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花は輝き月は笑む

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その先にいたのは肩を揺らしながらこちらを見つめてくる愛妻。

「…桃、帰った。」
「伊達様…」

ここまでは走ってきたのであろう桃花が、家臣達が作った道をゆっくりと近づいてくる。
もどかしく思いながらじっと待っていれば、やっと目の前まで来た桃花が震える手を伸ばしてきた。
細く白い指が政宗の顎に触れる。
それもまた震えていた。
黙って彼女の好きなようにさせていれば、慣れない手つきで時間をかけながらも緒を解かれ兜が外される。
桃花が手に持っているものをどうするべきか視線を周りに流すと、直ぐ横で控えていた小十郎が黙って受け取った。
お願いしますと呟くように小さく言って受け渡した彼女の手の震えが止まらない。
その様はあまりにも可愛らしく、か弱い。
政宗が今すぐに掻き抱きたい感情を必死に抑えていると、外された視線が戻る。
二つの大きな瞳は彼が待ち望んだ甘いものではなく、不安に押しつぶされそうに揺れているものだった。

「…お怪我は?」
「ねえよ。見ての通り、傷一つ負っちゃいねえ。」
「っ…よかっ…た…」

声までも震えている問いに、政宗の低い声が優しく返す。
途端に桃花の顔が歪んだ。
目の縁に涙が溢れ、今にも零れようとしている。
桃花が伊達の者の前でそんな姿を見せるのは初めてのこと。
政宗も当惑して何と言っていいか分からなかった。

「成実様や、片倉様は…お怪我は…?」
「ありがとう、桃姫。平気だよ、ピンピンしてる。」
「ありがたきお言葉。この小十郎も無傷なれば。」
「伊達のご家中方は?」
「思ったより損傷は受けてねえな。」
「…幸村様は?佐助さん…父上は?」
「心配ねえ、虎のおっさん達も無事だぜ。」

薄く笑いながら答える政宗の言葉が堤を決壊させる。
大切な人々が無事だと言う報せに、桃花の頬に透明な線が幾筋も出来た。
その場に座り込んで顔を覆い嗚咽を漏らす妻の前に、政宗は腰を落とす。
落ち着かせるように背を撫でてやれば、ますます桃花の身体が震えた。

「桃、桃…戦は終わった。安心しろ。」
「…あ…ありが、と…ござ、ました…。」
「ああ。」
「ご無事、で…ほんと…に、よかっ…」
「ああ。」

ひくつく声で紡がれる言葉の何と愛らしいことか。
泣く程に己が身を心配していた妻の何といじらしいことか。
政宗は桃花の顔に手を添えると己に向けさせた。

「礼ならあいつらに言ってやれ。よく働いてくれたぜ?」

ニッと笑う政宗の言葉に、桃花の後ろから筆頭!と感激した声が上がる。
それを聞いて桃花は涙を拭った。
深呼吸を一つして気持ちを落ち着かせると、静かに身体を後ろへ向け直した。

「…此度は甲斐への援軍、誠にありがとうございました。お陰様で…父上も、甲斐も…無事…」
「御方様!」
「ありがとう…ありがと、ございます…。」

声に出して状況を理解すれば、落ち着かせた感情がまた溢れてくる。
最後まで言葉にできなかった分まで深く頭を下げる桃花に、とんでもねえっす!やら頭をお上げ下さい!やら慌てふためく声が聞こえてきた。
桃姫様と静かに呼ばれた方を向くと、小十郎が微笑みを浮かべて小さく頷いていた。

「あなた様は政宗様の大切な御方様でございます。それに援軍を出すとお決めになったのは政宗様。我等が否という理由がどこにありましょうや。」
「片倉様…」
「そうそう。梵が無事に戻ってきたんだから、桃姫は笑って迎えればいいんだよ。」
「成実様…。本当に…ありがとう、ございます。」
「いいえ〜。どう致しまして。」
「おい、それは俺の言葉だろ?調子に乗るな!Hey, お前等!今日は無礼講だ、楽しめよ!!」
「Yeah!!」
「桃もいつまで泣いてるんだ?アンタの泣くところを初めて見たが…あんま見たいもんじゃねえな。アンタは笑ってる方がいい。」

濡れる桃花の頬に手を添えながら政宗は苦笑する。
それから艶をたっぷりと含んだ笑みで愛しい妻の顔を覗き込んだ。

「少し痩せたな。」
「…」
「飯をきちんと食ってなかったのか?桃が倒れるなんてことがありゃ、俺が喜多にやられちまう。」
「…まさ、か…」
「そんなに俺のことを心配だったのか?」
「…あ、の…」
「それとも甲斐の奴等だけ、無事を祈っていたか?」
「そのようなことございません…っ!」
「だろうな。なら…いつまでも甲斐が、真田幸村が、なんて言ってんなよ。桃は俺の正室だろ?戦場から無事に帰還した夫殿に労いの言葉はねえのか?」
「伊達様…」
「No, 政宗…政宗だ。もう譲らねえぞ。」
「…」
「アンタは俺だけを見ていればいい。俺も桃だけだぜ、you see?」

甘い毒に思考が麻痺する。
じわりと新しく溢れ出てきた桃花の涙を吸い取るように、政宗は揺れる瞳に口付けた。

「…お帰り、なさいませ…政宗様…」
「ああ…I'm home, my sweet honey.」

背中と腰を抱き寄せる政宗の逞しい腕に体中の力が抜ける。
桃花が縋るように彼の首に腕を回せば、戦勝時以上の勝鬨が周囲から湧き上がった。


2015.05.18. UP




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夢幻泡沫