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それは、甘い

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出会いはホントに最悪で。
私はこの人に殺されかけた。
自分以外には誰もいないはずの自宅で、仕事に精神を使い果たし熟睡した後の寝起きに。
信じられない、というか。
信じたくない事が我が身に起きるなんて、と恨めしく思いながらも。
私は殺人未遂者を居候させることにした。
そしたら、その晩にレイプまがいの事もされて。
この人の私的評価は一気に奈落の底に落ちた。
当然だと思う。
と言うか、よく無事だったなぁ。
くい、とお猪口を傾けながら猿飛さんを見る。
夕飯はしっかりと美味しく頂き、テーブルに並んでいるのは猿飛さんがさっと作ったおつまみの数々。
あんなにちょっとの時間で何品も作れちゃうなんて、この人ホントにおかんでしょ。

「ん?どうかした?」
「あ、いえ…」

私の視線に気がついたのか、角を挟んで隣に座っている猿飛さんが首を傾げて見返してくる。
緩く首を振った後、空になったばかりの彼のお猪口に注ぎ足した。
…今ではこうして隣り合っていても、怖いとは思わないけど。
あんなことがあった日から、自宅が気の休まるところじゃなくなって。
始発、終電で逃げていた。
それに元親が気付いて、私の気持ちを落ち着けてくれて。
いや…たぶん、他の大人組も気付いていたと思う。
この人に何か言ったんだと思う。
だから、猿飛さんが協定を持ちかけてきたんだ。
元々私は彼らに何かするつもりはなかったから、私の安全が保証されればいいと思って。
それからは元の生活に戻った。
うぅん、格段に暮らしやすくなった。

「…猿飛さんが悪いぃ。」
「え!?何、急に!?」

何杯もお猪口を傾けた後、思考力が低下している頭でグダグダと思い至った答えをポロリと零す。
私の言葉にビクリと体を揺らした猿飛さんが、ギョッとしたように見てきた。

「今だから言いますけどぉ、あの時ホントに殺されると思ったんですからね。」
「は!?え!?何の事!?」
「もう忘れちゃったんですかぁ!?」

信じられない!
私があんなに怖い思いをしたって言うのに!
頬を膨らませて猿飛さんを睨めば、困ったように頭を掻いて猿飛さんは視線を逸らす。
それも気に食わなくてじとりと見ると、彼はすぐに視線を戻して言い辛そうに口を開いた。

「…もしかして、初めの日の事?」
「そうですよぉ!」
「あ〜…ごめんね。」
「ホントに怖かったんですからねぇ!」
「うん、ごめんね。でもさ。俺様、あれが仕事だから。」
「今ならまだ分かりますよぉ!?だけど、あの時は猿飛さんの事を何にも知らなかったじゃないですかぁ!」
「うん。」
「今でもやっちゃヤですぅ!」
「うん。…まりちゃん、酔ってるでしょう?」
「酔ってないですぅっ!!」

話をそらすな!
ちゃんと聞けっ!!

「いや、酔ってるって…」
「酔ってないもんっ!」
「…ああ、うん。そうだね。」
「ホントに怖かったんだからぁ!」
「うん、ごめんてば。」
「謝ってすむ問題じゃないぃ!!」
「うん。」
「『うん』ばっかぁ!」
「…申し訳ありません。」
「怖いのはもうイヤぁ!」
「うん。」
「忍びだからってやっていい事と悪い事があるぅ!」
「うん。」
「ここには忍びなんていないもんっ!」
「うん。」

…何だろう。
よく分からないけど泣きたい。
それもこれも、全部。

「猿飛さんのせいだぁ!」
「うん。」
「猿飛さんのばかぁ!」
「うん。」
「ばぁか!ばぁあかっ!!」
「うん。」

幼い子供のような悪口を繰り返す。
同じ事ばかり言っていると、口の中が渇いてきて。
持っているお猪口を飲み干そうとしたら、猿飛さんに取られてしまった。
それから妙に真剣な顔で私のすぐ横に座り直される。

「…ごめんね、まりちゃん。あの時は俺様も冷静じゃなくて、一番怪しかったのがまりちゃんだったからさ。」
「怪しいのはそっちだもん。」
「うん、まりちゃんからしてみたらね。」
「勝手に家に入ってきて、勝手に人の部屋にいて、勝手に首を絞めてぇ!」
「うん。武器もなかったから、あの方法しかなかったんだ。」
「だからぁ!ここでは忍びとか関係ないもんっ!」
「…は?」
「命のやり取りなんかしない世界だもん!もっとのんびりと暮らそうよぉ!」
「…」
「猿飛さんだってここにいる間はただの男の人だもん!忍びとか知らないし!」
「…」
「いきなり命を握られるって怖いぃ!もうヤダっ!!」
「…うん。」
「猿飛さんももっと楽しく生きるのぉ!忍びとか関係ないぃ!!」
「うん。」
「猿飛さんは猿飛さんでしょお!一人の人間でしょお!」
「…」
「返事っ!」
「あ…う、ん…」
「じゃあ忍びは関係ないぃ!一人の男として生きてぇ!」
「…うん。」
「猿飛さんのばぁか!」
「うん。」
「ばぁか!ばぁあ…」

最後まで言えなかった。
横から重みがかかったかと思うと、ふわりと体が浮いて沈む。
背中には生温いような、ひんやりとしたような平らな感覚。
目の前には怖いくらい整った顔。
あ、壁が壊れる。
鈍い頭だけど直感が走り抜けた。
だって、怖いなんて一切感じないもん。


2018.10.22. UP




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夢幻泡沫