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con amore
07
文化祭が近づいてくるともなると、星奏学院ではあちらこちらから色々な音が聴こえてくる。
静香は確保した練習室に向かいながら、その音を楽しんでいた。
ピアノ以外は全く演奏できないのだが、それぞれの音を聴くのは好きなのだ。
どの音にも奏者の思いや解釈があり、それに楽器そのものも音が一つずつ違う。
この学院は本当に音が溢れている。
音楽に囲まれて幸せだな、と静香の口が弧を描いた。
ピアノは家にあるし普段はそれで練習を積んでいるのだが、人前で弾くとなるとそれだけでは許されない。
学院の雰囲気にも慣れるためにわざわざ練習室を取ったのだ。
本来の目的を思い出し、ゆっくりとなった歩調を元に戻して静香は練習室へ行った。
予約してあった部屋の前まできておや、と首を傾げる。
中からピアノの音が聴こえてくるのだ。
静香が練習室を取る時、大抵は丸一日押さえる。
時間的にはまだ余裕はあるが、それにしても…
ドアに手をかけて静香は動きを止めた。
この音は…
確認を取るように中をそっと覗いて、彼女の口から小さく息を吐いた。
…やっぱり土浦先輩。
彼の音には惹きつけられてしまう。
静香は入口の横に座ると目を閉じてひっそりと聴いていた。
「…吉隠?」
驚いたような声に顔を上げれば、今まで演奏していた土浦がぎょっとした顔で静香を見ていた。
「こんにちは、土浦先輩。」
「おう。てか、こんなとこで何やってんだよ?」
「この部屋、このあと私が予約しているんです。」
「そうか。まだ時間じゃないよな?」
「はい。」
「そんなところにいるのもなんだし、入れよ。」
「いえ、大丈夫です。」
「いいから。…あー、吉隠。」
「はい?」
「お前の時間になったら、聴いててもいいか?」
「…え?」
「同じステージで演奏するんだし、いいだろ?お前はこうやって俺のを聴いてたんだしな。」
「嫌ですよ。」
「そう出し惜しみすんなよ。同じ楽器として音楽科のヤツがどんな練習をすんのか気にもなるしな。」
「それは人それぞれじゃないですか。」
「だろ?だからお前の練習見ててもいいよな?」
静香としては人それぞれだから参考にならない、と断ったつもりだった。
だが土浦は逆の解釈をしたらしい。
今さっき出てきたドアを開けると、そのまま彼女を見る。
何をしているのだろうと静香がポケッとつっ立っていると、土浦は不思議そうに首を傾げた。
「…土浦先輩?」
「何してんだよ?入るんだろ?」
「え?」
「入んねえのか?」
「あ…入りますけど…」
「なら、ホラ早くしろよ。」
「…ありがとうございます。」
妙な流れに逆らえなかった。
静香はまたピアノの前に陣取った土浦をこっそり見て、あれ?と首を捻るのだった。
真剣にピアノと向き合う土浦を、部屋の隅から凝望する。
練習だろうと本番だろうと彼には関係ないらしい。
静香を招き入れたことさえ忘れていそうな勢いで弾いている土浦を羨ましく思う。
きっと土浦にとって、ピアノはかけがえのないものになっているのだろう。
生涯ずっとそばにあり続けるものなのだろう。
だからなのだろうか。
コンクールの時も創立祭の時も思ったのだが、彼の音は心に響いてくる。
どうしたらこんな音が出せるのか、憧れてしまう。
でもね、土浦先輩。
と、静香は心の中で語りかける。
私よりあなたの音の方が苦しいですよ。
ダイナミックで激しくて、それでいて繊細で優しくて。
最終セレの『ラ・カンパネッラ』は忘れられません。
あの泣きたくなるような音はどうやったら出せるのですか?
何を思ってあの曲を弾いたんですか?
私はあなたの音をもっと聴きたい。
あなたの奏でる音をもっと知りたい。
そう望むのは分不相応でしょうか?
…きっとこの願いは叶えられないのだろうけど。
少しだけ揺れる瞳を隠すように閉じると、静香は時間になるまで土浦の音を体全部で感じていた。
2015.09.21. UP
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夢幻泡沫