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花は輝き月は笑む

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信玄は三人が来ると、待っていたかのように甲斐へ戻ると言った。

「あまり館を留守には出来ぬでのう。」
「仰る通りでございまする。この幸村、是非とも甲斐までお供つかまつりましょうぞ!」
「何を申すか!桃はどうするのじゃ!!…と言いたいところだが…」

くわっと目を見開いて大声を出した信玄だったが、我に返ってゴホンとその場を取り繕う。

「幸村よ、ついて参れ。佐助もじゃ。桃、よいか?」
「良いも悪いも…城主がいないお城に、私がいてもよろしければ…」
「桃殿。城の者にはよくよく言いつけておきます故、どうぞ寛いでお過ごし下され。」
「すみません、ありがとうございます。」
「うむ。用が済めば幸村を直ぐにでも上田に返そう。そうじゃ、土産も持たせるぞ。何がよい?」
「お土産など…信玄様も幸村様も佐助さんも、私のことはどうぞ気になさらないで下さい。」
「すまぬのう、暫く辛抱してくれ。躑躅ヶ崎の館にもそなたの部屋を作っておく。甲斐においても、いつでも滞在できるようにな。」
「そんな…」

信玄自らの下にも置かない言葉に、桃花は驚いて彼を見る。
けれど、直ぐ嬉しそうに破顔した。

「ありがとうございます、楽しみです。」
「容易いことじゃ!のう、幸村?」
「はいっ!」
「いつ甲斐へお戻りになられるんですか?」
「支度が整い次第、すぐにでも出立する。」
「そうですか。お気をつけて下さい。」
「しからば、お館様っ!某、直ぐにでも支度をして参ります!!」

いくぞっ、佐助!
己の忍びを半ば引きずりながら、幸村は張り切って支度を始める。
俄かに騒がしくなった上田城に、桃花は邪魔にならないようにと自室へと戻った。



支度は順調に進んだらしく、明朝の早くに出立すると咲が教えてくれた。
あの後は幸村と佐助に会うこともなく、桃花は一人で静かに過ごした。
この世界に来てからは毎日することが何かとあり、一人の時間はあまりなかった。
幸村も佐助も、時には信玄も桃花にそれとなく気を遣ってくれていたのだろう。
顔を見ない日はなかった。
仮にそれが監視のためであっても、彼等が向ける温かい情を桃花は感じ取っている。
だが…明日からは一人で過ごすのだ。
幸村の叫びを聞くこともなく。
文字を習うこともなく。
佐助の小言を聞くこともなく。
食事や八つ時を一緒に過ごすこともなく…。
そっと障子戸を開け、廊下に出る。
ここに来てからは、暗くなればなるべく早く布団に入った。
桃花にとって蝋燭の明かりだけでは暗すぎる。
何もする気にならなかった。
初めて見る夜空に溜息が出る。
周りに余計な光がないここでは、月や星が怖いぐらい鮮明に見えた。
それはとても綺麗だが…
小説なんかによくある言葉。

『どこにいっても空は繋がっているよ』
『どこにいたって空は同じだよ』

この空は私のところには繋がっていない。
同じに見えるけど、違う空。
…お土産なんていらない。
幸村様と佐助さんが早く帰ってきてくれれば、それだけでいい。

「空蝉の、唐織ごろも…なにかせむ…綾も錦も…君ありてこそ…」

一人になると思い出してしまう。
己がいた時代を、町を、学校を、友人を、家族を…。

もう戻れない…の?
本当に、絶対に?
いつまでも幸村様や佐助さんを頼っていていいの?
頼れなくなった時、どうすればいい?
分からない。
いきなりこんなことになってしまって、どうしたらいい?

何となく見上げていた空に煌々と輝く月に向かって、桃花はゆっくり手を伸ばす。

「…還してよ。…助けてよ、…一人に…しない、で…」

ホロリと落ちた雫が頬に線を描く。
その絞り出されるような小さな叫びを聞いて、漆黒の空は金色の細い笑みを浮かべた。


2014.05.12. UP



『空蝉の 唐織ごろも なにかせむ 綾も錦も 君ありてこそ』

ご存知だとは思いますが、時は幕末、公武合体のために京から江戸へ降嫁された和宮の歌です。
政略結婚だった二人ですが(お相手は14代将軍の家茂)、仲は良かったようですね。
しかし結婚生活はすぐに終わってしまったのです。
京のお土産として西陣の反物が贈られたのですが、贈り主の家茂は死去しての帰途。
この歌は、そんな状況で詠まれたそうです。
夢沫は、純粋で一途な手弱女という印象を和宮に持っています。
純粋だからこそ彼女の心が響いてくる、哀しいくらい綺麗な歌だと思います。




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夢幻泡沫