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花は輝き月は笑む

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「お父さん…お母さん…」

まだ心配しているかな?
それとも、もう諦めたかしら?

もしかして…元々いない存在になっているかもしれない。
ずっと還ることを望んでいた。
いつも戻りたいと願っていた。

だけど…
ごめんなさい、還ることを諦めて。
ありがとう、ここまで育ててくれて。

月に暈がかかる様子をぼんやりと眺めながら桃花は故郷に想いを馳せる。
『還りたくないのか?』と聞かれたら『還りたい』と答えるに決まっている。
諦めたつもりでも諦めきれないのが郷愁というものだろう。

「今…迎えに来てくれたら…」
「還るのか?」

不意に後ろから聞こえてきた声に振り向けば、政宗が桃花の直ぐ後ろにいた。

「アンタはいつも外の景色を見ているが、何を思っているんだ?」
「…何を、とは…」
「月もよく見ているしな。さっき聞いた話は、この日の本では考えられねえ。アンタの育った桃源郷は月にあるのか?桃はなよ竹の姫なのか?」
「まさか…」
「昼は見たこともねえ衣を着ていたな…ああ、羽衣の天女のほうか?」
「…どちらも違います。」
「俺は帝じゃねえから月から迎えが来たって還してやらねえぞ。寧ろ、一戦交えてでも手元に置くぜ。羽衣を着て天に還るっつうなら、羽衣なんぞ燃やしてやる。」
「政宗様…」
「そんな苦しそうな顔して俺の知らねえ遠いところなんか見んなよ。ここにいるって決めたんだろ?だから今まで黙っていた事を俺に話したんだろ?」

慈しむような穏やかな隻眼が桃花を捕らえる。

…分かってくれていた。
分かっていて、私の夫は敢えて触れずにいてくれたのだ。
どこまで伊達男なのだろう、政宗様は…。

「…いつ消えてしまうか分からない身の上なのですが…」
「だから手離すつもりはねえ。」
「到底信じられるような話ではないのに…」
「だが、桃がここにいる。アンタは嘘なんかついてねえだろ?」
「どうして…そこまで私を…」

困り切った、けれどどこか安堵するような表情を浮かべる桃花を政宗は腕の中に囲う。
もはや理屈などではない。
隣に桃花がいて当たり前なのだ。
この愛らしい存在が己の傍からいなくなるなど、考えたくもない。

「…アンタだからだ、honey。桃以外が言ったのなら、こんな話など信用しねえ。よくぞ虎のおっさんの下に落ちてきた。俺と出逢った時に信玄公の姫になっていてくれて助かったぜ。」
「政宗様…」
「この話を知ってんのは俺と…真田幸村と猿と信玄公だけか?」
「はい。」
「それなら、奥州で知ってんのは俺だけだな。他の奴に話すなよ?」

ニヤリと笑って頬に手を添えてくる政宗に、複雑だった桃花の顔が柔らかくなる。
それを見て、政宗の笑顔が少年のような笑いから男の笑みに変わった。
途端に艶やかな雰囲気を周囲に溢れさせ、しっとりと唇を合わせてくる。

I love you. I should have only you.
「…政宗様…」
「アンタの気持ち、聞かせてくれないか?」
「…既に政宗様にお答えしています。」
「An?…聞いちゃいねえぞ?」
「いいえ。私の気持ちは政宗様がお持ちでございますよ。」
「…」
「甲斐へ行かれる前に渡したもの、お持ちですか?」
「Ah?ああ…」

訝しみながらも政宗は懐から取り出す。
青い布地で作られた守り袋のようなもの。
武田に助力する前に妻の寝所で手渡されて以来、言葉通り肌身離さず持っている。

「…これの中にでも入っているのか?」
「ええ。」
「開けるぞ。」

小さく結んである紐を六爪をしっかりと握れる逞しい指で格闘しながら開けると、政宗は中身を取り出した。
中に入っていたのは小さな紙切れ。
そこには見たこともない印が一つだけ書かれていた。

「…このmarkは?」
「ハートです。」
「Heart?これが?」

眉を顰める政宗に桃花はクスリと笑う。

「はい。心、気持ちという意味です。」
「それは知ってる。」
「私の国では、転じて好ましいと思った時によく使っていました。嬉しいと思った時や可愛いものを見た時、それから…女子が慕っている殿方へ気持ちを伝える時に…」

桃花の最後の一言に政宗の左目が大きく見開かれた。
それをすっと細め、思考を蕩けさせるような低く甘い声で先を強請る。

「…桃花、tell me.」
「政宗様…」
「Please, 桃花…」
「お傍に、置いて…いただけませんか…?」

政宗の後頭部にある結び目が優しく解かれ、空ろな右目が覗く。
そこにかかる髪をそっと掻き上げ、桃花は愛する夫を彼の腕の中から見上げた。

「…好きです。政宗様の…全てが…」
「…覚悟しろよ?俺がアンタに溺れている以上にアンタを飲み込んでやる。」

言うや否や、噛みつくような口付けが桃花に幾度も降り注ぐ。
大きな腕に抱かれ、翻弄され、啼かされ…
桃花は悟った。
もう既に飲み込まれている、と。
これ以上沈みようがない、と。
同時に…これが幸せというものだろう、と。



夜の帳が張り巡らされる。
気高き竜の愛護を受け、虎の子は竜の宝珠へと変化した。


2015.07.06. UP
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夢幻泡沫