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con amore

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あの日は、文化祭の時は、他意などなかった。
本当になかったんだ。
静香の演奏を久し振りに聴きたくて。
あの水晶のような音を聴きたくて。
この頃ずっと会えていなかったから、会いたいと思って。
自分の彼女である静香の音を聴いてもらいたくて。
だから都築さんを誘って学院の文化祭に行ったんだ。
聴こえてきた音は水晶のような澄んだ音ではなかったけれど。
切なく深く、艶まで感じてゾクリとするような音だったけれど。
けれど、静香の音だった。
衛藤のヴァイオリンと相まって、いっそう苦しいぐらいに胸を締めつけられた。
去年よりもっとずっと信頼し合っている演奏だった。
そんな姿が悔しかったけれど、演奏は素直に賞賛するに値した。
静香に会いたくて、直接よかったと言いたくて。
だから静香を待っていた。
出てきた彼女は瞬間的に笑顔を消し、会話も機械的だった。
すぐに行ってしまった静香の態度の意味が分からなかったが、衛藤から聞いて何となくだけど理解した。
だからってどうしろって言うんだ?
俺はオーケストレーションに興味がある。
その知識を都築さんはたくさん持っている。
知りたい。
学びたい。
静香のことも大切だが、自分のやりたいことを我慢したくはない。
…いや、これだから俺は『女の気持ちが分かっていない』って言われるんだろうな。
今まで付き合ってきた女に対しては、どこか冷めた部分があった。
向こうから『別れよう』と言われても、未練は湧いてこなかった。
だが、静香は違う。
別れる、なんて未来を想像したくもない。
あいつのそばにずっといたい。
離れたくない。
それって…それだけ特別な存在ってことなんだよな。

ようやく終わった講義に小さく息を吐くと、さっさと土浦は荷物を纏める。
オーケストラに関する授業のはずなのに、全く耳に入ってこなかった。
静香との時間を潰してまで勉強していたはずなのに…。
これじゃ、彼女が怒るのも無理はない。
土浦は自分の頬をパンッと両手で叩いて気合を入れると、星奏学院を目指した。



大学の正門を出た途端に、土浦の耳に馴染んだ声が入ってきた。

「土浦先輩。」
「…静香。」
「大学まで来てしまってごめんなさい。」
「いや、気にするな。俺も静香に会いにいこうと思っていたから丁度いい。」
「…そう、ですか…」
「少し歩くか。それとも、軽く何か食うか?」
「…それなら、どこかに入りませんか。」
「分かった、行こうぜ。」

学校帰りであろう制服姿のままの静香の手に指を絡めるようにして握ると、土浦は横に並んで歩き出した。
抗議の言葉は聞こえてこない。
と言うことは、もう怒っていないのだろうか…。
土浦が自分の肩の近くにある静香の顔をそっと盗み見たが、残念なことに表情は読み取れない。
よく入る店のいつもの場所で注文すると、2人の間に沈黙が少し降りた。
止まってしまったような空気を変えるかのように、静香が切り出した。

「文化祭の時はすみませんでした。せっかく土浦先輩が来てくれたのに…」
「いや、俺も連絡しなくて悪かった。」
「それに、せっかく誘ってくれたのに用事があるからって…」
「急に言ったのは俺だから気にするな。俺の方こそ…都築さんと行くようなことして悪かったな。」
「…」
「単に都築さんにお前の音も聞かせたくて誘っただけなんだ。俺は女心なんてものを考えるのが苦手だから…静香が嫌な思いをするとは想像できなかった。…悪かった、謝る。」
「…楽しいですか?」
「え…?」
「オーケストラのお勉強、楽しいですか?」
「…ああ。知りたい知識が手に入るとワクワクする。もっと奥まで知りたくなる。」
「そうですか。どんなお勉強をしているんですか?」

聞いてくる静香に土浦は手に入れた知識を披露する。
話していくうちにだんだんと熱が入り、運ばれてきた食事を食べながらも止まることはなかった。


2016.07.11. UP




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夢幻泡沫