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それは、甘い

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「ちょっと〜!弁丸様、待ってよ!」
「さすけ、 はよう いたせ!こちらには やきそばが あるぞ!」
「あっ、勝手に行かないでってば!これだけの人混みなんだから、迷子になっちゃうでしょ〜!?」

猿飛の言葉に胃が痛くなる。
同じ事を梵天丸様に言いてえ。
きり…と感じた腹に手を当てれば、のんびりとついてきている風来坊がからからと笑った。

「弁丸も梵天丸も元気だねー。」
「あのね〜、元気で済むような度合いじゃないでしょ…」
「…全くだ。」

梵天丸様から視線を外さず猿飛に同意する。
己の意を持って行動されるのはよいご傾向だが、少々過度ではないだろうか。
弁丸の無邪気さ、松寿丸の不遜さに、引っ張られてしまっているきらいがある。
奥州の、ひいては天下の頂点に立たれる方なのだから、自制の御心もお持ちいただかねば…。
図らずとも出てきてしまった溜息に小さく首を振り、梵天丸様のお側へ寄った。

「小十郎。俺はこれが食いたい。」
「たこやき、にございますか。確か大坂の名物でしたな。」
「ああ。それと、ちょっこれーと かばーど ばなーなもだ。」
「…申し訳ありません。今一度、仰ってくださいますか?」
「ちょっこれーと かばーど ばなーな,だ。」
「…ちょ、こ…か…ば…」
「まりは『ちょこばなな』と言っていたぞ。」

あれだ、と梵天丸様がお指しになったのは焦茶の細長い物体。
…確か、南蛮の水菓子に南蛮の甘い液体をかけたものだったな。

「その、ちょこ…何とかとやらには賛同致しかねます。
 歯を痛めてしまう恐れがある、とまりが申しておりました故。」
「しっと!」

充分な額を渡されているから、買えねえわけでもないが。
ここは、心を鬼にして拒ませていただこう。
ご要望に全て答えていては政宗様の為にならん。
猿飛と目で会話をしつつ腹にたまるものを中心に買いそろえていくと、結構な量になってしまった。
風来坊と長曾我部に持たせ、事前に聞かされていた場所へ移動する。
すると観客が集う最前列にまりのご家族は座っていた。
一緒に観ましょうとのお言葉に甘え、敷物にあがらせてもらう。

「まり殿達は?」
「まだですよ。片野さん、先に食べてしまうがよろしい。」
「それでは失礼して。…よろしければ、お一ついかがですか?」
「いやいや、この年になると濃い味付けのものは体が受け付けなくてのう。お気持ちだけ頂くよ。」

などと寛がせてもらっていると、すっかり聞き馴染んだ楽の音が微かに聞こえてきた。
祭囃子だ。
こんさあとの時にまりが言ってた『限定の曲』ってのは、このことだったらしい。
ここに来てから毎夜、遅くまで練習していたからいやでも耳に馴染んでしまった。
勿体ねえな、と思う。
まりの音はすんなりと耳に入ってくるから、誰かにつけばいいのに。
祭りの時だけではなく、何かの折に吹けばいいのに。
一度、合わせてみてえものだ。
そう思いながら楽の音が聞こえる方向に注意していれば、徐々に見えてきたのは先ほど別れた色の集団。
多少の疲れは見えるものの、子供達の顔には笑顔が見え溌剌とした声が響いてる。
弟御が叩いている大太鼓に合わせて、まり達の囃子が近づいてくる。
『笹穂ーっ!!』と掛かった声に、子供達が大きく応えた。
三隊が揃ってからの各総大将の口上、そして大人数の調子を合わせた囃子。

「…まりの音が大きく聞こえる…?」
「あ、右目の旦那も気がついた?確かにまりちゃんの
 音だけ大きく聞こえるんだよね〜。なんでだろう。」
「それと、他にも数人いそうだが…」
「ほう、まりの音が分かるのかね?」
「おじじ様。そりゃあ、毎夜毎夜聞こえてくれば。」
「なるほど。片野さんもかな?」
「俺は、その…少しだけ笛を嗜んでいますので。」
「ほう、それは聞いてみたいものだね。まりの音が大きく
 聞こえてくるのは…まりと倭にはマイクが仕込んであるのだよ。」
「まいく…?」
「…音が大きくなる道具、ですよね?」

不自然にならない程度に猿飛が聞き返す。
この急に南蛮語が混じるのは勘弁願いたい。
まりが相手なら何の問題もないんだが…。
爺御様はそうだと頷き返し、説明を加える。

「大将の音が聞こえないと、あれだけ大勢の息を合わせることは難しいのだよ。和楽器は
 他のものと比べて音が小さいからね。各隊の大将と姫は、頭にマイクをつけておるのだ。」

…なるほど。
この世界は便利なものが多い。
百人は優に超えている人数の囃子に、観客から拍手が沸き起こる。
山車を本殿に移した後、場を整えるとかで各隊の若者達は観客から見えないところへ引っ込んで行った。
暫くしてどこかの隊の群舞が始まる。
刀、と言うことは中直だろう。

「まりは二番目だと言っていたな。」
「はい。楽しみでございますな、梵天丸様。」

中直の群舞に大きな拍手が贈られる。
続いて出てきたのは弟御達で、練習の成果をいかんなく発揮した槍捌きを披露する。
この後にまりが出てくる。
失敗するんじゃねえぞと節介ながら心配していたら、舞台が急に光を放った。
目が眩み、瞬間的に顔を背ける。
わずか少しの間だったが、目を細めて戻した視線の先にはまりが光を受けて凛然と立っていた。
『おぉ…』という小さなどよめきが消えるまで待つように、扇をかざし持ち袖構えのまま寸分も動かない。
それから、扇と体をゆったりと動かし観衆の目を惹きつけた。
袖構えの腕を水平に伸ばし、指し示すように楽に合わせて体ごとくるりと四方に向きを変える。
後ろにいる女達が扇を小刻みに動かしていて、乱反射する光がまるで水面のようで。
水面に現れた罔象女神のようだ。
まりが舞った後、女達が同じ動作を繰り返す。
それから全員で。
出す足の幅や、扇を上げる高さまで揃っていた。
動きを始める瞬間や止める瞬間、体の反らせ具合までほぼ同じで、絵巻物が動き出しているみてえだ。
このような煌びやかな舞は見たことがねえ。
そう思っていれば、またまりの独舞が始まった。
扇は腰に差し、手を翳したりすっと伸ばしたり。
科やかでぞくりと肌が粟立つ。
摺り足で前に出てきたかと思えば、腰を据え膝を曲げて背を逸らす。
袂を押さえ、首を傾げて仰ぐ先には何が見えているのか。
中直隊の姫大将のように闊達とした振りではないが、これはこれで…。
俺は、まりの方が断然良い。
にこりとも微笑まないのに、目で追っていたくなる。
ふとした所作で醸し出される色気に、ふっと手を出したくなる。
…すごいな。
たかだか数日でこんな舞いを披露できるようになるなんざ。
自然と細まる目にまりを焼き付ける。
女達を従えて舞う姿が凛々しくて、それでいて妖艶で。
『こいつについていけば間違いねえ』と思わせる様は、正に将の器に相応しい。
楽が終わると同時に一斉に扇の天を空に向けてかざし正面を見据えたまり達に、弟御が率いる男達が加わる。
そこからは全員で槍の演舞が始まった。
『群舞』に勝敗はねえ、とまりは言っていたが…。
次の隊を見るまでもない。
まり達が随一だ。


2022.06.06. UP




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夢幻泡沫