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con amore
17
圧巻だった。
課題曲も自由曲も、練習で聴いた時の何倍も素晴らしかった。
特に自由曲で弾いた『革命』は、簡単に言葉では表せないぐらい強烈な印象を残した。
最初から最後までアレグロをつき通す激しい中、随所に見られた悲しみ、痛み、切なさ。
加えて、それらを超えて生み出される優しさ、慈しみさえ感じられた。
静香の中で不動のはずだった『ラ・カンパネッラ』を脅かすような演奏を思い出しては、1人震えている。
泣きたくなってくるのだ、以前よりもっと。
胸が締め付けられるのだ、苦しくなるくらいに。
けれどそれ以上のことを望んでしまう。
心地よい彼の音に、側にいたいと思ってしまっている。
土浦先輩の側に…
「決まり、かな…」
静香は自分の気持ちを確かめるようにピアノの前に座った。
自然と頭の中に曲が浮かんでくる。
それを指に乗せれば短い前奏に続いてロシア音楽に共通の、愁いを含んだ調べが練習室に広がった。
吉隠はいるかと、音楽棟へ足を運ぶ。
学院伝統であり伝説の学内コンクールに参加し、この間のコンクールで優勝したこともあってか、俺を音楽棟で見かけても音楽科の生徒のほとんどが何も言わなくなっていた。
ありがたいが現金なものだな、とどこか冷めた頭でそんなことを考える。
これならば音楽に対して一貫している月森の方が何倍もマシだ。
…非っ常に認めたくはないが。
顔を顰めながら土浦が練習室を物色していると、目当ての音が聴こえてきた。
ドアにあるガラス部分から覗くと、やはり静香がいた。
ラフマニノフの『ヴォカリーズ』。
『ヴォカリーズ』は歌詞のない歌曲のことで、だからこそ演奏者の感情を音に乗せることができる。
彼女の白く細い指から、美しくも哀しさの漂う旋律が紡ぎだされていく。
静香ならコチシュ版を選ぶのかと思ったら、ワイルド版を弾いていて驚いた。
19世紀ヴィルトゥオーゾの伝統を引き継いだ華麗な編曲のそれは、彼女の得意とする愁情を微細な煌めきで飾り立てている。
だが、今までの演奏とは違う。
甘い…。
哀しいだけじゃなくメロドラマのような甘さが醸し出されていて、胸の内がこそばゆくなる。
この音を途切れてさせてしまうのが嫌で、土浦は部屋に入らずに壁に寄りかかった。
目を閉じ、静香の世界に浸る。
アイツはこんな音も出せるのか、と思ってふと気が付く。
…この音を出すようになったのはいつからだ?
何がきっかけなんだ?
一瞬、音楽への道が解禁されたのかと考えた。
だが、それならばもっと明るい音になるはずではないだろうか。
こんなうっとりするような甘さにはならないと思う。
ならば…
好きなやつでもできたのか?
吉隠にこんな音を出させるようなヤツは誰だ!?
速まる心臓を制服の上から押さえつけて宥める。
まだそうと決まったわけじゃない。
何か違うきっかけかもしれない。
それに…俺は返事すらもらってないんだから。
落ち着け落ち着けと土浦が変な汗をかいているうちにも、静香の甘い音色は耳に入ってきた。
何度も深呼吸を繰り返し土浦の心臓がようやく平常運転に戻ったころ、静香の演奏もふわりと溶けて消える。
それを合図に、土浦は練習室へと入っていった。
2015.12.07. UP
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夢幻泡沫