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それは、甘い
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「…帰った。」
「梵天丸様っ!よくぞご無事でっ!!まり!梵天丸様に不埒なことをするような奴はいなかったか!?」
「大丈夫ですよ。梵天君、とってもいい子で!会社で人気者でした。」
「当然だっ!!」
…小十郎、今の返答はまずいだろう?
おれでも分かる。
まりだって苦笑いしているぞ。
「…封筒、届けてくれてありがとうございます。」
「大事なもんなら忘れるんじゃねえ!!」
「仰る通りで…」
「以後気をつけろよ。さあ梵天丸様、手を洗ってらっしゃいませ。夕餉の支度を…」
「まりと食べてきた。」
「…おい、まり!どういうことだ!?」
「えへっ、ちょっと贅沢してきちゃいました。」
「そういう問題じゃねえっ!得体の知れぬものを口にして、梵天丸様に万一の事があったら…」
「いいじゃないですか!梵天君が遠くまで頑張ってくれたんです、少しぐらいご褒美があったって!!」
「…」
「美味しかったよね、梵天君?」
「ああ。ここの奥州名物を食べた。なかなかだったぞ。」
「…分かりました。ではもう遅い時間故、湯浴みを致しましょう。準備は整っておりますので…」
「…今日はまりと入る。」
「はっ!?」
「えっ!?」
二人して同時にきみょうな声を出しておれを見るな。
…聞いてほしいんだ。
おれのことを。
まりにだったら…右目を見られてもいいから。
「…だめか?」
「ダメじゃないけど…小十郎さん…」
「…梵天丸様が仰られているんだ。俺からも頼む。」
「分かりました。じゃあ、梵天君。準備してくるから、先に入っててくれる?」
「…分かった。」
おどろいた顔をしたまりだったが、おれに笑いかけると私室へのぼっていった。
まりの笑みはやさしくて、心がとけそうになる。
「…よろしいのですか、梵天丸様。」
「…ああ。」
「なれば、俺は何も申しません。出てくるのをお待ちしております。」
「…夕餉、違うものを食べてわるかった。」
「なに、気になさいますな。」
ここに来てからよく見るようになったおだやかな笑みを小十郎は浮かべる。
それだけでも来た価値があるかもしれない。
まりに言われたとおりに先に頭をあらっていると、まりが入ってきた。
かけ湯をして先にゆぶねにつかったまりが、はあ…と深くため息をつく。
「…年よりみたいだ。」
「ちょっと、梵天君!?いいじゃない、リラックスするぐらい!!」
むきになっているまりに自然と笑いがこぼれる。
体をあらって、まりと交代して、二人でゆぶねに向かい合わせにつかった。
まりに聞いてほしいとのぞんでいるから共にゆあみしているというのに、ここにきてまでもおそれが心のぞうをいたくする。
がんたいをしていないから、かみを上げてしまえばみにくいものを見られてしまう。
まりに…見せるのか?
見せたら、まりはどうする?
憎まれるだろうか。
なじられるだろうか。
目に入れぬようになるだろうか。
…母上の、ように。
「…おれの、母上は…」
「うん?」
「…母上はおれをいらぬ子と申された。『わらわのかわいい梵天は、つぶらな両の目を持った子である』、と。『そなたはだれじゃ、梵天を返せ』と申された。」
「…きっとお母さんビックリしちゃったんだよ。小さい梵天君の目が見えなくなっちゃって。」
「見えなくなっただけではない。どろりと飛び出たのだ。かがみを見たおれでも、みにくいと思った。」
「疱瘡を患ったんだよね、5歳で。」
「ああ。」
「命が助かって良かった。右目が全部引き受けてくれたんでしょ?」
「…」
「その右目も小十郎さんが切り取った。よく耐えたね。」
「…ああ。切り取る前に、もしおれが死んだら小十郎も後を追うと言われた。死ねない、と思った。小十郎を死なすことはできない。」
部屋にこもっているだけだったおれを、小十郎がここまで育てた。
たくさんどなられ、きびしくされ、つきはなされもしたけど、決して見捨られはしなかった。
小十郎は…小十郎だけは失いたくない。
失うことはできない。
「弁もそうだけど、梵天君も立派な主だよねぇ。5歳でそこまでって…私には絶対ムリ。」
「…」
「切り取った右目の代わりが小十郎さんでしょ。生涯、大切にしなきゃね。」
「ああ。…だが、母上は…」
おれをきらった。
どうしてもそれを口にすることができなくて、湯をにらむ。
しばらくちんもくが続いたが、ゆらりを湯が動いておれの頭に温かいものがのった。
…ああ、まりの手か。
「梵天君、こっちを見て。顔を上げて?」
「…」
「目を見ないとお話しできないよ?」
「…だが、おれの右目は…」
「梵天君の右目は、小十郎さんでしょ。違うの?」
「その通りだ。」
「なら、外見に囚われないで。梵天君は梵天君。それぞれ違って当たり前。…でしょ?」
体がふるえているが、まりの言葉はなぜか逆らうことができない。
ゆっくりと顔を上げた。
おれの頭にのっていたまりの手が、顔の形をなぞるようにしておりていく。
右目をかくしているかみを指ですくい、おれを正面から見た。
まりは何も言わない、動かない。
おれが『見ろ』と言うのを待っているのだろう。
くちびるが氷のように冷たくかたく感じる。
だから、代わりに小さくうなずいた。
まりはおれにうなずき返して、指をゆっくりと上げた。
「…正直な感想、言ってもいい?」
「ああ。」
「もっとエグい傷を想像してたから、こんなものかって感じ。だけど痛そうなんだよね。…きっと体の痛みじゃなくて、心の痛みが出ちゃってるんだろうなぁ。」
「…」
「お母さんも勿体ないことしたね。こんな可愛い子の手を離しちゃうなんて。…頑張ったね、梵天君。」
「っ…」
「梵天君はいい子。賢い子。強い子。…優しい子。大好きよ、梵天君。」
「まり…っ…」
「おいで、梵天…」
『君』は聞きたくなかった。
おれが欲しかった言葉を、どうしてまりは分かるんだ…。
ばしゃりと水音が立つのを気にすることなく、まりのむねにすがる。
生身のまりはとても温かかった。
2018.07.02. UP
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夢幻泡沫