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con amore
08
邪魔はしねえから、と土浦は不必要に静香に近寄ってこなかった。
ただじっと送られてくる視線を少々不満に思いながらも、いつも通りに自分の練習に取り組む。
文化祭が近いが、授業だって疎かにできない。
運指練習から始めて、音階の確認、技術向上のための小曲練習、それから課題曲に入る。
その上で、コンサートの曲や挑戦したい曲を練習していた。
ひたすら黙々とこなしていく静香に土浦は驚く。
彼女の言った通り、練習方法は人それぞれだから自分にピタリと当てはまることの方が少ない。
現に、静香の方法は土浦には向いていなさそうだった。
だが…
静香が練習曲として用いたのはショパン。
一曲一曲がプロのコンサートでも演奏されるような難曲がつまったエチュード集。
それをいとも簡単に彼女は音で表現していた。
片っ端から弾く手を土浦は思わず掴む。
その手首が簡単に掴めてしまい戸惑った。
土浦の指が余裕で回せるぐらい静香の手首は細い。
パッと見で分かるくらい指も細い。
それなのに休憩も入れずに、何を焦燥しているのか…
まるで自分を痛めつけているように思えた。
自分の世界を突然壊されて、静香は目を大きくして土浦を見る。
その目に映してほしいと願いつつ、土浦は厳しく眉を顰めながら低い声で注意した。
「…指を痛める。」
「離してください。いつもの練習だから大丈夫です。」
「何を焦っている?…少し休憩を入れたらどうだ?」
「…」
「こんなこと毎日やっているのか?本当に指を痛めるぞ。」
「…時間が…」
「時間?」
「私には…時間がないから。」
「…は?」
土浦の間抜けた声に、静香はハッとしたように彼を見た。
それからすっと表情を隠すと、何でもない様に譜面台に置かれている楽譜を見た。
「邪魔はしないって約束でしたよね?邪魔するなら…出ていってください。」
「…悪かった。ただ、無茶はするなよ。」
パッと両手を降参するように離し、土浦は窓際に戻る。
けれど追及をやめることはなかった。
「なあ…何でそんなに脆い音を出すんだ?」
「…脆い?」
「お前の弾き方や解釈、俺は好きだ。胸が苦しくなるくらい深く入り込んでくる。だがな、何でそんなに消えそうな音なんだ?」
「…」
「時間がない、ってのと関係あんのか?俺でよかったら聞くぜ?」
「…先輩には関係ありません。」
吉隠から無情な言葉が返ってくる。
また同じことを言われた。
…創立祭から何の進展もなし、か。
少しは話せる仲になったと思ってたんだがな。
どうしてこいつは拒絶するのだろう。
そりゃ同じステージに立つってだけで、そんなに親しくもない先輩に言うような話じゃないかもしれないが。
…げ…自分で傷を抉っちまった。
頼むからそんな冷めた目で俺を見るな。
チクショウ…
「これ以上邪魔をするなら、本当に出ていってください。」
「…分かった。もう邪魔しねえよ。」
深く息を吐き出した土浦をチラリと一瞥すると、静香は気を取り直して課題曲の練習に入った。
…面と向かって言われたのは初めてだった。
しかも、強ち間違ってはいない。
趣味に止めなきゃいけないのなら音楽科に入る必要はなかったのだ。
どうしても音楽と関わっていくビジョンを描けない。
それが音に表れているのも自覚している。
だけど…
悔しくて、この日は文化祭で弾く曲は練習しなかった。
2015.09.28. UP
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夢幻泡沫