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con amore

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「ただいま。」
「おかえりなさい。あら…そちらの方は?」
「土浦先輩よ。よくしてもらっているの。」
「そうなの?こんにちは、静香がいつもお世話になっています。」
「あ、いえ。初めまして、土浦梁太郎といいます。静香さんとお付き合いさせていただいてます。」
「えっ!?そうなの、静香?」
「あー…うん。」
「まあ、まあ!それならそうと、早く言いなさい。静香の母です、至らない娘ですみませんね。」
「いえ、恐縮です。」

ニコニコと相好を崩しながら挨拶をしてくる静香の母に、土浦は体を固くしながらも何とか挨拶を返す。

「お母さん、先輩に入ってもらってもいい?」
「ええ。土浦君、コーヒーでいいかしら?」
「私がするからいいわよ。お母さんは下にいてね。」

軽く母親を睨んでから、静香は土浦を自室へ促した。

「へえ、やっぱグランドが置いてあるのか。」

静香の部屋に入って開口一番、やはりピアノ奏者として気になるのか土浦は木目の光沢に近づく。
蓋を開けていいかと興味津々の様子で聞いてくる彼に、静香はクスクスと笑って了承した。

「先輩のお部屋にもグランドが置いてありますか?」
「お陰で狭くてかなわねえよ。静香んちは、やっぱり吉羅理事長の一族だけあるな。部屋が広くてうらやましい。しかもこれ…プレイエルじゃねえか!」
「…私もショパンが好きなので。よかったら弾いてみますか?私、下で飲み物を用意してきますから。」
「ああ、サンキュ。」

端の方に荷物を寄せながらブレザーを脱ぐと、土浦は興奮を抑えきれない様子でピアノをセットし始めた。



「静香…これ、土浦君が弾いているの?」
「そうよ、綺麗でしょう?」

自分の事のように笑みを浮かべる静香に、母親は呆れて笑った。

「何で静香が胸を張っているのよ?」
「だって、土浦先輩のピアノはすごいんだから!」
「そうなの?細かいことはよく分からないわ。でもさすが星奏の子ね、綺麗な音で軽々と弾けちゃうんだから。」
「先輩の腕はピカ一よ。ピアノ専攻の中でもトップだと思うわ。」
「すごいわね。もしかして、暁彦君が言っていた子?」
「…暁彦さん?」
「そう。3年になってから転科した子がいるって。」
「あ、うん。たぶん、そう。」
「星奏をアピールするのにいい存在だとか、あの腕を普通科に埋めておくのは勿体ないから学院の役に立ってもらおうとか言っていたけど。何だかんだ言っても暁彦君は音楽が好きだから、きっと土浦君により良い環境を勧めたんだと思うわ。」
「そっか。土浦先輩が聞いたら驚くだろうね。吉羅理事が俺のことを買ってるなんて、何の罠だーとか言って。」

眉を寄せている土浦を思い浮かべて、静香はプッと吹き出す。
そんな娘を見て溜息を一つつくと、母親は頬に手を当てて申し訳なさそうに眉を下げた。

「静香には可哀想なことを強いているわよね。高校卒業と同時に音楽を諦めろ、だなんて。」
「…急に、なに?」
「急じゃないわよ。ずっと悪いと思っていたの。だけど…」
「暁彦さんが許さない、から?」
「…あなたに不幸になってほしくない、から。静香は美夜ちゃんのことが大好きだったものね。あなたと美夜ちゃんは違うって分かってはいるのだけど、どうしてもあの子のことが頭をよぎって…。」
「音大に行きたい…」
「え?」
「って言ったら、暁彦さんに却下されたの。ねえ、お母さん。大学で音楽を学ぶのもダメなの?」
「そうね、だめと言うよりも…社会に出る時に、音大出だと就職が難しくなるのが現実よ。高校までっていう制限も、暁彦君なりの優しさだと思うわ。私もあなたがどんな社会人になるにしろ、なるべくなら苦労をさせたくないし。それで暁彦君の意見に賛成しているのよ。」

苦く笑う母親に静香は息を吐き出す。
オトナの都合で生きる道が制限されるのは窮屈で。
だけど、自分のためを思っての行動だっていうことは百も承知で。
好きなようにしたいと思う反面、心配してくれているのは嬉しい。
逆らいたいけど、逆らえない。
この場で感情が爆発しないのは、小さく聴こえてくる甘い音色のおかげだ。

「…音楽で生活をしていくつもりはないし、難しいことだっていうのは分かっているから安心して。それに、音楽を…ピアノを禁止されているわけじゃないから、それでいい。でも、音楽をもっと知りたいっていうのも捨てきれない。」
「静香…」
「…お客さんが来ている時に話すような内容じゃなかったね。コーヒー持っていくわ。部屋のドア、開けておいた方がいい?」
「いいえ、好きにしなさい。あなたを信用しているわよ。」
「ありがとう。」

お盆にマグカップ2つとお菓子を乗せると、小さく笑って静香は自室へと戻った。


2015.12.28. UP




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夢幻泡沫