にしてないでよ!」
「…残念だけど、アンタの出番はもうないよ。僕も監督も、この人と撮れて満足してるから。」
「撮影はまだ終わってないでしょう!?今から撮り直すわよっ!!」
「いや。もう終わる。きみとはまた別の機会に…」
「な…んなの…なんなのよっ!みんなして私をコケにしてっ!!…許せないっ!!」

狂ったように叫ぶと、女はハサミを振りかざしてベッドの上にいる2人に向かって走り出した。

「…風斗、危ないと思ったらマネジャーのところに行きなさい。」
「姉さん…?」
「やっと本業の仕事がまわってきた。」

絵美は素早くベッドから飛び降りると、自らその女の方へ歩き出した。

「…っ!」

女は止まらない。
憎らし気に絵美をきつく睨むと、やみくもにハサミを振り回す。
だが、頭に血が上っている状態の行動はワンパターン化しやすい。
絵美は冷静に凶器の軌道を観察し、読み取った。
最後の一振りが上からおろされた時、女の正面に向けていた体を捻る。
女の腕は空を切ってバランスを崩した。
その後ろに入り込んで下がった腕を、関節を外すようにして押さえる。
ハサミを持っている手首に手刀を叩き込むと、金属音を鳴らして簡単に床に落ちた。
誰もいない方へ足で蹴ってそれを遠ざける。
同時に腕を捻り上げて体重をかければ、女はくぐもった声を上げながら膝をついた。

「確保!」

絵美の鋭い声に、固まっていた周囲がハッとする。
慌てて遠巻きに近づいてきたスタッフにガムテープを借りると、絵美はうつ伏せに押さえている女を後ろ手に纏めた。
暴れないように足も一纏めにして、呆然としている女の視界に入るように回り込んだ。

「…私の大事な風斗に危ないものを向けないでくれる?それに、失敗を周囲のせいにしないの。自分で取り戻す努力をしなさい。厳しい世界で働いているんだから、それぐらい分かってるものだと思うけど。」

視点が定まらない虚ろな表情で何も言わない女に深い溜息が出る。
立ち上がった絵美に風斗がバスローブを肩にかけた。

「…大胆すぎ。」
「まだ危ないからマネジャーのところへ。」
「姉さんも一緒に。こんだけグルグルにくっつけられちゃ、力ずくで引きちぎるのだって無理でしょ。とにかくそのエロい格好を隠して。」

乱暴に腕を通させると、これでもかと襟をきつく合わせて腰の部分でひもを結ぶ。
そして絵美の手を引いてマネジャーのところまで移動した。

「お怪我は?」
「ありません。」
「絵美さんがいてくれて助かりました。」
「これが本来の私の仕事ですから。気になさらないでください。」

風斗の無事を確認すると、心の底からホッとしたようにマネジャーが笑みを見せる。

「あの女の人も芸能人ですか?」
「はい。今日の撮影の、風斗の本来の相手です。」
「そうですか。では警察に連絡するか、会社同士で話し合うかはお任せします。」
「…よろしいのですか?」
「ええ。怪我をしたわけではありませんし、特殊な業界だと言うのは承知していますので。」
「…ありがとうございます。すぐにそれぞれの会社へ連絡して対処したいと思います。」
「私も所属する会社へ連絡を入れておきます。」
「よろしくお願いします。弊社からも後ほど連絡はさせていただきます。」
「分かりました。」
「取りあえず、絵美さんも一緒に風斗の楽屋へ戻りましょう。」

楽屋へ戻ると、マネジャーは素早く各所へ対応を始める。
絵美も片隅で自分の会社へ連絡を入れた。


2017.06.05. UP




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夢幻泡沫