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con amore
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「でも、土浦としては吉隠ちゃんがいないとつまんない…とか?」
満面の笑みで志水と冬海を見ていた火原が、にんまりと笑うと土浦に顔を向けた。
「…そうですね。」
「なんだよー、ノロけやがって!その吉隠ちゃんをまだ見てないんだけど?今日は来ないの?」
「あー…静香はここには進学しませんよ。」
「えっ!?」
「家の事情だそうです。」
「…聞いたことあるよ。吉羅家のご方針では、音楽に深くかかわることを敬遠されていると。吉隠さんは吉羅家に繋がりがあるから、別の道を選ぶって。まるで…昔の僕みたいだね。同情するよ。」
「えっ!?そうなの、土浦!?」
「…相変わらずそういうところに詳しいですね。」
「蛇の道は蛇、って言うでしょう。案外狭いんだよ、この世界って。」
「えーっ、残念だな。吉隠ちゃんの音ってすごいのに。忘れられないよね…切なくて、深くて…無性に聴きたくなる時がある。」
「僕も…残念です…」
「それは本人に言ってやれよ、志水。喜ぶんじゃないか?」
「じゃあ吉隠ちゃんは今どうしてるの?今日は来てないんでしょ?」
「勉強中じゃないですか?」
静香に言われて以来、土浦は会うこともメールもしていなかった。
…と言うより、できなかった。
連絡を取りにくい、と言うこともあった。
けれどそれ以上に、彼女の邪魔をしたくなかった。
控えようという静香の思いに、どこの大学にしろ彼女が入学するでは我慢するつもりだ。
我慢するだけ。
別れるつもりは毛頭なかった。
入学する時期に無理矢理にでも会うつもりだった。
このことは誰にも言っていない。
変な探りを入れられるのも、思い違いをされるのも嫌だった。
何事もなかったように返した土浦の言葉に、冬海が驚いたように彼を見上げた。
「えっ…」
「どうした?」
「土浦先輩…知らないんですか…?」
「は?」
「静香ちゃん、無事に第一志望に受かりましたよ…。今日はここに来ない代わりに、学院で卒業公演に向けて練習しているはずですけど…」
「…そう…なの、か。」
「吉隠さんの卒業試験演奏…とても素晴らしかったです…。深くて静かで超然としていて…そうか、あれは…最後のつもりで弾いていたのかな…」
「私も…演奏の途中からずっと、涙が溢れてしまいました。卒業試験なのに、『bravo』も飛び交っていましたし…。静香ちゃんは、弾くつもりはなかったようですが…先生方や同級生の強い要望で…卒業公演に出ることに…」
「楽しみです…吉隠さんがどんな演奏をするのか。最後…になってしまうのは、すごく…残念ですけど…」
顔を曇らす2人に、土浦の眉も下がる。
分かっていた。
だけど、いざ現実を突きつけられるとやり切れなさが溢れる。
あれだけ音楽好きな彼女が、あと少しで別れを告げなくてはいけなくなるのだ。
何かしてやりたい。
だけど、今の自分の立場は微妙であり…
土浦はギリギリと歯を噛みしめたい思いだった。
2016.08.15. UP
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夢幻泡沫