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con amore

11



文化祭当日まで、静香は土浦のことを避けた。
自分を乱されたくなかった。
人前で演奏する以上、最善の状態で臨みたかったのだ。
ドレスに着替えて控え室でぼんやりしていると、ノックが聞こえてきた。

「はい?」

静香の返答に開いたドアの先には、会いたくない人物が立っていた。

「よう。」
「…こんにちは。」
「もうすぐ始まるぜ。袖に行った方がいい。」
「分かりました。」

視線を合わせないように会釈すると、静香は楽譜を持って土浦の脇を通り抜ける。
小さく聞こえてきた舌打ちは耳に入れないようにした。
満員御礼の中でトップバッターとしてステージに立つ。
呼びに来たのが土浦だったので、静香は内心が渦巻いていた。
だがコンクールメンバーの実力は何度も見てきたから、その場凌ぎの音を出すなんて考えられなかった。
じっと鍵盤を見て想いを膨らます。
集中するように頭の中で音を再生させた。
呼吸が整ったところで、艶やかに光るそこに指をゆっくりと乗せる。
聴こえてきたのは高く聳え立つ教会からの鐘の音。
モデラートながら澄んだ緩やかな旋律が講堂に広がった。

…あいつ、また巧くなってやがる。
しかも難しい編曲に変えてきやがった。

ヨーロッパの石畳を彷彿とさせるような淡々と、力強くもそれを抑えた左手。
伴奏を複雑にしたせいか、右手が一層深くなっていた。
鐘の音が石畳に反響する。
60年代、70年代の外国映画音楽のようにドラマティックな盛り上げ方。
超絶技巧を駆使しているわけでも、曲自体がいわゆる『レベルF』なわけでもないが、耳が離せなかった。

「…リハーサルと全然違う。何でこの人がコンクールに出てこなかったのだろうか…?」
「さすが、女王様と言われているだけあるね。とても切ない音を出す…」

ほら、側にいたメンバーも唖然としているじゃねえか。
月森や柚木先輩が驚くところなんて滅多に見られるもんじゃない。
なあ、吉隠…
お前の音を聴いていると、胸が締め付けられる。
抱きしめてやりたくなるんだ。
頼むから俺を拒絶しないでくれ。
好きなんだ…
吉隠が好きだ。

土浦はグッと拳を握ると真っ直ぐに静香を見た。



「あ、あのね…静香ちゃん…」

ステージ脇でコンクールメンバーの演奏を楽しんでいた静香に、出番の終わった冬海が話しかけてきた。
同じクラスで仲もよく、コンサートに出ることが決まってからは更に一緒に過ごすようになった。
静香はニッコリと笑うと冬海の方へ身体を向ける。

「お疲れ様、笙子ちゃん。」
「あ…あの、ありがとう。静香ちゃんも、お疲れ様。…すごく綺麗な音だったよ。」
「ありがとう。…今年の文化祭は贅沢だなって思っていたの。今日はコンクールメンバーの各ソロ演奏だし、明日はアンサンブルを披露してくれるんでしょ?楽しみだなぁ。」
「あ、あの…頑張る、ね。」

かあっと頬を染める冬海を可愛らしく思いながら頷く。

「うん、楽しみにしているよ。」
「あ…あの、それでね…その…」
「うん?」
「あのね、その…私が言うこと、じゃない…かもしれないんだけど…」
「うん。」
「その…土浦、先輩…いい人だよ…。」
「…そう、だね…」

冬海の意見にしばらく黙った後、静香はポツリと同意してステージを見た。
先程から演奏しているのは話題になっている土浦で、これまた彼が得意とする切ない音を遠慮なく沁み透らせている。
その土浦がステージに出る時に静香とすれ違った際、何か言いたげにずっと見られていた。
視線が熱くて、自分の頬が熱を持ってしまったのも分かった。
土浦梁太郎という人物は、サッカー部主軸メンバーだっただけあって運動神経抜群だ。
しかも顔も良くて上背もある。
加えて面倒見がいい、兄貴肌なのだそうだ。
そして最後のダメ押しとも言えるような演奏。
男女問わず人気があるのも無理はない。
天は二物どころかこれだけのモノを彼に与えた。
静香だって土浦のことを嫌っているわけではない。
むしろ、同じ楽器の奏者としての憧れ、彼の人柄や容姿への憧れ…早い話がある程度の好意は既に持ってしまっている。
だからこそ、あの話を聞かれたくなかった。
知られてしまったら軽蔑されると思った。
お前の音楽への想いはそんなものなのか、と。
音楽科様なのにその程度なのか、と。
それなのに軽蔑されるどころか土浦から告白紛いのことをされて、静香は戸惑った。
どんな反応を示していいのか分からなかった。
聴こえてくる音色は、相変わらず切なくて激しくて…優しい。
彼の音を聴いていると胸が苦しくなる。
逃げ出したくて、もっと聴いていたくて、縋りたくて…

「…今日の先輩の音、泣きたくなる…」

静香は土浦の演奏が終わると同時に、フラリと講堂から出た。


2015.10.26. UP




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夢幻泡沫