Main



それは、甘い

63



角を曲がる時に後ろを確認しても、暗くてよく分からなかった。
と言う事は、向こうからも私達は見えないわけで。
ふぅと息をついた私に、猿飛さんが握っている手の力を強めた。

「大丈夫?」
「え?あ、大丈夫ですよ。」
「ごめんね。もっと早く行けばよかったね。」
「そんな事ないです。来てくれただけで感謝ですから。あの人、ホントにしつこくて。」
「嫌なことされてない?」
「まあ、ベタベタとくっつかれたぐらいですかね。猿飛さんがいなかったら、警察に電話するところでした。」
「俺様、役に立った?」
「はい。大活躍です。」
「そお?それならよかった。」

思いのほか嬉しそうに猿飛さんが笑うものだから、不快だった気分が変わってくる。

「猿飛さんが話を合わせてくれて助かりました。」
「恋仲に見せればよかったんでしょ?え〜と…かっぷる、だっけ?」
「そうです。一緒の家に住んでるぐらい仲がいいって分かれば、諦めるかなぁと思って。」
「あながち嘘でもないからね。じゃあ、戻るまで手は繋いでてもいいってことかな。」
「え、酔っ払いはもういないですよ。離してください。」
「えっ!?」

…何でそんなに驚くの?
だってもう、見せるような相手はいないし。
手を繋ぐ理由がないじゃない。

「帰るまでにああいうのがまたいたらどうするの?そりゃ道なりにでんきはあるかもしれないけど、こっちじゃ暗いうちに入るでしょ。こんな遅い時間に暗い中を女の子が一人で歩くって信じられない!襲ってくださいって言ってるようなものだよ!?」
「そんなことはないですよ?」
「だ〜め!まりちゃん綺麗なんだから、一人でふらふらしてたらどんな目に遭うか分からないって!実際あんな目に遭っちゃったんだから、大人しく繋がれてて!」
「…」
「まりちゃん!?」

心配、してくれているのかな?
だとしたらそれは嬉しいんだけど、ホントに大丈夫なのに…。

「…分かりました。」

憮然と肯首すると、手をしっかりと繋ぎ直される。

「すうぱあには寄るの?」
「寄ってください。油揚げは別になくてもいいですけど、おつまみがちょっと欲しくて。」
「つまみ?」
「帰ったら飲むので、そのおつまみです。」

そう言ったら、猿飛さんが少し考える素振りをした。

「…ねえ。」
「何ですか?」
「つまみは俺様が用意するからさ、一緒に飲まない?」
「は、い…?」
「だから〜。俺様、まりちゃんと飲みたいの。」
「は…え…?」
「それはそうと。まりちゃん、夕餉は食べた?」
「あ、いえ…まだですけど…」
「駄目でしょ、ちゃんと食べないと!つまみは夕餉が終わった後。すうぱあに寄ってる暇なんかないね。」

はい、屋敷に帰りましょ〜!
はい、決定〜!
猿飛さんが一人でどんどん話を進める。
え…とか、あ…とか。
碌に返事もできずに、猿飛さんに手を繋がれたまま。
気づけば家に戻っていた。

「手を洗ったら、着替えておいで。その間に俺様が支度をしとくから。」

帰っても主導権は猿飛さんが持ったままらしく。
言われた通りに手を洗って、メイクを落として。
部屋着に着替えてリビングに戻ってくれば、おいしそうな夕飯が湯気を立てて迎えてくれた。
しっかりと晩酌までセットされていて。

「おかん…」
「違うからねっ!?」

ポソリと零れた感想に、猿飛さんが素早く突っ込む。
いただきます、と両手を合わせれば。
はいどうぞ、なんて柔らかく返されて。
…やっぱりおかんじゃないですか。
1人で食事をするのは味気ないと知っている。
だから猿飛さんが隣にいてくれるのが、悔しいけれど…。

「…ありがとうございます。」
「へ?何が?」
「…夕飯、一緒にしてくれて。」
「あ〜、その事?気にしないでよ。俺様、まりちゃんと飲みたかっただけだもん。」

しっかりと自分のお猪口も用意している猿飛さんに、徳利を傾ける。
まりちゃんもどうぞ、とお返しをしてもらって。
夕飯をおつまみにくい、と一杯。

「はぁ…癒される。」
「毎日お疲れ様、まりちゃん。」
「…猿飛さんも毎日ありがとうございます。食事の支度とか、家の掃除とか。」
「っ…」
「1人でいた時、正直メンドくさくて。適当にしか掃除も食事もしてなかったんです。みんながここに来て一緒に暮らすようになって、家の事はみんなに任せっきりにしてて申し訳ないんですけど。だけど、今は。食事も掃除も洗濯も全部やってもらっちゃっているから、すごく助かっています。」

1人だった時はコンビニやスーパーのお弁当なんて当たり前で。
冷蔵庫がこんなに充実していることなんてなかった。
掃除もクイックルワイパーを丸くかけているだけで。
テレビ見ながら手の届く範囲をコロコロしているだけで。
部屋の隅までピカピカになるなんてなかった。
洗濯も週末に一気に洗うだけだったから。
洗濯物が洗面所に溜まっていることなんてザラで。
部屋の前に綺麗に畳まれたものがあるなんてなかった。
…正直、今の環境はすごく恵まれていると思う。
こんなに仕事に集中できるなんて。
世の中のお父さんはこんな心境なのかなぁ。
感謝はちゃんと口にしなくちゃね。
もう一度『ありがとうございます』と猿飛さんに言う。

「…猿飛さん?」

いつもの猿飛さんだったら間なんて空けずに返事が来るはずなのに、なぜか来なかった。
不思議に思って食べ物に向いていた視線を彼に向けると、驚いたように目を丸くして私を見ていた。

「猿飛さん?」
「…っ!」
「どうかしましたか?」
「…いや…まりちゃんから『ありがとう』なんて…」
「え?」
「…『ありがとう』なんて言われるとは思わなかった。」

ボソボソと聞こえた返事に首を傾げる。

「…俺様、まりちゃんに嫌われてると思ってたから。」

…さすが、自称優秀な忍びだけある。
他人の感情に機敏だこと。
だけど私に隠すように沈んだ顔は少し色づいていて、嬉しそうで。
食事を続けながら、『そうなんですか?』と嘯く。
だって。
猿飛さんがそう思う態度を私は取ってきたのだから。


2018.10.15. UP




(63/91)


夢幻泡沫