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それは、甘い
82
日中は外に出るだけで汗ばむ暑さでも、夜は涼しいぐらいで。
過ごしやすい縁側に座っていれば、心地よい風と虫の声が安らぎをもたらしてくれる。
パチ、と鳴った石に反応したか。
その涼やかな声が一瞬消えた。
同時に松寿丸の目が大きくなる。
「…っ!」
「どうだね、松寿丸くん。」
「…」
「自らの負けを認めるのも、また男の度量の一つと言うものだよ。」
「…参りました。」
そうかそうかと頬をずるりと撫でたまりの祖父に対して、松寿丸は悔しそうに顔を俯けた。
「なんだ、松寿はまた爺様に負けたのか?」
「っ…!うるさい、馬鹿鬼。」
「爺様、強えからなあ。」
「一指し致すかね、長野さん。」
「いや。婆様に頼まれて漬物の壺を移動するところだから、遠慮しておくぜ。」
「それはすまない。」
「気にすんなって。俺達は泊めてもらってんだ。これくらいわけねえさ。」
「若い男手があるのは何と頼もしいことかのう。」
優しげに目を細める翁に、元親もニッと笑って返す。
「長野さん、どうもありがとう。それが終わったらおじいさんの相手をしてくださいな。」
「おう、任せときな。」
「爺御様、俺と一局いかがでありましょうか?」
「片野さんがお相手か。いや、これは手強そうだ。」
「おじじ様、右目の旦那。つまみはこれでどうかな〜?」
「おお、猿野さん。よいところに。」
「おばば様の漬物、美味しいですよね〜。俺様、糠床少し分けてもらおうかな。」
「さすけ! それは よき かんがえだ!」
「でしょ〜?」
「…それにしても、 まりどのは まいよ そとに でられて おる。 …つまらぬで ござる。」
「文句言わないの、弁丸様。」
「すまないねえ、弁丸くん。まりも久し振りにここへ帰ってきているものだから、
仲間からの誘いが嬉しいんだよ。付き合い、というのも大事な事だからね。」
「あ、 いや! おじじどのや まりどのを とがめて いるわけでは ないのです。 あいすみませぬ!」
「まりもお客人方を置いて連日飲み歩くとは…」
「弁丸様がすみませんね〜。急に来たいって言ったのは俺様達だし、向こうでは
まりちゃんにすっごくお世話になっているし。生家に戻った時ぐらい、まりちゃんだって
好きに動けばいいと思いますよ〜。」
「まりは東京ではどのように暮らしておるのだろうか?なかなか自らのことを言わぬ子でのう。」
祖父の問いに真っ先に反応したのは弁丸。
にっこりと笑うとまりの祖父へにじり寄った。
「まりどのは おやさしい かたで ござります。 やすみの ひには ともに あそんで くださります!」
大事にしている物を自慢するかのように目を輝かせ早口に声を張る弁丸に、まりの祖父の目尻に皺ができる。
「ほう。」
「いこくの言葉を教えてくれるぞ。まりはくーるだ。」
「ほうほう。」
「まりの仕事振りは中々ぞ。ぱそこんを操作する姿などは悪くない。」
「そうか、そうか。」
嬉しそうに何度も頷く祖父は、孫の様子を想像しているのだろうか。
顔を外に向け、しばらく宙を見つめていた。
「あ、ねーねー。俺もじい様に聞きたいことあるんだけど。」
「うん?何だね?」
「まりちゃん、小さい頃ってどんな子だったのー?」
「ほほ。まりはちいっとも変わらんよ。昔から負けん気の強い子だった。」
「へえ〜、どんなところがですか?」
「どんなところ…今のまりを見ていれば分かると思うが、やると決めたからには全力で取り組む
ような子でのう。ありがたいことに三年間ほど連続して大将を任されたこともあるんだよ。」
「祭りのですか?」
小十郎の返しにまりの祖父は誇らしそうに首を縦に振る。
「どれ、久し振りにアルバムでも開こうかね。ばあさん、持ってきてくれないか。」
「はい、おじいさん。」
「婆様、手伝うぜ。」
「ありがとう、長野さん。」
がさごそと奥の部屋から聞こえてきた後、元親は厚い本のようなものを持ってきた。
数ページめくったところには、あどけない少女が満面の笑みで槍を持っていた。
「これが謂わばまりの初陣姿でね…この年はあっという間に倒されておったな。」
「…この子がまりちゃん?うわっ、幼いねー。」
「そうだろう、前野さん。松寿丸くんよりいくつか上ぐらいかな。まりが一番年若かった
から、相手はまりより上の若者しかいなくてのう。負けても何ら不思議ではないのだがね、
まりにとってはよっぽど悔しかったらしい。その日のうちから槍の稽古を始めたよ。」
「それであの捌きようか〜。」
「ほう…猿野さんは槍を知っておるのか?」
「俺様と言うか、俺様達『歴史好きのさあくる』仲間ですからね〜。
槍も薙刀も刀も、ある程度なら分かりますよ。」
「ならば、我が町の祭りも楽しめよう。」
「それで、 まりどのは どのように あいなったので ござりましょうか?」
「次の年からはめきめきと頭角を現しおっての。二年後には姫大将を務めて
おったのう。それと総大将を務めることができる歳は決まっておるのだが、
その年齢の間は先ほど言ったように大将になっておったよ。」
「まりが、か?」
「そう。この祭りは長いこと行われているけれど、
女の子が連続して総大将を務めるのは珍しいことでね。」
「そうそう。そうでしたねえ、おじいさん。まりちゃんが選ばれた時は私達も驚きましたねえ。」
「男子の何と不甲斐ないことか、と笹穂の親達が集まって試合をさせてみたものの…」
「勝ったのはやっぱりまりちゃんでしたよねえ。」
「そうだったな、ばあさん。」
ほほほ、と穏やかに笑うまりの祖母。
祖父も緩やかに笑んでアルバムをめくる。
そこには一段と煌びやかな衣装をつけたまりが並んでいた。
「まりが大将になった三年間は負けなしでの、儂も随分と鼻が高かったなあ。」
「おじいさんだけではありませんよ。私も、息子達も、倭くんも、笹穂の皆も。
青の幟旗がお城にひらめく様が、お城が青く染まる様が…誇らしかったですねえ。」
「『伝説』なぞと囃し立てられ、まりは困っておったがのう。」
栄光の時代を思い出すように笑顔を見せる老夫婦とまりの昔の写真に、小十郎達は交互に視線を送る。
「それで、その後はどうなりましたのか?」
「それがだね、片野さん。その後は一度も勝てていないんだよ。
まりも東京へ行ってしまい、帰ってきても踊りに参加するぐらいで。」
「踊り?群舞でしょうか?」
「いや、流し踊りと言って夜に盆踊りをしながら町中を巡るんだよ。これは誰でも参加
できるから、あなた達も踊るといい。なに、踊ると言っても適当で構わないんだよ。」
「おもしろそうだな。」
「楽しいぞ、梵天丸くん。大人も子供も、笹穂も巴も中直も、川内も川外も、
町の人も観光客も、全ての垣根を取っ払って踊り明かすのだからなあ。」
「参加してみようか、右目の旦那。」
「…そうだな。」
「今年は倭が総大将となり、まりが姫大将として戦う。ぜひとも勝ってほしいものだ。」
「大丈夫だぜ。まりも弟も、他の連中だって、きっとやってくれるさ。」
「そう願いたいものだね、長野さん。」
「おう!前祝いといこうぜ、爺様。」
グラスを渡し冷酒を注ぐ元親に、まりの祖父の顔は柔らかかった。
2021.10.04. UP
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夢幻泡沫