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con amore

13



演奏から戻ってみれば、吉隠はいなかった。

「冬海、吉隠は?」
「あ…あの…静香ちゃん…フラッと、出ていっちゃって…」
「…出ていった?」
「はい、あの…すみません…」
「お前が謝ることじゃないだろ?」

未だ自分に怯えの残る冬海に苦笑すると、土浦は講堂を出た。
静香はまだドレス姿でいたらしい。
いくら文化祭中と言えど、そんな格好で動いていれば人目につく。
何人かの話を繋ぎ合わせていくと、どうやら練習室にいるらしいことが分かった。
土浦も静香の後を追うように音楽棟へ足を向けた。
今日は普通科が音楽棟へ入っても変な目で見られることはない。
ずかずかと進んでいくと、奥の部屋のドアが閉まっていた。
たった一つ閉まっているそこに静香がいるに違いない。
土浦は高ぶる気持ちを抑えながら部屋に近づいた。
…が、聴こえてきた音に愕然とする。
自分の好きなショパンが悲鳴を上げていた。
哀哭するようなフォルテ一色。
解釈もへったくれもあったもんじゃない。
ただただ泣き叫ぶような音が乱暴に作り出されている。
思わず部屋の中に飛び込むと、土浦は静香の肩を抑えた。
振り向いた顔にギクリとなる。
てっきり泣いているものだとばかり思っていた。
だが静香は目に涙を溜めているものの、号泣はしていなかった。
代わりに心を失くしたような表情で虚ろに土浦を見ていた。

「…何て弾き方だ。あれはショパンじゃない。」
「…」

掠れた声で咎めても、返ってくるのは沈黙のみ。

「…何かあったのか?」
「…」
「ピアノが泣いているぞ。」
「…ごめん、なさい。」
「なあ…何かあるなら俺に話せよ。少しは楽になるはずだ。」
「…」
「お節介かもしれないが…お前のためにできることがあればしたいんだ。」
「…って…」
「ん?」
「…ダメって…」
「ダメ?」
「音楽…続けちゃダメって、言われて…」
「…」
「好きなのに…知りたいのに…」
「…そうか…」
「ピアノ…もっと、弾きたい…」

そう言った途端に静香の表情が戻った。
ポロポロと涙をこぼし、抑えきれない嗚咽が喉から漏れる。
袖口を弱く掴んだ手を土浦の大きな手で包み込めば、静香の身体が一層震えた。
彼女にとっては辛い状況なのに、愛しいと思ってしまう。
初めて頼られ、嬉しいと思ってしまう。
守ってやりたいと思ってしまう。
今は…言葉は必要ない。
土浦は力の抜けた静香を黙って抱き締めた。



「…すみませんでした。」
「気にするな。」

ぐずぐずと鼻にかかった声で謝罪した静香の目元は赤い。
そんな彼女の頭を撫でると、土浦は苦笑しながら体を離した。

「でも…せっかくの衣装が…」
「クリーニングに出しゃ問題ない。」
「…何で…」
「ん?」
「…何でそんなに優しくしてくれるんですか?」

照れたように視線をそらしながらぼそりと言う静香に、土浦は憮然とした表情で彼女を見た。

「お前…俺がお前のことどう思ってるのか、忘れたのか?」
「…あ、っ…」
「ちょうどいい機会だ。仕切り直しさせてもらうぜ。」
「…いえ、あの…」
「吉隠、お前が好きだ。」
「…」
「ピアノ…俺のために弾いてくれないか?」
「…先輩のため?」
「おう。お前の音…今の音も好きだが、俺が変えてやるよ。もっと高らかに響かせてやる。吉羅理事が高校までしかダメだって言うなら、その先は俺がずっと聴いててやる。」
「ずっと…?」
「ああ、ずっとだ。約束する。」
「…」
「返事は今すぐじゃなくていい。だが、しっかり考えてくれよ。」
「…は、い。」

待ったなしの告白に頭が追いつかない。
静香は呆けながらも条件反射的に首を縦に振る。
すると、良くできましたと大きな手が頭を撫でた。

「お前、このあとの予定は?ないんだったら、俺と一緒に文化祭まわらないか?」
「いえ…今日はもう帰ります。」
「そうか。送っていくか?」
「大丈夫です、ありがとうございます。」

ピアノを片付けてドアに向かえば、当たり前のように自動で開いた。
土浦が開けて、自分の体をストッパー代わりにして待っている。
いきなりの甘やかされ具合に、静香はこそばゆくなって挨拶もそこそこに土浦と別れた。


2015.11.09. UP




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夢幻泡沫