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花は輝き月は笑む
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今にも泣き出しそうな正室に皺を深くすると、政宗はポンポンと背中をさすった。
「大事ないか?」
「…はい…」
「そうは見えねえぞ?部屋へ戻れ、桃。少し休むといい。」
「…はい。」
「小十郎、喜多を呼べ。一人で戻すには心配だ。」
「畏まりました。」
間もなく現れた喜多に政宗は手短に桃花の様子を伝える。
心配そうに体を支える侍女頭に支えられて、その場を離れようとした桃花の頭が今一度大きく警鐘を鳴らした。
このまま広間を出たら何もできないぞ、と。
反射的に喜多の手を振りほどき、政宗の前に跪く。
「桃?」
「…伊達様、お願いがございます。」
「何だ?」
「父上に文を書いてもよろしいでしょうか?」
「こんな時にか?」
「こんな時だから、でございます。文を書くこと、お許し下さいませ。」
「それは構わねえが…」
「ありがとうございます。喜多さん、先に戻って用意をしていてくれませんか?」
「…畏まりました。ですが、桃姫様を御一人にしてしまうのは…」
「平気です。直ぐに戻りますので。」
「畏まりました。」
一つ頭を下げると、喜多はすぐさま部屋へ取って返した。
「桃、are you okay?本当に一人で問題ねえか?何なら小十郎か成実に送らせるぞ?」
「お気遣いありがとうございます。心配ありません、一人で戻れます。」
儚げな、けれどもやっと笑みを見せた桃花に政宗も潜めていた息を吐き出す。
「咲さん、甲斐へ戻る前に私のところへ寄って下さい。いつでも構いません。咲さんが来るまで待っていますから。」
「畏まりました。」
己に頭を下げた咲を見て桃花の気持ちも引き締まる。
彼女自身も政宗に頭を下げると、先程とは全く違う強い光を眼に湛えて部屋へ戻った。
父上様
織田の鉄砲隊およそ千若しくは三千人
火縄銃使用時間短縮の為の三段構え
武田騎馬隊対策の三重馬防柵
側面・背後よりの奇襲
濃霧が発生する恐れあり
私が知っている限りの情報でございます。
父上様、どうかご無事で。
皆々様のご武運を祈り申し上げております。
桃花
幸村様
織田方は鉄砲を主力部隊に据えているはずです。
信玄様に私の世界に伝わる此度の戦の情報をお知らせしました。
少しでも役に立てば幸いです。
武田の騎馬隊は最強、私の世界でも何百年もそう伝わっています。
けれど、この戦で馬に頼りきりになるのは危ういかもしれません。
戦のことなど何も知らぬのに意見を申し上げてしまい、身の程知らずであることは重々承知しています。
申し訳ございません。
幸村様、どうかご無事で。
ご武運を祈り申し上げております。
桃花
佐助さん
嫁いだ時の約束を覚えていますか?
私の命は幸村様と佐助さんのものです。
信玄様にこの戦に関する情報をお知らせしましたが、それが仇となることも十分に考えられます。
私の存在が邪魔になるようでしたら、どうぞ一息に。
願わくば最期に見るのは笑顔、佐助さんの笑顔が見たいです。
佐助さんもどうかご無事で。
ご武運を祈り申し上げます。
桃花
小さく畳んだ文を咲に託す。
「咲さん、父上に伝えてくれますか?」
「何なりと。」
「この戦が終わった後で久しぶりにお会いしたいです、と。」
「…桃姫様…」
「戦に向かう人にかける言葉を私は知りません。『命より名誉を』とも思えないのです…」
「…」
「大切に思う人に死んでほしくない。…あの時のまま成長していませんね、私は…」
「己の弱さを知る者は強うございます。されば、桃姫様はお強い方。そのお優しさが桃姫様のお強さなのですから。」
「…ありがとうございます。」
ゆるりと笑う咲に、桃花も笑みを返した。
だがそれを直ぐにしまい、顰められそうになる眉を懸命に抑えながら咲を見る。
「咲さん、一刻を争うでしょうから行って下さい。咲さんとも今度はゆっくり会いたいです。」
「勿体ないお言葉でございます、桃姫様。お預かりした文は必ずやお届けすると約束致しましょう。」
「よろしくお願いします。」
では、と深く頭を下げると咲はパッと姿を消した。
閉められた障子戸の先をじっと見つめていると、部屋の隅に控えていた喜多がゆっくりと女主人に近寄る。
「御心配召されますな、桃姫様。政宗様は援軍を送るとお決めになったそうですよ。」
「本当ですか!?」
「ええ、そう聞き及んでおります。」
「援軍…そうですか、ありがとうございます。」
「お礼でしたら政宗様に。さあ、今日はお疲れでしょうからもう御休み下さいませ。政宗様からも先に休むよう言い遣っております。」
「はい…。あ、いえ…」
「桃姫様?」
「喜多さん、もう一つお願いしてもいいでしょうか?」
「はい。」
喜多に頼みごとをして部屋に一人になった桃花は、また見えないはずのずっとずっと先を見つめて深い溜息をついた。
…咎は私が受ける。
もう戻れなくなるかもしれない。
歴史が変わってしまうというのなら、私はいなくなるかもしれない。
それでもいい。
それでもいいから、どうか幸村様や佐助さんが無事でありますように…
2015.04.13. UP
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夢幻泡沫