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花は輝き月は笑む
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「ねえねえ、小十郎。梵と桃姫、いい感じじゃない?」
「…ああ、そうだな。」
上座で酌をする桃花とそれを受ける政宗を見ながら、成実が嬉しそうに小十郎をつつく。
小十郎も珍しく頬を緩ませながら目を細めて二人を見た。
桃花が箸を取れば、初めて目にするであろう正月料理を政宗が一つ一つ説明する。
口にしたものが美味だったのか、桃花が微笑めば政宗も同じような表情を返す。
漸く夫婦らしくなってきた主君に酒も進む。
宴も進み盛り上がるにつれ、誰彼と余興をする者が増えてきた。
その中で側室の一人が中央に進み出てくる。
あれは確か於山の方と言われていたか…、と桃花は頭の片隅で考える。
「政宗様。私、南蛮の楽器を習っておりますの。宴の余興にこの場で披露してもよろしゅうございますか?」
「ああ。」
「ありがとう存じます。」
ニッコリと艶のある笑みを残して立ちあがった於山の方の行く先を見て、桃花の目が大きく大きく瞠られた。
…ああ、何度突きつけられれば理解するのだろう。
ここは本当に知らない世界なのだ。
何故、あれがここに…
この時代にあるのだろう…。
「あ、れ…は…」
ポツリと零した桃花に、政宗は得意然として答えた。
「あれはpianoだ。」
「ピアノ…」
「南蛮の楽器だ。大きな音が鳴るぞ。驚くなよ?」
クツクツと笑う政宗の言葉など、桃花の耳には入ってこない。
桃花が知っているピアノが目の前にある。
けれど、どう考えてもこの時代にあるわけがない。
大体、日本に初めてピアノが来たのは江戸時代後期のはず。
…でも、この音色は間違いなくピアノだ。
毎日毎日練習して、この世界に来た時も何冊もの楽譜と一緒だった。
地道な練習は決して楽しいものではなく、けれど弾けるようになった時の喜びは他の何かには代え難かった。
何度もやめたいと思っていたのに気がつけば己の一部になっていて。
弾きたいと思う曲もまだまだたくさんあった。
発表会はとっくに終わってしまっているだろう。
もう弾けないと考えた時、悲しくて辛くて泣きたくて。
だけど忘れることができない大好きなピアノの音…
於山の方が弾いている間ずっと、桃花の全てがピアノに向けられていた。
「…御方様もお弾きになられますか?」
その声にハッとして顔を上げれば、於山の方が緩やかな笑いを浮かべている。
「聞けば御方様は箏をお習い遊ばし中だとか。楽の音がお好きであられるようですので、よろしければいかがございましょう?」
「おそれながら於山の方様、桃姫様は…」
「喜多殿、そなたが口を挟むことではない。なに、宴の余興ゆえ何があろうと問題なかろう?」
桃花に代わって口を開いた喜多を、於山の方はピシャリと跳ねのける。
その言葉に含まれた意味に気づいてか、他の側室達もクスクス笑いながら桃花をせっついてきた。
「御方様、折角の機会ですもの。触れるだけでも羨ましいですわ。」
「…では皆様が…」
「これは異なことを。御方様を差し置いて先に触るなど出来ぬことにございます。ささ、御方様。どうぞそちらへ。」
どうやら是が非でも桃花に弾かせて、出来ぬことを後々のからかいの種にしようと言う魂胆らしい。
突然現れた正室に政宗を取られたことへの意趣返しだろうか。
有無を言わせぬ雰囲気を巧みに作り出し誘い出す側室達に、政宗の機嫌が一気に下がった。
小十郎や成実達も眉を顰めて不機嫌を露わにする。
そんな中で桃花はゆっくりとピアノに近づくと、震える指で鍵盤を押した。
どんなに離れてしまっていても覚えている馴染んだ感触。
その指先からは思い出のままの音が響く。
別の鍵盤を押しても、望んでいた音がまた鳴る。
単音、和音、装飾音。
懐かしい音階。
耳が覚えている。
指が覚えている。
腕が覚えている。
体が覚えている。
弾き進めるほどに苦しくなる胸の内を音に乗せ、桃花は一人の世界へ入っていった。
「…梵、どういうこと?」
「…知ってたら俺が驚くと思うか?」
「いや、そうだよね…。梵ってば分かりやすい反応だもん。」
奥州筆頭ともあろう者がそんなんでいいの…?
桃花を凝視している政宗に、にじり寄ってきた成実が呆れる。
「それにしても…見事だね。」
「ああ。」
「ぴあのってこんなに色鮮やかな音を出すんだね。知らなかった。」
「そうだな。」
「色鮮やかだけど儚くて消えそうで。こう、胸をギュっと締めつけられる感じ?いいね〜、そそられる。こんな危うい音を出しながら 今にも泣き出しそうな超美人さん、男なら誰でも放っとけないよね〜。桃姫が梵の正室じゃなかったら、俺が間違いなく慰めてあげるのに。」
「…成!」
「まあそれは梵に譲るとして…。」
ニヤニヤと笑っていた成実がふっと真面目な顔つきになる。
ずっと呆然としていた政宗も、彼の変わった雰囲気に顔を引き締めた。
2015.01.12. UP
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夢幻泡沫