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花は輝き月は笑む

09



「して、桃よ。そなたはどこから参ったのじゃ?」

殴り愛をようやく終えた後、何事もなかったように信玄が聞いてきた。
信玄も幸村も怪我しているところが見当たらない。

あれだけ殴り合って怪我がないっていうのは…
だって、障子戸や庭や城壁が壊れているのに?
あり得ないでしょ…
本当にここはどこなの?

「…分からない、です。」

少しの間を置いて返ってきた桃花の返答に、幸村はピクリと反応を示す。
佐助も表には出さなかったものの、主と同じような反応を内側で示した。
二人の反応をどう見たのか、信玄は重ねて聞いてきた。

「なれば、どのようにしてここまで来たのじゃ?」
「…それも分からないんです。」
「ふむ…。困ったものよ。」
「すみません…」

ずるりと顎髭を撫でて、信玄は思案する。
申し訳なさそうに謝る少女は、どうやら嘘はついていなさそうだ。
けれど、幸村と佐助は初めの答えに反応を示した。
奴らには違う答えを返したのだろう。
おそらく、地名を言ったのではあるまいか?

さて、どうしたものか…。

「…佐助、地図を持って参れ。」
「大将?」
「地図があればどこから来たのか分かるやもしれぬ。日の本の地図を持って参れ。」
「おぉ、さすがはお館様!いいお考えでござる!!」
「御意。」

佐助はスッといなくなると、あっという間に持ってきた地図を信玄に渡す。

「桃よ、こちらへ。」
「…はい。」

バサリと地図を広げると見やすいように桃花の方に向け、信玄は近くに来るよう声をかける。
幸村も地図の傍へ寄ってきた。

「この地がどこだか分かるか?」
「はい。幸村様と佐助さんに教えていただきました。信州上田です。」
「地図の上ではどこになる?」
「この辺りかと。」

北の大地と南の島々がない地図の上を指して信玄を見れば、大きく一つ頷かれる。

「儂の本拠地である甲斐はどこだか分かるか?」
「…この辺りでは。」

相模、駿河、越後…と次々と言われる地名を桃花は迷いなく指していく。
高校で日本史を選択している桃花にとって訳のない質問だった。

「よう知っておるのう。」
「合っていたのならよかったです。…あの、相模を治めているのは北条氏ですか?」
「いかにも。北条氏政殿が治めておる。」
「北条、氏政…ですか…。それなら、駿河は?越後は誰が?」

今度は桃花の質問に信玄が答えていく。

「北条氏政に…毛利元就、伊達政宗…。幸村様と佐助さん、信玄様も…。豊臣秀吉は織田信長から独立していて…。」

答えを聞けば聞く程、彼女の顔色が悪くなる。
…分からない。
聞かされた状況が己の持っている知識とあまりに違いすぎる。
世代の違うはずの有名な戦国大名が一緒くたに存在しているなんて。
確かに歴史が解明されているとは言え、それは後世の研究。
だから間違っている部分はあるかもしれない。
それでも、100年もの誤差なんてあり得るの?
果ては架空の人物と言われている人まで存在しているし。
でも…
桃花の頭に警鐘が鳴る。

もし、ここがそうなら…

「…信玄様、…きつつきはお好きですか?」
「…好きになれぬ鳥よ。」

視線を彷徨わせて泣きそうな声で聞く桃花に、信玄は少し潜考する。
低く答えられた言葉に、彼女は両手を口に当て天を仰いだ。

何があったか、どうなったかは分からないが…。
ここは…戦国時代で間違いない。
私はタイムスリップをしてしまったらしい。
しかも…おそらく、私が知っている過去ではない戦国時代へ…。
知っているようで知らない…別の世界の…。
そんなことあり得るの…?
夢物語だけで、現実に起こるなど…己の身に起こるなど信じられない。
でも…夢ではないんだ。
…何でこんなことに?
どうしたらいいの?

ギュっと目を閉じて俯く桃花の手が、小さく震え始める。
黙って様子を見ていた信玄は、静かに聞いた。

「…そなたはどこから来た?」
「…この世界に当てはめるとすれば…ここです。」
「…そこが『とうきょう』?」

地図のやや中央より右寄りを指す桃花の指に、三人の視線が集まる。
注意深く探りながら、佐助が出会った時に聞いた地名を口にした。

「はい。…江戸、と昔は呼ばれていました。」
「…昔、とな?」

さらに低くなった声に体中の空気を吐き出すと、桃花は信玄を見た。

「…聞いていただけますか?…しっかりと説明できるか分かりませんし…私自身…信じられないのと、信じたくない気持ちでいっぱいなのですが…」
「…構わぬ。」

その言葉にゴクリと喉を鳴らし、桃花はゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。


2014.03.10. UP




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夢幻泡沫