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花は輝き月は笑む

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「あれ?この音ってぴあのだよね?桃姫が弾いてるの?」

風に乗って聞こえてきた小さい音を成実が拾う。

「だろうな。大方、真田に聴かせてるんだろ?」
「ふーん…。初めて聴く曲だね。」
「An?…ああ、そう言えばそうだな。」
「これはまた…桃姫様におかれましては、一段と腕を上げられたようにお見受け致します。」
「てか、あっまーい音だね。前に聴いたことのある儚い音とは全然違うなあ。ぴあのってこんな音も出るんだ。」
「…」
「あの時の桃姫は泣きそうな顔だったけど、今はどんな顔で弾いてるのかな?」
「…成、余計な想像するんじゃねえ。」
「こんな甘い音を微笑みながら弾かれたら、それはそれで堪らないよねー。うわっ、真田幸村が羨ましい!俺、ちょっと覗いてこようかな!?」
「Shit!」

目の前でニヤニヤと妄想を始めてしまった成実に拳を見舞い、その足で桃花の部屋へ向かう。
後ろで成実が梵ヒドイ!とか梵ちゃんカワイイ!とか叫んでいたが、そんなことはどうでもよかった。
妻の部屋に近づくにつれ、甘い音がより濃く聴こえてくる。
それが己に向けられていないことに苛立ちながら、突然現れた政宗に驚く喜多の制止を振り切って襖を開けた。
ピアノを置いてある部屋は閉じられていなかった。
中に入ると、気配を察した幸村と佐助が振り返る。

「政宗殿。」
「…真田、これは一体どういうことだ?」
「お静かに願いまする。今はこの音に酔いしれていとうござる。」

幸村の穏やかな笑顔の先にいる桃花に、政宗の目は瞬きすら忘れてしまっていた。
南蛮人の格好に似てはいるが、見たこともない着物を身に纏っている愛妻。
陽を浴びていない白い腕や足が眩しいほど艶めかしい。
それらを惜しげもなく曝し、恥ずかしそうにする素振りが見えない。
目の周りや唇もキラキラと輝き、嬋媛で一人占めしたくなる。
そして悔しいことに…成実が言っていた通り、淡い笑みを浮かべながらこの甘い音を紡ぎ出していた。
その微笑みも音も姿も、何もかも他の者に晒したくない。
甘美な音色に浸かりきれない己に舌打ちしながら政宗はグッと唇を噛んだ。



「…素晴らしい演奏でござった。某、生涯忘れは致しませぬ。桃殿、感謝申し上げる。」
「こちらこそ、聴いていただけて嬉しかったです。幸村様、佐助さん、ありがとうございます。」
「ほ〜んと、極楽にいるような気分だった。天女様みたいだったよ、桃姫ちゃん。」
「大袈裟ですよ…。」

賞賛の声を上げる幸村と佐助に照れた様子で返していた桃花が、視線を政宗に移す。
正に今気付いたと言う様に目を大きく開いた彼女に、政宗は静かに口を開いた。

「いい音を聴かせてもらった。…が、その格好は何だ?」
「政宗様…」
「俺が誂えてやったもんでもねえし、そもそもそんな着物を見たことがねえ。南蛮のものとも違うだろ?桃、どういうことだ?」
「お話しします、全てを…。聞いていただけますか?」
「…All right. 喜多、真田と猿を用意した部屋へ案内しろ。てめえらはそこで宴まで大人しく待ちな。」
「分かり申した。政宗殿、桃殿の話を最後まで聞いてやって下され。桃殿とて苦しんでおられたのだ。」
「てめえに言われるまでもねえよ。さっさと行け。」
「…桃殿、政宗殿は無碍なことなど致すまい。落ち着かれて話すのでござる。」
「はい。ありがとうございます、幸村様。」

心持ち心配そうに二人を見比べていた幸村と佐助だったが、喜多の先導に部屋を出ていった。
彼らが出ていくのを見届けて桃花は長持が置いてある部屋へ戻る。
そして蓋を開けて中に入っているものを取り出した。

「…これは?」
「私の育ったところのものです。」
「その格好は?」
「こういう着物…洋服と言いますが、こういうものを着て過ごしていました。ここにある物はほんの一部でございますが、私はこのようなものにずっと囲まれて育ちました。どうぞお手にとってご覧くださいませ。」

訝しみながらも楽譜をパラパラと捲って紙の質に驚いたり、腕時計を摘まみ上げてその精巧さに舌を巻いたりしている政宗を桃花は静かに見ていた。
求められた説明に応じる彼女の言葉を聞いているうちに、政宗の頭に幾度か引っ掛かる事が出てきた。
それを注意深く探っていた彼の口から驚きの感嘆が漏れる。

「桃、アンタ異国語を理解しているのか!?」
「…はい。私が育ったところでは英語と呼びますが、誰でも必ず数年ほど習うことになっています。単語は日常会話の中に溶け込んでいますし、もう大分忘れてしまいましたが簡単な英語での会話でしたら少しはできるはずです。」
「Well… are you really who?
I am only man… although I have come from another future that was not this world.
「…別の…未来、だと?」
「私の本当の名は春原桃花と申します。」
「春原…桃花?」

低く吐き出される政宗の言葉にピクリと体を揺らしながらも、桃花は政宗を正面に捉えた。


2015.06.29. UP




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夢幻泡沫